「顔上げてくれないと、キスできないんだけど」
大翔君の口からまさかこんな言葉が出てくるなんて思っていなかった私は、驚いてすかさず顔を上げる。
「えっ……?」
後頭部に手を回されて、そのまま瞬きする間もなく自然に引き寄せられると、唇に柔らかな感触が広がる。
「……んっ」
小さくリップ音がして触れ合っていた唇がゆっくりと離れると、目を開いた大翔君と至近距離で目がバッチリと合う。
「まりや、好きだよ」
予想していなかった展開の連続に頭の中は真っ白。
大翔君が私を好き……?
これって現実?
それとも夢?
目の前で起こってることが未だに信じられなくて、右手で自分の頬をプニッとつまんでみる。
「……何やってんの?」
「いひゃい……夢じゃ……ない?」
頬に走った痛みに、これが夢じゃないことをやっと理解することができた。
大翔君といえば、いきなり意味不明な行動を目の前でされて、珍しいものでも見るようなそんな顔をしている。
それを見て、急に恥ずかしさが襲ってくる。
私……何してるんだろう……。
普通なら両想いになれて、泣いちゃうくらい嬉しいのに、夢じゃないって確かめるのに頬をつまむって……。
しかも大翔君が見てる目の前でやっちゃうとか、あり得ない。
自分でも何をやってるんだろうと落ち込んでいると、耳に優しい声が響く。
「まだ信じられない?」
その問いに迷うことなく首を大きく横に振る。
「信じられるよ……!
信じられるけど、両想いだなんて……夢見てるんじゃないかって思っちゃって……」
「夢じゃないだろ。
まりやはもう俺のいちばん大事な“彼女”なんだから」
“彼女”。
大翔君の口から直接聞けて、改めて自分が彼のたった1人の特別になれたんだと実感する。
今になって、嬉しい気持ちが溢れて涙が出てくるなんて……っ。
「……っふ……うぅ……っ」
今度は泣き始めた私をそっと抱きしめた大翔君は、おかしそうに小さく笑っていた。
「忙しいな、まりやは。でも、見てて全然飽きない」
「やだ……。これ以上、大翔君に変なところ見られたくない」
「そうか? 俺はどんなまりやも好きだけど。俺の知らないまりやをこれからもっと見せて……。
……好きって、もう一度まりやの口から聞きたい」
「……っ!」
両想いになってから初めての甘い声でのお願いに、嫌なんて言えるわけない。
さっきは勢いで言っちゃったけど、改めてちゃんと言うってなると、こんなに緊張するの……?
恥ずかしさよりも、どんどん大きくなっていく鼓動。
もう一度ちゃんと自分の気持ちを伝えるために、大翔君から少し離れると真っ直ぐに見つめる。
うぅ……っ。緊張する……。
何も言わなくても、そこにいるだけでカッコよすぎる大翔君に見惚れそうになりながら、震える唇を何とか動かす。
「……好き……大翔君のことが……好き、です」
何とかそれだけ言い終えると、今度は緊張より堪らなく恥ずかしくなって、顔を隠すように大翔君の胸に埋める。
「可愛いすぎ……」
もう一度、大翔君の顔が近付いてきて、つい目をギュッと閉じて体に力を入れてしまう。
慣れてないせいか、こういう時どうしたらいいのかわからない。
私は初めてだらけだけど、大翔君は……慣れてるの、かな……。
そんなことをグルグル頭の中で考えてる内に、額にチュッと大翔君の唇が触れる。
驚いて目を開けたら、すぐそこに大翔君の顔があってクスッと笑われた。
「ここにしてほしかった?」
私の唇に大翔君の人差し指が触れて、そのまま軽く撫でられる。
それだけのことなのに、触れられた唇は熱を持ったみたいに熱くて、そんな仕草を自然にこなしてしまう大翔君の色気にめまいがしそうなくらい。
「こういう時……どうしたらいいの?」
困って聞き返すと、優しい力だけど強く抱きしめられる。
「あんまり可愛いこと言うな。
俺の理性……持たなくなるだろ」
ただ聞いただけなのに、何だか恥ずかしくなってそれ以上は何もしゃべることができなかった。
この日、私に初めての彼氏ができました。
クールで無口、女の子嫌い。
でも本当は誰よりも優しくて甘い、私の初恋の男の子。
さっきまでは、ただの幼なじみ。
今、そしてこれから先は、私の大好きなたった1人の大切な人。
チュンチュンと鳥のさえずりが耳に心地よく届く。
白いレースのカーテンがゆらゆらと風に気持ちよさそうに揺れ、淡い光がまだ薄暗い部屋の中を照らしている。
「……ん」
小さく身じろぎすると、そっと目を開く。
ぼんやりと視界に入ってくるのは、淡いブルー。
枕だと思って、まだハッキリとしない頭で腕を回して、その枕に抱き着くと感触が違うことにすぐ気付く。
枕って、こんなにがっしりしてて、固かった……?
不思議に思って目を開けたら、やっぱり目の前には淡いブルーの生地がお目見えしている。
寝ぼけ眼でその目線をどんどん上へ上へとあげていく。
「……なんで……っ」
この場に合うセリフはこれしかないというくらい、何での言葉がループする。
私の腰と頭に回った大きな手。
静かに規則正しく聞こえてくる寝息。
完全に視界がクリアになった私の目の前には、切れ長だけどパッチリとした大きな瞳を閉じて、綺麗すぎる寝顔を惜しみなく披露する大翔君の無防備な姿。
なんで……大翔君がここにいるの……。
何度目になるんだろう……なんでを繰り返して、驚きのあまり大翔君の寝顔を見たまま静止してしまった。
……綺麗な寝顔……。
普段は見上げることしかない大翔君をこんなに間近で見られる機会なんて滅多にないと、こんなことしてる場合じゃないのに無意識にその姿に見惚れてしまっていた。
「……見すぎ……」
突然しゃべったかと思ったら、眠そうな瞳が私を見ていた。
「お、おはよう……」
目が合っただけなのに、変に緊張して声が裏返って出てくる。
「ん。おはよ……」
普段、心地よく耳に届く聞き取りやすい大翔君の声は、寝起きのせいなのか少し掠れていた。
いつも私より早く起きてる大翔君のこんな姿を見るのは、本当に貴重で珍しくてついつい見入ってしまう。
「そんなに見つめて、俺の顔に穴が開いたらどうすんの」
「え。えぇ〜!? やっ、あの……それは困るというか」
「……っふ。冗談だよ。あんまり見てるから意地悪したくなっただけ」
まだ眠いのか、目を閉じてクスクス笑う大翔君につられて私も笑ってしまった。
「あ、あの……大翔君」
穏やかな雰囲気の中……とても聞きづらいと思いつつも、目線を上下させながら遠慮がちに名前を呼ぶ。
ベッドの上に正座した私の頬に手が伸びてきて、スーッと優しく撫でられる。
それにピクッと反応する私を見て、満足そうに目を細める。
「何?」
ちょっとした動きなのに、大翔君がするとどうしてこんなに違って見えるんだろう。
今からこんなにドキドキしてたら、私の心臓持たないよ……。
とりあえず、もう一度心を落ち着けて深呼吸する。
「あの……大翔君はどうして……私と一緒に寝てたの?」
今さらだけど、と付け足して聞く私を無言で見つめて、「覚えてないのか」とポツリ。
「昨日……あの後な、まりや俺が抱きしめてる間に寝たんだよ」
へ? 寝た? あの後って、大翔君に勢いで告白しちゃって、両想いになれて……。
抱きしめてもらって、それがすごく心地よくてそれで……。
それで……嘘……。
その後の記憶がまったくない。
「いくら起こしても起きなかったし、ベッドに寝かせたはいいけど、俺の服持ったまま離さないし。
すっげー困ったんだけど。お前、俺の気持ちなんかお構いなしにスヤスヤ寝てるし、どれだけ大変だったかわかってんのか?」
う……っ。返す言葉が見つかりません。
寝てても大翔君に迷惑かけるなんて、何やってるんだろ私。
シュンと肩を落とし、反省していると自分の指に私の髪を絡ませて遊びながら、大翔君が見上げてきた。
「寝顔、可愛かったから許してやる」
絡ませた髪にそのまま唇を落として、何事もなかったみたいに起き上がり伸びをする。
何でもないことのように普通にしてる大翔君だけど、私の顔は今きっと真っ赤になってる。
片想いしてる時よりも、ドキドキが増えていく。
本当に大翔君と両想いになったんだよね。
これからも一緒にいられるんだと思うと、顔が緩んで仕方ない。
——コンコン。
「おーい、まりや〜。腹減ったんだけど、お客さんの俺に朝飯はないわけ〜」
幸せだと浸っていたところに、現実に引き戻された。
そうだ……昨日から谷山君が家にいるのすっかり忘れてた。
ど、どうしよう!! 大翔君と一緒の部屋にいるところ見られたら……!
まずは着替え! 着替えなきゃ!!
1人で焦って、あれもこれも考えてるうちに大翔君がベッドから降りて、普通に部屋のドアを開けてしまった。
「も〜。何やってたんだよ。昨日も放置プレイでまりやもヒロも俺に構ってくんない……し……。
て、ヒロ……何してんの?」
まだセットされてない髪を掻き上げながら、ブツブツ文句を言う谷山君は当然私が出てくると思ってただけに、目の前に現れた大翔君に目を剥いていた。
「何か用?」
「用って……いや、聞いてんのは俺の方なんだけど」
「俺がここで何してようとお前に関係ないだろ。
仕方ないから、朝飯くらい用意してやる」
大翔君はそのまま部屋を出ていくと、後ろ手でドアをガチャリと閉めてしまい、大翔君と谷山君の声は聞こえなくなった。
ごく自然すぎる大翔君の対応に呆気にとられながらも、何とか着替えを終えて私も1階に下りる。
「めっちゃ美味い!! 何これ?
ヒロお前料理できんの!?」
リビングに行くと、谷山君がテンション高くパンを頬張っているところだった。
「それ、市販のクロワッサン」
「い、いやぁ……このベーコンも最高で」
「ただ焼いただけだし。何のご機嫌取りなわけ?」
コーヒーを飲みながら、冷めた口調でしれっと返す大翔君に谷山君が乾いた笑いを漏らしていた。
この変な空気に恐る恐る席に座ると、大翔君がすかさず立ち上がったと思ったら、キッチンから何かを運んできた。
「これはお前の分な」