「…待たせたか?」
手には重箱のようなものを抱えている。
「…いや、別に。」
「…寒いのか?顔が青い。」
いやそれは寒いだけじゃないと思う。まだ若干、アンタが怖いよ。
俺は心の中で呟いた。
「だから、わらわに隠し事は通用せんと言ったはずだが?」
「…ああ…。」
丸聞こえだったか。そっか、心が読めるんだっけ。
「べつに、取って食おうなんて考えておらぬ。そなたなど、食いとう無いわ。」
「食べられたくもないよ。」
「よう喋る男よのぉ…。」
女の人は、手に抱えていた重箱を開けた。
その中には小さな壺があって、中には白いクリーム状のようなものが入っていた。
「安心せい。先程も言ったが、傷の治療が終われば普通に家に返してやるし、
そなたが望むなら、わらわと過ごした時間、全て忘れさせてやる。
…だからわらわをあまり怖がるな、もっと怖がらせたくなるであろう。」
「…な。」
さりげにドS発言。
「冗談だ。」
女の人がころころと鈴のように綺麗な笑い声を上げた。
「…笑えない冗談だな。」
「笑えぬか?わらわはそなたの真っ青な顔が面白くて仕方がないのだが…。
もう一度傷をよく見せろ。」
「…ん。」
膝を女の人の方に向けると、女の人は笑って、青白く光る池の水で俺の傷口を軽く洗う
と、指に塗りつけた壺の中のクリーム状のものを俺の傷口に塗りつけた。
「っ…!」
ひりっとした痛みが膝に走る。
「これぐらい我慢せい。腰抜け。」
「…何でそんなことお前に言われなきゃいけないわけ。」
「わらわを怖い怖いと言っておきながら、口は減らぬな。そなた、口から産まれてきたのではないか?」
再び女の人の瞳を見つめてゾッとする。
本当に獣みたいな目をしてる。
「…あぁ、どうしても夜になるとこの目になりやすくての…。わらわも不気味だと思うのじゃが…。」
女の人が目を両手でこすった。
すると、女の人の目が人間の物になった。
ぱっちりとした大きな猫目。
「そなたが喋っている間に傷口が塞がったぞ。」
俺は自分の膝を見た。
傷どころか、傷跡すら見当たらない。
「見事なものじゃろう?」
「…な…。」
「さぁ、傷の治療は終わりじゃ。…お前の中のわらわに関わる記憶全部、消してやろう。額をこちらに向けよ。」
「…あのさ。」
「何じゃ。」
女の人が首をかしげる。
「傷…直してくれて、ありがとう。」
「……ありがとう?……現代の言葉はよう分からぬわ。」
「…は?『ありがとう』、知らないのかよ。」
「…知らぬ。何じゃその『ありがとう』というのは。」
「…人に感謝の気持ちを伝える言葉。」
「…感謝…か、ふむ。」
「あと。」
「…まだ何かあるのか。はよう額をこちらに向けんか。」
「…消さなくていい。」
「は?」
女の人がキョトンとしながら俺を見てきた。
「…記憶、消さなくていい。」
「…何故だ?」
「…ケガを直してくれた人の顔忘れたい…って、失礼な気がするから。」
「そうか。」
女の人はふふっと笑った。
「お主、名は何という?」
「悠。佐伯悠。」
「さえき…ゆう…か。ふむ。覚えておこう。」
「…あんたは?」
「…あ…あんた!?そなたわらわをあんた呼ばわりするか!?この無礼者!!!!」
「…いいから。名前は?」
「……そなたの様な無礼者には教えてやらんわ!」
女の人はぷい、とそっぽを向いた。
「そう。残念。じゃあ、傷、直してくれてありがとう。…この事誰にも言わないから安心しなよ。…じゃあ、さよなら。」
俺がそう言って立ち上がって歩き出すと、女の人は焦ったように、待て、と俺を引き止めた。
「…わらわの名は…蒼じゃ。」
少しばつが悪そうに女の人は小さな声で言った。
「アオイ…?ふーん、アオイか。…いい名前だね。」