菜月の状態が安定したのを見て想次郎は病室を後にするのだった。
白い壁、独特の消毒と加齢臭にも似た鼻をつく臭い。
少しだけ暗い雰囲気の中で、笑う人びと。
「……だから言ったじゃない!私はあの時に!!」
ある病室から怒鳴り声が聞こえてきた。
そのすぐ後に優しい低い声が続く。
「ああ、そうだね。確かに君はそう言っていたね」
楕円のレンズに細い黒ぶちの眼鏡。
シワひとつない綺麗にアイロン掛けをされたワイシャツはパステルカラーを選んでいることが多い。
歳は重ねているが若々しい黒の短髪で笑ったときに深く笑い皺が刻まれる。
男は病室の外から視線を送っていた想次郎に気づくと、にこやかに会釈をした。
想次郎もすぐにそれに笑顔で会釈を返す。
「不思議な人だな……」
男は想次郎と菜月を担当した心理カウンセラーであった。
病院ないでも人気が高く、敬意を込めて年長者からは 「東谷大先生」などと呼ばれている。
想次郎はゆっくりと歩き出し病院から去っていった。