そうつぶやいて、猫は林の中へ消えていく。
その背中を追いかけたまま、茫然と呟く。
「ついて来いって、事だよね」
「……うん」
あたし達はお互いを見合わせて、重い体を何とか持ち上げた。
猫についてしばらく歩くと、小さいけれどもしっかりとした造りのお屋敷に出た。
青白い光を放つ猫が、その屋敷の中へと消えていくのを見て、思わず立ち止まった。
「ねえ、この家って……」
「うん。三國の家だ」
真剣な眼差しを向けたままトワが頷く。
お屋敷に近づくと、不思議と人の気配はしない。
誰もいないんだろうか……。
恐る恐る敷居をくぐると、すぐに目の前に小さな動物が現れた。
「どこに行っておいでだったのです!みな心配しております」
「ね、ねずみっ?」
「ねずみなんて失礼な!私の名前をお忘れですかっ」
「へ?」
その鼠は、あたしのまわりとクルクルと忙しなく回り、最後はぴょんと跳ねた。
ちょ、ちょっと、さっきから変なんだけど、みんなあたしを誰かと間違えてない?
そう言おうとしたけど、でもその言葉はすぐに喉の奥に引っ込んだ。
「…………」
―――だって……。
「な、なにこれぇ……」
目の前に、次々と動物たちが姿を現したから。
ねずみ、牛、虎、兎、タツ、巳、馬羊、猿鳥って、これ……やっぱり十二支さんたち!
あたし達を取り囲むように十二支たちが並び、さっきの猫と同じ次々にお辞儀をしていく。
そしてみんな慈しむようにあたしを見上げ、その代表とでも言うように蒼穹の猫が歩み出た。
「今宵も、どうか楽しまれますよう……。さ、毬を投げて下さいませ」
深々と頭を垂れた猫。
「え?」
キョトンとしてると、猫にもう一度催促される。
「さあ」
「あ、はいっ」
言われるがまま、毬を天高く放り投げた。
――――すると。
満月に届きそうな程高く飛んだ毬は、煌びやかな光を放ち、それが辺りを埋め尽くした。
あまりの眩しさに、手をかざす。
真っ白になった世界。
次第にその光は消えて、残りの粒子がまるで雪のように降り注いだ。
一体、なにが起きたんだろう。
すごく、きれい……。
空を見上げていると、トワの声に我に返った。
「真子」
「あ!」
光の粒に触れた動物達が……次々と真っ白な煙に覆われて、その中から人間が現れたんだ。
それは見覚えのある光景だった。
トワが、変身しちゃう時によく似ていたから。
煙が引いて、人間になった動物たちが忙しなく何かの準備を始めた。
茫然とそれを眺めていると、目の前を通り過ぎた人物に驚いた。
「……さ、爽子!」
それだけじゃない。
松田くん、カナトくん、郁くんも……みんなだ。
服装とか、今と違うけど、顔はうりふたつ。
叫んだあたしの声は、みんなには届いていない。
そこどころか、存在すら忘れ去られたみたいに、目も合わなくなってしまった。
「どうなってるの……」
呟いたあたしの手がいきなりクイッと引き寄せられた。
ハッとして見上げると、すぐそばでトワが眉間にシワを寄せた所だった。
「……トワ?」
どうしたの、って言おうとして彼の視線の先に気が付いた。
あ……。
「……正宗さん!」
あたし達のすぐ隣。
いつの間にか真っ白な式服に身を包んだ正宗さんが、穏やかな笑みを浮かべてそこに立っていた。
そして、驚いているあたしに、彼は人差し指を唇に当てて見せた。
「……」
『準備をしているんですよ』
「え?」
その声は、頭の中に直接聞こえてくるような、そんなくぐもった声。
「ま、正宗さん……これはどういう事なんですか?ここは一体……」
『私の名前は安陪魚名(あべのうおな)。あなた方は未来からいらっしゃったんですね』
「は、はい」
正宗さんじゃないんだ……。
あたし達がいる空間は、まるでさっきとは別次元のように感じた。
三國のお屋敷がフェードアウトして、映画のワンシーンでも見てるようだ。
そして、あたし達は星空から彼らの様子を見下ろしていた。
一面に水が張ってあって、その向こう側に人間になった十二支たちがいまだ忙しなく動き回っている。
「あの、準備ってなんの準備なんですか?」
『宴です』
「宴って……元旦の?」
―――宴。
ずっと黙っていたトワもそこでようやく口を開いた。
『彼らは、感じているのです。終わりが近い事を』
「終わり?」
魚名さんは真っ直ぐに彼らを見下ろしている。
その瞳は少しだけ切なそうで、正宗さんとよく似た綺麗な瞳が揺れていた。
あたしもトワも、魚名さんの視線を追った。
……終わり……。
――――今から千年も前の話。
まだ占いや魔術などが信じられていた時代。
それはそれは美しい女性がいました。
彼女は体が弱く、目が見えません。
流行り病を患い、山の中の小さなお屋敷に隔離されてしまいました。
話し相手もおらず寂しい日々。
しかしある日、一匹の猫が迷い込んできたのです。
猫は娘に懐き、いつもそばにおりました。
猫に連れられて、たくさんの動物達も娘の元へ通うようになりました。
鼠、牛、虎、兎、辰、巳、馬、羊、猿、鳥、戌、亥、そして、猫。
……皆、娘を愛していました。
毎夜毎夜、皆娘の元へ通い、娘が笑ってくれるようにと、楽しい宴を開きました。
そして、ある満月の夜。
娘はとうとう死んでしまいました。
皆が見守る中、天へと昇る娘。
けれども、その中に猫の姿がありません。
最近めっきり床に臥せていた娘に、元気を出してもらおうと、猫は贈り物を探しに行っていたのです。
しかし、それは
間に合いませんでした。
……。
魚名さんの見せるそれは、まるで絵巻物語。
小高い丘の上。
小さな小さな蒼穹の猫が、泣いている……。
「……そんな……」
あと少しだった。
あと少し、早ければ間に合ったのに……。
頬を伝う涙が、ポツリと足元を揺らした。
泣き続ける猫に、近づく小さな影に気付いてハッとした。
あれは……。
「鼠……?」
鼠は猫の前に座ると、ニコリと笑った。
―――あの方は戻ってくる
そう言っていたよ。―――と。
……え?もどって、くる?あの人は、亡くなったのに?
『彼が猫についた、最初で最後の嘘です』
「……」
魚名さんは、哀しそうに眼を伏せて、そしてまた視線を落とした。
猫を少しでも元気づけようと、鼠が付いた優しい嘘。
猫は、それを信じ、いつまでも娘を待ち続けました。
何年も何年も。
雨が降っても、雪が降っても、灼熱の太陽が照りつけようとも。
ずっと、ずーっと。
ほかの動物たちが説得しても、猫は聞き耳を持ちませんでした。
そうしていつの日か猫にも寿命がやってきます。
最期の日は、寒い寒い雪の夜でした。
猫は力なくその場にうずくまります。
横たえた体で、猫は空を仰ぎました。
寒い雪の夜であるはずが、猫の目には星空が広がっていました。
もう、その瞳は世の中を映さなくなっていたのです。
――――ああ、せめて。
せめて最期に一目
貴女にお会いしたかった……
愛おしい貴女に、わたしのこの想いを
お伝えしたかった……――――
痩せ細った蒼穹の猫の瞳から
一滴の涙が零れ落ちた。
それは大地に染み渡り、そして……。
蒼い結晶となって、魚名さんの手の中に現れた。
――哀れな、猫……
そうまでして、娘を待ち続けたのですね……。
動かなくなった猫のそばに、魚名さんが寄り添った。
あたしもトワも、身動き一つとれず、瞬きも忘れてその光景を見つめていた。
見逃したら、ダメだ。
ちゃんと目に焼き付けないと……。
ギュッと握りしめた手のぬくもりだけが、お互いがそこにいることを確認できた。
魚名さんは、懐から呪符のようなものを取り出して。
目を閉じると詠唱を始めた。
すると、その瞬間。
雪は雨になり、その雨があがり、夜空に大きな満月が姿を現した。
ぼんやりと光り輝く蒼穹の猫。
五芒星を指で描き、印を結ぶ。
ああ、これだ。
きっと、ここから始まったんだ……。
十二支と、猫たちの……楔……。
―――猫の願いが叶うその日まで……
お前を娘と同じ人間の姿に変えましょう。
そうだ、娘を愛していた十二支たちも、人に。
お前ひとりじゃ、可哀そうですね。
頭の中に、そう聞こえた声。
猫の亡骸に手を触れて、魚名さんは静かに涙を流した。
千年後―――……
千年後の今日、お前は生まれ変わる。
そして見つけ出しなさい
きっと、願いを叶えなさい。
私も共に見届けましょう……
「……っ!」
水面に映っていた映像が、いきなり足元から湧き上がり、あたし達を飲みこんだ。
今度はなにっ……
苦しくて、グッと胸を抑えたその時。
それは波が引くように消えてなくなり、穏やかな風が頬をかすめた。
―――……月が、見下ろしている。
初めてこの地に降り立った場所に、あたしはひとり、立っていた。
星が、零れ落ちそうな程輝いていて。
一番星が、キラキラと宝石のごとく光った。
「……」
さっきと同じ?
うんん、雨が降ってた感じはしない。
頬を撫でる風は、乾いてるし。
寒くもない。
ん?あれは……。