あたしにはさっぱりわからなくて、トワの隣に座ったままふたりを交互に眺めた。
「その石は、はじまりの猫が持っていた石です。すべての元凶。猫の願い、そのもの」
「それも見えた」
はじまりの……石……。
この石……一体なに?
「でも、なんでこれを総司朗が持ってたの?」
不服そうに言ったトワ。
石と同じ輝きを持つトワの瞳が、グッと細められた。
「僕がお願いしたんです。真子さんに渡してもらうように」
「でも、これ……この石は、藍原で代々守って来たものだよ?それを、正宗が手にしてた理由がわからない」
「万吉(まんきち)さんから預かってたんだよ。もうずっと前に」
「じいさんから?」
目を見開いたトワ。
正宗さんはその石をこちらへと手を差し出した。
しばらく正宗さんの真意を探るように、眺めていたトワが諦めたように小さくため息を零した。
石を彼の手に乗せる。
それは正宗さんの手のひらの上で、踊るように転がった。
正宗さんが、懐から何かを取り出した。
見ると、それは真っ白な紙切れのようで、正宗さんは丁寧に蒼い石をし包んだ。
そして、目を閉じる。
「我に使える式神よ……中央五方五千乙護法、唯今行じ奉る」
口の中でそう念じ薄く瞼を持ち上げると、手のひらにフーッと息を吹きかけた。
その瞬間……
霧のような煙が現れて、それは正宗さんの目の前にユラユラ揺れた。
みるみるうちに、形を変える煙を固唾を呑んで見守った。
「カラリンチョウカラリンソワカ、急急如律令」
そして正宗さんが何かを指先で描くと、その霧状のものは急に実体化して、ストンと畳の上に降り立った。
あ……
「猫!」
そう、それはあたしをこの三國家に導いた、あの黒猫。
猫を従えた正宗さんは薄く微笑んで、それから真っ直ぐにあたしとトワを見ながら言った。
「僕の本当のお役目を果たす時が来たようですね」
本当の……お役目?
正宗さんは、ただ穏やかに微笑んでいる。
本当のお役目って、なに?
前にお花見の時に言っていた、“見届ける”とは違うんだろうか。
キョトンとして目を見張っているあたしに、正宗さんが口を開いた。
「さあ真子さん。 そのチャームについている石をこの式神に」
「え?」
この……ネックレス?
それは、あたしが誕生日に爽子からもらった猫のチャーム。
正宗さんが、ネックレスにするといいと言ってくれたものだった。
廉次さんのお店で買ったって、言ってたっけ。
あたし用の、特注だって。
慌てて金具に触れる。
そこで気付いた。
手が少し震えていた事に。
外すのに手間取っていると、それをトワが手伝ってくれた。
「あ、ありがとう……」
触れた指先が、そのままあたしの手を優しく包み込む。
オズオズと見上げると、口元を緩めたトワが、蒼穹の瞳を細めた。
“大丈夫だよ”ってそう言ってるみたいで、ふわりと心が軽くなる。
あたしの手の中には、ほのかにぬくもりを宿した猫のチャーム。
それをトワの大きな手が包み込み、そっと黒猫に差し出した。
猫はトテトテと歩み寄り、あたし達の手にそっと額を当てる。
――――その刹那……
手元から、物凄い風が巻き起こった。
「え、え?なにっ」
慌てて飛び退こうとしたけど、それは叶わなかった。
まるで何かの術にでもかかったみたいに、伸ばした手は、黒猫から離れない。
それどころか、見る見るうちに猫が再び姿を変えて、手の中に吸い込まれていく。
やっ……!
「……っ、正宗! どういう事!?」
ギリッと表情を歪めたトワが、あたしをかばうように肩を抱いた。
勢いを増す風に、たまらず顔を歪め、そのままトワの胸に顔を埋める。
あ、あつい……!
手の中が熱い!
やがてそれは真っ白な強い光を放ち、瞬く間にあたし達を呑みこんでいく。
抗えない……!
完全に呑みこまれちゃうその瞬間――――……
光の向こうで、正宗さんと目が合った。
―――……ドクン
ぽっかりと開いた真っ黒な穴。
その目は、まるで意志を持たない人形のようで……。
ま、さ……むねさん……どうし、て……。
ゆっくりと開いた正宗さんの口が、モゴモゴと動いた。
え?なに?
―――願いを……ねがい?
そこで、あたしは意識を手放した。
何かが物凄い勢いでぶつかっては、体をすり抜ける。
遥か遠くまで飛んで行くそれは、
強大な、何か。
苦しい……息が、出来ない。
落ちているような、飛ばされているような
無重力のような、どっちが上で、どっちがしたなのかわからない。
ただわかるのは……
ずっと、誰かに抱きしめられてるという事だけ。
守るように。
ずっとずっと、その腕はあたしを離さなかった。
―――――――……
――――……
「ん……」
サワサワと、頬を撫でる風。
夜露に濡れた、青い草の香りに重たい瞼を何とか持ち上げた。
薄く目を開くと、辺りは真っ暗で。
それが夜だという事に気付いたのは、しばらくしてからだ。
体……痛い……。
「っう……」
少しでも動くと、痛みが走った。
だるい……。
「真子?大丈夫?」
「あ……」
その声にハッとすると、心配そうにあたしを覗き込む、愛おしい顔があった。
「……トワ……?あたし達……」
腕に力をありったけ入れて、体を起こす。
トワはすぐにそれを支えて、あたしを抱き起してくれた。
「飛ばされたらしい」
とば、された?
キョトンとしてると、あたしを支えていたトワが「見て」と視線を巡らせた。
わけもわからずに、トワの視線の先を追いかける。
すると……。
「え……、うそ。なに、これ……」
目の前の光景に、息を呑んだ。
少し小高い丘の上にいるあたし達。
そこから、遥か遠くまで見渡せた。
漆黒の夜空
大きな満月
そして……
見た事もない街並みが広がっていた。
真っ直ぐ伸びる道、まるで碁盤のようなそこに同じような家が軒並み並んでいる。
「飛ばされたって事は……まさかだけど」
チラリと見上げるといつも通りのトワは、冷静にコクリと頷いた。
「うん。たぶん何百年も前」
「……そんな」
茫然と、またトワの視線の先を追う。
夜だから?
すごく静かで、街の明かりもほとんどない。
でも、それでもしっかりと見渡せるのは、あたし達の住む時代よりも、月明かりが強く感じたからだ。
……あ、でも……。
知ってる。
あたし、この景色知ってる。
なんだっけ……
「真子、それなに?」
「え?」
トワに言われ、初めて自分の手におさまってるものに気が付いた。
「なに、かな」
「ボール……じゃなくて毬?」
煌びやかな糸で編まれた、毬(まり)。
見た事もないそれは、確かにあたしの手の中にあった。
顔の位置まで上げて、マジマジと見る。
月の光に照らされたそれは、キラキラとまるで宝石のように輝いた。
「きれい……」
思わずそうつぶやいた時、不意に何かの気配を感じた。
ハッとして、あたしもトワも同時に振り返る。
え?どうして、そこに……。
それは、闇にぼんやりと輝く蒼穹の猫だった。
「……トワ?」
「俺じゃない」
本物のトワは確かに横にいて、あたしの手をギュッと握ってくれている。
トワじゃない……。
じゃあ、もしかして……。
「あなたが……はじまりの……」
言うと、蒼穹の猫はうやうやしく歩み寄り、座り込んだままのあたしの膝の上に、その小さな手を乗せた。
頭を垂れた猫は、ゆっくりと顔を上げて星空を映した瞳を細めた。
「―――探しました。
みな、貴女様をお待ちしております」
「え?」
凛とした声。
猫はそう言うと、トテトテと先に歩き出した。
そして、振り返る。
「今宵は月が綺麗にございますね」
そうつぶやいて、猫は林の中へ消えていく。
その背中を追いかけたまま、茫然と呟く。
「ついて来いって、事だよね」
「……うん」
あたし達はお互いを見合わせて、重い体を何とか持ち上げた。
猫についてしばらく歩くと、小さいけれどもしっかりとした造りのお屋敷に出た。
青白い光を放つ猫が、その屋敷の中へと消えていくのを見て、思わず立ち止まった。
「ねえ、この家って……」
「うん。三國の家だ」
真剣な眼差しを向けたままトワが頷く。
お屋敷に近づくと、不思議と人の気配はしない。
誰もいないんだろうか……。
恐る恐る敷居をくぐると、すぐに目の前に小さな動物が現れた。
「どこに行っておいでだったのです!みな心配しております」
「ね、ねずみっ?」
「ねずみなんて失礼な!私の名前をお忘れですかっ」
「へ?」
その鼠は、あたしのまわりとクルクルと忙しなく回り、最後はぴょんと跳ねた。
ちょ、ちょっと、さっきから変なんだけど、みんなあたしを誰かと間違えてない?
そう言おうとしたけど、でもその言葉はすぐに喉の奥に引っ込んだ。
「…………」
―――だって……。
「な、なにこれぇ……」
目の前に、次々と動物たちが姿を現したから。
ねずみ、牛、虎、兎、タツ、巳、馬羊、猿鳥って、これ……やっぱり十二支さんたち!
あたし達を取り囲むように十二支たちが並び、さっきの猫と同じ次々にお辞儀をしていく。
そしてみんな慈しむようにあたしを見上げ、その代表とでも言うように蒼穹の猫が歩み出た。
「今宵も、どうか楽しまれますよう……。さ、毬を投げて下さいませ」
深々と頭を垂れた猫。
「え?」
キョトンとしてると、猫にもう一度催促される。
「さあ」
「あ、はいっ」
言われるがまま、毬を天高く放り投げた。
――――すると。
満月に届きそうな程高く飛んだ毬は、煌びやかな光を放ち、それが辺りを埋め尽くした。
あまりの眩しさに、手をかざす。
真っ白になった世界。
次第にその光は消えて、残りの粒子がまるで雪のように降り注いだ。
一体、なにが起きたんだろう。
すごく、きれい……。
空を見上げていると、トワの声に我に返った。
「真子」
「あ!」
光の粒に触れた動物達が……次々と真っ白な煙に覆われて、その中から人間が現れたんだ。
それは見覚えのある光景だった。