……、総司朗さんからの手紙を、そんなに不審がるなんて……。


ピリッと封筒を開けると、中身を手のひらで受け止めた。



「なぁに?それ……」

「……」


真っ白な封筒から出てきたのは、小さな小さな、蒼い石。
まるで、トワの瞳の色みたいで、とても綺麗だった。

食い入るようにそれを見つめていると
、同じように視線を落としていたトワが、はっきりとした口調で言った。



「これ、総司朗からじゃない」

「え?……んー、でもあたし先生から預かったよ?」

「元々は違う人のだよ」

「……なんでわかるの?」


やけにはっきり言うトワに、オズオズと聞く。
トワはそんなあたしを見下ろしながら、寝癖をつけたまま言った。


「見えたから」

「は?」



見えた?
なにそれ……。

今度はあたしが不審がるばん。
それからトワは、あたしの手をギュッと握りしめた。



「真子、出かけよう」



え?




そして向かった先は――――……。




「やっとふたりで来ましたね。待っていました」


そう言ってニコリと笑ったのは、正宗さんだ。


久しぶりの三國家。
今日は、最初に来た時と同じ、正宗さん以外人の気配がしない。

正宗さんは、あたし達が来ることをわかっていたように頷いて、それから屋敷の奥へと招き入れてくれた。




「――さ。どうぞ」



通されたのは、見覚えのある部屋。

そうだ、ここはお花見の時に十二支のみんながいた場所だ。


前と違うところは、きちんと襖があいていて。
お庭から、12月の薄い空が見渡せることだった。


紺色の着物を身にまとい、座布団の上に優雅に正座をした正宗さん。

彼はその切れ長の瞳を細めると、真っ直ぐにトワを見据えた。
相変わらず、つくり物のように怖いくらい綺麗な正宗さん。
薄い唇が開き、真っ白な歯が覗いた。



「さっそく本題に入ります。トワ、見えたんですね?」

「ああ、見えたよ」


わかっていたみたいに、トワはコクリと頷いた。


あたしにはさっぱりわからなくて、トワの隣に座ったままふたりを交互に眺めた。



「その石は、はじまりの猫が持っていた石です。すべての元凶。猫の願い、そのもの」

「それも見えた」


はじまりの……石……。

この石……一体なに?



「でも、なんでこれを総司朗が持ってたの?」



不服そうに言ったトワ。
石と同じ輝きを持つトワの瞳が、グッと細められた。


「僕がお願いしたんです。真子さんに渡してもらうように」

「でも、これ……この石は、藍原で代々守って来たものだよ?それを、正宗が手にしてた理由がわからない」

「万吉(まんきち)さんから預かってたんだよ。もうずっと前に」

「じいさんから?」




目を見開いたトワ。
正宗さんはその石をこちらへと手を差し出した。
しばらく正宗さんの真意を探るように、眺めていたトワが諦めたように小さくため息を零した。

石を彼の手に乗せる。
それは正宗さんの手のひらの上で、踊るように転がった。


正宗さんが、懐から何かを取り出した。
見ると、それは真っ白な紙切れのようで、正宗さんは丁寧に蒼い石をし包んだ。


そして、目を閉じる。


「我に使える式神よ……中央五方五千乙護法、唯今行じ奉る」



口の中でそう念じ薄く瞼を持ち上げると、手のひらにフーッと息を吹きかけた。


その瞬間……


霧のような煙が現れて、それは正宗さんの目の前にユラユラ揺れた。

みるみるうちに、形を変える煙を固唾を呑んで見守った。



「カラリンチョウカラリンソワカ、急急如律令」


そして正宗さんが何かを指先で描くと、その霧状のものは急に実体化して、ストンと畳の上に降り立った。



あ……



「猫!」



そう、それはあたしをこの三國家に導いた、あの黒猫。
猫を従えた正宗さんは薄く微笑んで、それから真っ直ぐにあたしとトワを見ながら言った。



「僕の本当のお役目を果たす時が来たようですね」



本当の……お役目?


正宗さんは、ただ穏やかに微笑んでいる。

本当のお役目って、なに?
前にお花見の時に言っていた、“見届ける”とは違うんだろうか。


キョトンとして目を見張っているあたしに、正宗さんが口を開いた。



「さあ真子さん。 そのチャームについている石をこの式神に」

「え?」



この……ネックレス?


それは、あたしが誕生日に爽子からもらった猫のチャーム。
正宗さんが、ネックレスにするといいと言ってくれたものだった。

廉次さんのお店で買ったって、言ってたっけ。
あたし用の、特注だって。


慌てて金具に触れる。
そこで気付いた。

手が少し震えていた事に。

外すのに手間取っていると、それをトワが手伝ってくれた。



「あ、ありがとう……」


触れた指先が、そのままあたしの手を優しく包み込む。

オズオズと見上げると、口元を緩めたトワが、蒼穹の瞳を細めた。


“大丈夫だよ”ってそう言ってるみたいで、ふわりと心が軽くなる。




あたしの手の中には、ほのかにぬくもりを宿した猫のチャーム。
それをトワの大きな手が包み込み、そっと黒猫に差し出した。

猫はトテトテと歩み寄り、あたし達の手にそっと額を当てる。



――――その刹那……


手元から、物凄い風が巻き起こった。


「え、え?なにっ」


慌てて飛び退こうとしたけど、それは叶わなかった。

まるで何かの術にでもかかったみたいに、伸ばした手は、黒猫から離れない。


それどころか、見る見るうちに猫が再び姿を変えて、手の中に吸い込まれていく。



やっ……!


「……っ、正宗! どういう事!?」


ギリッと表情を歪めたトワが、あたしをかばうように肩を抱いた。
勢いを増す風に、たまらず顔を歪め、そのままトワの胸に顔を埋める。


あ、あつい……!
手の中が熱い!

やがてそれは真っ白な強い光を放ち、瞬く間にあたし達を呑みこんでいく。


抗えない……!


完全に呑みこまれちゃうその瞬間――――……


光の向こうで、正宗さんと目が合った。



―――……ドクン


ぽっかりと開いた真っ黒な穴。
その目は、まるで意志を持たない人形のようで……。


ま、さ……むねさん……どうし、て……。


ゆっくりと開いた正宗さんの口が、モゴモゴと動いた。

え?なに?

―――願いを……ねがい?






そこで、あたしは意識を手放した。




何かが物凄い勢いでぶつかっては、体をすり抜ける。

遥か遠くまで飛んで行くそれは、
強大な、何か。



苦しい……息が、出来ない。


落ちているような、飛ばされているような
無重力のような、どっちが上で、どっちがしたなのかわからない。



ただわかるのは……

ずっと、誰かに抱きしめられてるという事だけ。

守るように。
ずっとずっと、その腕はあたしを離さなかった。









―――――――……
――――……



「ん……」


サワサワと、頬を撫でる風。

夜露に濡れた、青い草の香りに重たい瞼を何とか持ち上げた。


薄く目を開くと、辺りは真っ暗で。
それが夜だという事に気付いたのは、しばらくしてからだ。



体……痛い……。


「っう……」


少しでも動くと、痛みが走った。
だるい……。


「真子?大丈夫?」

「あ……」


その声にハッとすると、心配そうにあたしを覗き込む、愛おしい顔があった。




「……トワ……?あたし達……」


腕に力をありったけ入れて、体を起こす。
トワはすぐにそれを支えて、あたしを抱き起してくれた。



「飛ばされたらしい」



とば、された?


キョトンとしてると、あたしを支えていたトワが「見て」と視線を巡らせた。

わけもわからずに、トワの視線の先を追いかける。

すると……。



「え……、うそ。なに、これ……」



目の前の光景に、息を呑んだ。


少し小高い丘の上にいるあたし達。
そこから、遥か遠くまで見渡せた。

漆黒の夜空
大きな満月

そして……


見た事もない街並みが広がっていた。

真っ直ぐ伸びる道、まるで碁盤のようなそこに同じような家が軒並み並んでいる。



「飛ばされたって事は……まさかだけど」


チラリと見上げるといつも通りのトワは、冷静にコクリと頷いた。


「うん。たぶん何百年も前」

「……そんな」



茫然と、またトワの視線の先を追う。
夜だから?

すごく静かで、街の明かりもほとんどない。
でも、それでもしっかりと見渡せるのは、あたし達の住む時代よりも、月明かりが強く感じたからだ。




……あ、でも……。

知ってる。

あたし、この景色知ってる。



なんだっけ……


「真子、それなに?」

「え?」


トワに言われ、初めて自分の手におさまってるものに気が付いた。





「なに、かな」

「ボール……じゃなくて毬?」



煌びやかな糸で編まれた、毬(まり)。
見た事もないそれは、確かにあたしの手の中にあった。


顔の位置まで上げて、マジマジと見る。

月の光に照らされたそれは、キラキラとまるで宝石のように輝いた。



「きれい……」


思わずそうつぶやいた時、不意に何かの気配を感じた。




ハッとして、あたしもトワも同時に振り返る。



え?どうして、そこに……。


それは、闇にぼんやりと輝く蒼穹の猫だった。



「……トワ?」

「俺じゃない」



本物のトワは確かに横にいて、あたしの手をギュッと握ってくれている。

トワじゃない……。
じゃあ、もしかして……。


「あなたが……はじまりの……」


言うと、蒼穹の猫はうやうやしく歩み寄り、座り込んだままのあたしの膝の上に、その小さな手を乗せた。


頭を垂れた猫は、ゆっくりと顔を上げて星空を映した瞳を細めた。



「―――探しました。

みな、貴女様をお待ちしております」

「え?」



凛とした声。

猫はそう言うと、トテトテと先に歩き出した。

そして、振り返る。


「今宵は月が綺麗にございますね」