①憑き物落とし~『怨炎繋系』~

 ――その名を口にした瞬間、獣と成り果てたソレは、自らの耳に指を突き刺す。鼓膜を破壊し、悲痛な雄叫びを上げながら、獣は事実を否定する。耳から、黒い液体が頬を伝う。

 そんなことをしても、意味がないというのに。


「諦めて、もう消えろ。お前の存在は、もう害しか産まないんだ」

「ろろろガガガがガアgろろろっろろ」


  鞭で打たれたかのように、激しくのた打ち回ると、黒く醜い肉塊をボロボロと落としながら、寺を飛び出し、外へと駆けていく。
正視に耐えない。狂気だけが奴 の四肢を支えているのだろう。

 僕もその後を追おうと、瑞町夕浬を抱え、なんとか外へ運び出す。

 ――しかし。

 もうそこに奴の姿はなかった。奴の場合、逃げよ うにも逃げる場所なんて、もうこの世にはないというのに――。

 辺りからは、サイレンの音が鳴り響いていた。誰かが通報したのだろう。こんな田舎でもきちんと救急車は駆けつけてくれるようだ。

 なんとかこのまま病院に直行することができれば、あるいは――。


「……ん……グ……う」


 けたましくこだまするサイレンの音に反応したのか、瑞町夕浬が薄く、その瞼を開いた。


「灰、川……さん」


「……すまない。奴は追い詰めたが、君にも、岡田さんにも被害を与えてしまった」


「……ア……ァ……玲二は……? ……どこ?」


「岡田さんは――」


 言いかけて、彼女は再び意識を失った。



  ――今回、僕は大きな責任、罪を背負ってしまった。


 いくら相手が常識を遥かに超える怪物だったとはいっても、途中まで、僕のやり方は通用しなかったといえる。

 僕の掲げる理論はまだまだ、この世界では未完成な――欠陥品だったということだ。それは嬉しいことでもあるのだが。

 ……そのせいで犠牲を出してしまっ たことは、悔やんでも悔みきれない事実だ。岡田玲二、そして瑞町夕浬にはいくら謝罪しても許してはくれないだろう。

 しかし、後のことは奴を掃ってから考えよう。

 まだ完全に終わったわけではないのだ。追い払ったにすぎない。


 ――この件には、僕の矜持の全てをかけて完全な決着をつける必要がある。



 ――最後の、仕上げに取り掛かろう。





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 ――夕浬。


 お前は生きてくれ。


 それが叶うのなら、俺の命にも相応の意味があったってことなんだ。


 この地獄を生き延びて、どうか幸せになってほしい。


 ……悲しいけど、もう一緒にはいられない。


 俺はもう、長くこの場に留まっていることは許されないようだ。


 そろそろ、行くよ。


 いままで、ありがとうな。


 またいつか、輪廻をこえてお前に巡り会えることを。


 今はただ強く信じてるよ。


 それじゃあ、またな。


 さようなら、愛してる――……。





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 優しく囁くその声は、やわらかな風とともに遠くへ去っていく。

 私が目を覚ました時、声の主の存在は、もうそこにはなかった。


 無意識にぽとぽとと、頬を伝っては落ちていく涙を止める術が見つかない。

 もう、それだけで私には全てを理解することができた。

 

 ――何よりも大切な人を失ってしまったのだと。

 私のせいで、彼を死なせてしまったのだと――。
「――瑞町さんに、責任はありません」

 不意に、私の耳に静かな声が届いた。

「僕の力が至らないばかりに、こんな結果になってしまった。本当に申し訳ない」

「灰川さん……そんなことはありません。責任は全て私にこそあります。全ての諸悪の根源は私自身の存在に関係している。そうなんでしょう?」

「瑞町さん、あなたは史上類をみない程に特別な意味をもつ存在なんです。この一連の事件は根深く全ての運命を巻き込んでいる。……もう、ここで断ち切りましょう。決着をつけるんです」


 私は目を閉じ、深く息を吸い込んだ。


  様々な感情が入り乱れ、うねりあげている。破裂しそうだ。

 半ば放心状態に近いのに、嵐のような激流を巻き起こす私の心が、打開できない絶望的な現状をなによりも物語っている。

 今はとにかく、胸の内を落ち着けるようにつとめる。そうしているうちに体の感覚が、少しづつ戻りはじめた。


「……体中が、いたい」

「かれこれ、もう丸一日ほど経っています」


 私は病室のベッドの上で点滴に繋がれ、両手、両足、至る所に包帯が巻かれていた。顔や頭も例外ではない。皮膚の表面は、火山岩のように歪んでいた。

 はは……これじゃあの化物と変わらないじゃない。

 ――これは罰なのだろう。

 罪深い私への、ごく自然なあたりまえの罰。


「その火傷は、普通のものではない。『呪い』です」


 そう言いながら灰川さんも同じように、黒く醜く焼けただれている左腕をみせる。


「僕も奴に掴まれたときにその呪いを受けました。この火傷がある限り、僕たちはもうどこにいても奴に感知され、追い続けられる」

「もう、逃げられないんですね……」

「ええ」

「……なら、潔く呪われて、死にましょう。あんな途方も無い化物、どうすることもできないし……それにどのみち、私にはもう生きていく気力も、意味も、もう――」


「あなたは、岡田さんの最後の言葉をもう忘れたのですか?」


「……。でも、あいつからは……」

「逃げられない。でも、こちらも迎え撃つ準備はできています」

「え……?」

「むしろ、虫に息なのは奴のほうだ。消滅の運命を知っていても尚、ここにやってくるしかないのだから」


 ボロボロに傷ついた体で、彼は自信に満ちていた。

 あの怪物をこの人も見たはずだ。あまつさえ、奴の呪いすらその身に受けているのだ。わかるでしょう? 

 この傷を通して厭でも理解させられる。あの化物の底なしの悪意と、絶望を。それなのに、どうして……?

 ……最初から、最後まで。

 この地獄のような非常事態の中を、彼は平常運転で進んでいく。


 ――そうか。
 
 そうなのだ。

 この人だけは、最初から信念を貫いていた。
 自分を『異質』と解きながら。
 ただ、自分のすべきことを一直線に。


「もうすぐ、夜が最も濃くなる。丑三つ刻です。……きてます、もうすぐそこまで」
 全身の真っ黒な火傷が、凍てつくように蠢き出す。

 病室が、地の底のような闇に包まれた。

 ここで全てが終わるのだ。

 想像もできないほどの最悪の苦痛とともに、奴に引きずり込まれるのか。奴を、この世から消し去ることができるのか。

 あの、薄気味悪い、獣の唸り声が徐々に迫り来る。

 はじまる。

 ――これが、私に憑く因果の怪物との、最後の邂逅だ。



「きゃっ……!」



 地鳴りのような呻き声が響いたかと思うと、突如窓ガラスが破裂し、床に散らばる。花瓶や医療器具も、見えない力により派手に歪曲し、破裂する。


「うがっ……!」


 竜巻のようなその衝撃に、灰川さんの体が勢い良く地面に叩きつけられる。そのまま、磁石のように、地に顔をつけたまま、起き上がれないでいる。



「kkkkkkgロロロロロロロロ……ゴポゴポ」


 ――静かに、奴は扉を開けると、地をはうようにして、私たちのほうへ近づいてくる。その姿は、昨日、あの寺で見たものとはまるで違っていた。

 肉体が崩れ、半液状化し、およそ人とは言えない、ただの『塊』となっていた。
 
 しかし、それでも、奴の内包する力だけは外見に反して増幅されているのをひしひしと肌で感じる。焼けただれた、奴と同じこの肌で。


「ロ? ロロおっロロロ? ロ? ロロロ」


 まるで蛭のように這いながらずるずると、黒い肉塊を引きずりながらこちらへと近づいてくる。奴の這った後の地面が、硫酸に灼かれたかのように溶かされていた。

 全身火傷の後遺症なのか、この場の異様な重苦しさのせいなのか。私の体の自由は、完全に奪われていた。辛うじて小さく、小刻みに呼吸することで精一杯だ。

 灰川さんも同様に、この圧力を前に地面に吸い付くように押さえつけられていた。



 ――直感的に、理解する



 こちらに這い寄ってくるこの化物に触れたら、その時点で――『終わり』だと。

 しかし、理解できていても、どうすることもできない。この圧力の前では動く事ができない。それは灰川さんも同じだ。


 これでは……。このままでは……。

 だめだ。もう、間に合わない。

 黒い肉塊が、目と鼻のさきにまで迫っている。

 ……終わりだ。そう確信し、目を閉じた時だった。









「――やめるんだ。『浅神夕浬』」








「――え?」


 灰川さん……?


「聞こえなかったのか? 止まるんだ、『浅神夕浬』!」


 わけがわからず、私はゆっくりと目を開ける。


「あんぎゃややあああああああああああああああああああああああああああああああああ」


 そこには、部屋の四方を狂ったように走り回りながら、大口を開けて黒い血液をまき散らす化物の姿があった。そのまま墨汁のような血を全て吐き出したかと思うと、今度は痙攣しながら力なくその場にへたりこんだ。

 一体、なにがどうなっているの……?

 気づけば、あの厭な圧力も消えていた。

 息を切らし、ふらつきながらその体を起こす灰川さんが静かに言った。


「瑞町さん、あなたは『浅神夕浬』じゃない。この化物こそが、『浅神夕浬』なんですよ」


「どういうことなのか……きちんと説明してください」


「……まず、最初の誤解は『媒体』が『臍の緒』であることから、コイツの正体をあなたの母、『浅神箕輪』であると考えたことでした」

「夢の内容とも合致するし、他に考えられる対象なんていないじゃないですか!」

「『浅神箕輪』は、きちんと彼女の墓に祀られています。あなたに罪の意識があるせいで、その事実には気づくことができなかったのです」

「そんな……じゃあ、私を襲うコイツの正体はなんなの!? コイツは……一体なんなの!?」


「……瑞町さん、そいつの『媒体』である『臍の緒』とは、あなたとあなたの母を繋ぐもの。という解釈は間違っていたんです」
 灰川さんは、静かに白木の箱を私に差し出すと、中の臍の緒を取り出す。


「『浅神箕輪』は、何度か瑞町さんを守ってくれました。あの寺で彼女から、僕は頼まれたのです『二人を助けて』と」



「『二人』……?」



 私と、玲二を?
 
 いや、その時に玲二はもう……。

 じゃあ灰川さん? 

 いや、それも違う。

 それじゃあ、まさか……。


「瑞町さんと……――『この化物』をです」



「……コイツを? なぜ……母が?」



「――母だからです。瑞町さん『媒体』の臍の緒は、いくつありましたか?」



 ――ふたつ。ふたつ、……あった。

 ただ欠けていただけなのだと思っていたが、もしあれが個々に意味を持つなら……?


 『臍の緒』。『ふたつ』。『二人』。

 
 ――そうか。

 そういうことだったのか。




「この化物の正体って……私の……」




「さすが、肉親は理解が早いですね。そうです。この化物と瑞町さんは双子の姉妹。あなたの――『姉』なんですよ」


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー……。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー……。


 僕は取り出した『媒体』を握りつぶした。


「アア嗚呼アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアああああああああ」

 もう、人と呼ぶのことのできないモノへと成り果ててしまった『塊』が、肉片をまき散らしながらこの場離れようともがく。

 醜く、節足動物のように手足を動かしながら、苦悶の表情を浮かべている。


「…… 彼女は、生まれてまもなく焼死しました。しかし、母体と繋がっていた為、『生きたい』という魂の渇望が彼女をまだ息のあったあなたの中に入り込ませたので す。その時、彼女は母の体を通り、臍の緒を通り、死を前にした苦痛や悲しみといった負の感情に当てられてしまった。これがこの事件の発端です」


「……私は、それじゃあ、自分の『姉』にずっと命を付け狙われていたというの?」


「……僕達の常識は通じませんがね。なにせ、『それ』は瑞町さんの自我が芽生えるよりも更に以前からあなたの内部に寄生し、あなたと同様に成長してきたのです。ずっと、『負』の感情を吸収しながら、ね」




 最初に想像を絶する母の焼死という心の痛みを。


 
 そして、瑞町が幼い頃からずっと抱え込んでいた心の傷を――。

 
 
 この化物はその身に取り込みながら膨張していったのだろう。

 

 ……でも、その行為そのものは……。




「……この『負』の感情を取り込むという行為は、瑞町さん、あなたの精神を守るために彼女がしたことだと、僕は考えています。そして、母、箕輪さんの死に際の怨恨の念を取り込んだことも、死後の箕輪さんを悪しきものに変えないために」


「じゃあ……この『姉』は私はたちのために犠牲になっただけ……?」


「……20 年間、あなたと箕輪さんのためにずっと尽くしてきた彼女は、ある日、もう自分は必要ないと気づく。あなたには恋人ができ、友人に囲まれ、陰鬱な家族から離 れて幸せな日常を送り始めた。その時、彼女はあなたという器の中から外へと飛び出した。……これが瑞町さんに彼女に関する記憶が抜け落ちていた理由でしょ う」



 推測が、やがて事実を紡ぎだし、多くの因果が、今、現在を織り成している。


 僕にできることは存在理由を理解し、それを対象から『掃う』こと で解決するということ。


 僕のこのやり方が今回のケースで通じないのは、この化物が『存在理由を奪われたがために現れた』例外中の例外であるからなのだ。


「悪意の塊。それしか持っていない彼女は、自然とその殺戮対象を瑞町さんと、その周囲の人物に設定してしまう。――そういう、破壊のプログラムしかされていないから。……これが今回の事件の全貌です」

 瑞町は、呆然としながらももがき苦しむ化物に、哀しげな眼差しを送っている。

 やがて、決壊したかのように涙を滴らせる。

 僕では、とてもその胸中を理解することは敵わない。

 想像を遥かにこえて、悲しみ、愛、憎悪。それら多くの感情が渦を巻いて奔流していることだろう。


「私は……私はどうすれば、いいの……? どうすれば、この哀れな姉を救う事ができるの? 私はこの姉を、憎くて憎くて仕方ない。でも、それ以上に、そんな自分が憎くてたまらない! どうにもできないの!」


「今 の彼女の行動理由とは『妹を取り込む』こと。しかし……この化物は、あなたの双子の姉ですが、元はひとつの存在だったものです。この『事実』を瑞町さんが 理解した今、もう自然な形で瑞町さんを取り込み、彼女が主軸のひとつの存在になることは不可能となってしまった。じきにこの化物は消滅します」


「もう、なにも……できることはないの?」


「僕にはありません。この消滅はあくまでも彼女の中でのみ完結する事象なので、僕の力では何も届かない。しかし、瑞町さん、あなたにはまだやれることがある」


「……できることはなんでも、します」


「逆に、この化物をあなたが『取り込んで』ください。事実を理解した今、もともと繋がっていたあなたにはそれができるはずです」
「取り込む……? そうしたら、姉と、私はどうなってしまうの……?」


「ここまで弱まったこの化物は、あなたの中で増長することはないでしょう。意識こそないですが、無我のひとつとして、静かにあなたの中で存在できるかもしれません」



「……わかりました。――不思議と、その方法はわかります……」



 瑞町は、涙を拭くと、まっすぐに蹲る肉塊を見下ろし、ゆっくりと近づいた。


 ――この先は、姉妹で解決することだ。



 僕は、静かに病室を後にした。



 廊下を通り抜ける風が、髪をゆらす。



 ――本件で僕にできることはここまでだろう。



 この哀しい姉妹の愛憎の物語はここでひとまずの幕を下ろす。


 奥底に隠された真実に辿り着くまでに、多くの犠牲を払ってしまった。このことを、忘れてはいけない。


 願わくば、せめてごく普通の、ありふれた安息が彼女たちに訪れることを祈るとしよう。



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 それから、もう一度私が目を覚ますまで、一週間の時が流れていた。
 

 病室のベッドの上で、祖母が泣きながら私を抱き寄せてくれたとき、全ての因縁から開放されたのだと、理解した。

 ……いや、それは正確には少し違う。

 たしかに今までの因縁は断ち切られ、開放された。ただ、それと同時に新しい因果に、もう私は巻き込まれているのだ。

 祖母は、あの夜に私と玲二を寺に隠すと、『媒体』を持ち、一人『囮』として実家に残った。そうまでして私を守ろうとしてくれたのだが、今回の件で私以上に 酷く責任を感じてしまっていた。

 号泣しながらきつく私を抱きしめる祖母に、事の顛末を説明しても、優しい彼女は自分を責め続けていた。


 体が完全に動くようになるまで、それから更に二週間の時間が必要だった。医者の見立てでは、すぐに動けるように回復するはずだったのだが、傷の回復具合から判断し てもこうまで障害が残るのはおかしいと話していた。

 その理由は、恐らく私自身が何よりも深く理解している。この体は、いままでの私のものではない。あの 時、新しく生まれ変わっているのだから。

 あの醜く黒々とした火傷の痕も、信じられないことにみるみるうちに薄くなり、今ではもうすっかり元の肌に戻っている。

 ――灰川さんはあの炎を『呪い』だと言っていた。

 つまりこれも、あの時、『姉』を私の中に受け入れた影響なのだろうか。

  私には、どのようにしてあの『姉』をこの身に取り込んだのか、その記憶がない。

 それは恐らく、あのときの私と、今の私が同一の存在ではないからなのだろう。

 その事実だけは理解していても、実際の記憶が抜け落ちているのは、つまりそういうことだ。

 ――誰だって自分が生まれた時の記憶なんて持ちあわせていないのだから。

 この、私自身の起源については、深く詮索しないほうがいいのだろう。



 今の私が、今後『私たち』として生きていくためにも。



 私は病院を出てから、まっすぐに母の墓へと向かう。今の自分達を、母に見せなくてはならない。そして謝罪と感謝を伝えなくてはならない。

  木々の並ぶ山道を自然の声に耳を澄ましながら進んでいく。

 麓の墓地に入り浅神の墓へと向かうと、その墓標の前に花と線香を捧げる。

 事の顛末を話し、これか らの生き方を母の前で誓う。母の言葉は、私の耳には届かなかった。それでも、肌に感じた心地の良い風が、全ての答えであるかのように思えた。


「またくるね、お母さん」


 もう一つ、行かなくてはならないところがあった。


  私は都内へと戻り、その場所へ向かう。途中、柚子と久々に再会を果たした。泣きながら私に抱きつき、無事を心から安堵してくれていた。柚子はずっと私の見 舞いに来ようとしていたようだが、完全に解決するまでは待って欲しいと、私が柚子にそう話していたからだ。

 この日常に戻る前に、心の整理する時間が必要 だった。

 それができたから、今、私はここに来ることができた。




「……玲二」




 岡田家の墓標の前に、私は花を手向ける。



「ありがとう……」


 
 流れ落ちた涙が、花を濡らす。

 玲二のおかげで、今わたしは生きていられる。

 あなたがいてくれたから。前を、向いていられる。

 胸を締め付ける深い悲しみと、それを覆う感謝が、心を震わせて。震わせて震わせて――私を包み込んでいく。

 生きていくっていうことはこういうことなのだと、新しく理解する。

 何よりも大切なものを失い。

 絶望し、憎悪した。

 でも、誰もそのまま沈んでいくことを望んでなんかいない。

 前を向け。止まるなと、ただひたすらに激励してくれる。

 どんなに苦しくても内ばかりを見つめていてはいけない。

 ――時は今も流れているのだ。

 流されるのではなく、進んでいくこと。

 そうして初めて、私は自分と向き合っていける。


 ……あなたのことは、絶対に忘れない。この胸に灯して、決して絶やさず生きていく。


「……玲二、本当にありがとう」


 そう呟き、立ち上がる。


 その時、踵を返す私の元へと、意外な人物が近づいてくる。