「あのさ、さっきは何で魁君を見逃してくれたんだい?」


さっきの不機嫌さから考えると、直ぐにでも後を追いかけて連れ戻しかねない勢いだった。

なのにそれを見送って、俺のところに来るなんて……

どういう風の吹き回しだ?


「何の事を言っているのかわからないな。俺は、アイツを見逃した覚えは無いぞ」


「え?」


俺を真っ直ぐに見ると、ニヤリと不敵な笑みを見せるアル君。


「俺の予定に変更は無い。予定通りマリアと食事をするよ」


「は?」


本人が此処に居ないのに、どうやって?

余程顔に出ていたのか、アル君は俺を見て面白そうに笑う。


「俺を見て、何か気付かないか?」


「アル君を見て?」


何だろうか?

別にいつもと変わらないアル君は、今日も格好いい……




「特に変わったところは、無いと思うけど……」


アル君を、ジッと見つめても全くわからん。


「俺の周りを見ても気付かないか?」


そんな俺に、助け舟を出したアル君。


「アル君の周り…?」


その言葉にジッと見つめていたアル君から、その周囲に視線を走らせると……


───ん? あれ……?


アル君が何を言いたかったのかを理解して、嫌な汗が背中を流れた。


「……違う」


俺の言葉を聞いたアル君が目を細めて


「やっと、わかった?」


楽しそうに微笑んだ。




「アル君……いつものSPのヴィクトルとグレゴリーが居ないのは何でかな……?」


アル君のSPの中でも凄腕のロシア人の姿が見当たらない。


「あぁ……あの二人なら、俺の代わりにマリアを迎えに行ってるからな」


アル君の言葉に背筋が凍る。


「え…マジで?」


紅茶を飲みながら質問に答えるアル君と、それを聞いて頬が引き攣る俺。


───そんな事したら、折角のサプライズが台無しになるじゃないかっ!!


「ちょっと、アル君!!」


何とか魁君のデートを許してもらおうと、声を掛けた時だった。

アル君の胸ポケットにあったスマホが呼び出しを告げる。

それをスマートに取り出したアル君は耳に当てると


「Hello.」


話し始めて直ぐに顔を顰めて不機嫌になった。

暫く英語で話をした後に、通話を終了させたアル君は


「信じられない……あの二人が撒かれるなんて……」


額に手を当てて、ソファーの背に凭れた。

その様子から、どうやら魁君は凄腕のSP二人を上手く撒いたらしい。


───ナイス、魁君っ!!!


俺は、アル君に気付かれないように小さくガッツポーズをした。




「お前の弟、本当にただの高校生かよ!? あの二人を撒くなんて……」


言葉を失うアル君は「はぁ」と溜め息を吐くと、俺を恨めしそうに睨む。


「あのねぇ、俺を睨まないでくれる? それに魁君は正真正銘、高校生。
そんな事は、確かめなくても知ってるでしょうよ?」


未だにムスッとしているアル君に言い返せば


「くそっ! 折角、マリアの好きな日本料理を予約したのに……」


心底、悔しそうに吐き出した。


「じゃあ、俺が代わりに食ってやるよ」


予約をキャンセルするのも悪いし、名案だと思って言ったのに


「何で俺が、野郎と向かい合って食事をしなきゃいけないんだよ! 仕事じゃあるまいし」


物凄い嫌な顔をして即答された。

それを「まぁ、まぁ」と宥めて時計を見れば、ちょうどアル君が予約した時間で。


「ほらほら、予約した時間だよ。こんな時間にキャンセルしたら失礼だから、早く行こう!」


嫌がるアル君を半ば強制的にエレベータに乗せて、美味しいご飯を食すべく8Fのボタンを押した。


───魁君。アル君のお守りはお兄様に任せて、マリアちゃんとのデートを楽しんでくるんだよ!


アル君の奢りで美味しい食事を堪能した俺達。


その後は、28Fにあるスカイラウンジで美しい横浜の夜景を眺めながら酒を飲んで、最後はアル君の愚痴を聞きいて夜は更けていった。








魁さんに右手を繋がれて、ホテルを後にした私。

聞きたい事は沢山あるのに、無言で歩を進める魁さんに話し掛けるタイミングを失っていた。


───魁さん、何処に行くんだろう?


ホテルから出れば冷たい風が吹き抜けて、魁さんと繋がっている手に力が入る。

それに気が付いた魁さんは


「寒いか?」


振り返って私の顔を覗き込んだ。


───うわっ!


いきなり近付いたダークブラウンの瞳と視線が交われば、一気に顔が熱くなる。


「ちょっと風が冷たくて、ビックリしただけです」


慌てて言えば「そうか」と、優しい笑顔を見せる魁さん。


───どうしちゃったんだろう、魁さん……


いつもならピリピリと張り詰めた感じで人を寄せ付けないような雰囲気なのに、今日は魁さんが纏っている空気がとっても穏やかで優しいような気がする。



魁さんの笑顔は、心臓に悪い。

今も繋がれている手から、心臓の音が伝わっているんじゃないかってくらいドキドキしている。


───かっこいいなぁ……


思わず魅入ってしまう。

今日の魁さんはラフな格好ではなく、ダークグレーのスーツに白シャツの襟元にはワインレッドの細身のネクタイ。

黒のロングコートを羽織っていて、キラキラとしたイルミネーションの光に照らされた魁さんは、見惚れてしまう程かっこいい。


───何処かに出掛けるつもりだったのかな?


人混みの中で立ち止まった私達を、通り過ぎる人がチラチラと見ながら通り過ぎて行くけれど、その視線の先は間違い無く魁さんに向いている。

中には魁さんに気付いた人が驚いた顔をして、ヒソヒソと話している人もいて……


ここら辺、一帯で有名過ぎる魁さんは何処に居ても目立つ。


───普段でも目立つのに、この格好は……


行き交う人の注目が集まる中、ふと顔を上げて横に視線を流した魁さんは一点を見つめて目を細めた。




どうしたんだろう?


「───チッ……」


その瞳に何かを捉えたのか、舌打ちをした魁さんの眼光が鋭くなる。


「魁さん…?」


魁さんの視線を追おうとすれば


「───行くぞ」


再び手を引かれて歩き出した。

その後姿は、さっきまでの穏やかな空気を掻き消して、いつものピリピリしたオーラを纏っている。

さっきよりも足早に歩く魁さんに、何かあったのかと口を開こうとすれば


「───うぜぇ……」


ぼそりと呟いた、不機嫌な声。


───か、魁さんの機嫌が悪くなってる……


何で?

思考を巡らしている間にも、魁さんはどんどん混雑する駅の方に向かって進んでいた。


「撒くか……」


その言葉と同時に右手をグイッと引かれて、私の手を離れた魁さんの左手はそのまま私の腰を捕らえた。




「うひゃっ!」


突然の出来事に、奇声を上げた私。

その声にビックリした魁さんが、きょとんとした顔をして私を見た。

勿論、近くに居る人達も何事かと振り返って見ていく。


「どうした?」


「す、すみません……突然の事で、びっくりしただけなんです」


だって、魁さんの手が私の腰にっ!


「びっくり?」


「は、はい……男の人に腰を掴まれた事なんて無いので…」


恥ずかしくて尻窄みになっていく私の声は、魁さんの耳には届いていたらしく


「へぇ……」


心底、楽しそうに笑う魁さん。


───あれ? 不機嫌が直ってる?





「───マリア」


名前を呼ばれて再び視線を合わせれば、魁さんは私の足元へと視線を向けて


「この靴で走れるか?」


「はい?」


面白い事を言い出した。


「このパンプスでですか? 走れない事はないですけど……遅いですよ、きっと……」


率直な意見を述べれば、何やら考え始めた魁さん。

今の魁さんの発言から考えると……


───私、これから競走でもさせられるの?


このパンプスじゃ、あまり走れないと思うけど……


「最悪、抱えるか…」


独り言のように呟いた魁さんの言葉は、周りの喧騒でよく聞き取れなくて。


「…………?」


何でそんな事を聞いたのかもわからないまま、魁さんは私の腰に添えた手に力を込めると


「マリア。一度、改札を潜ってホームに行くから、俺が合図をしたら階段を駆け上がって停車している電車に乗り込め。」


捲し立てるように言い放つと、足早に近くの改札へ向けて歩き出した。