ブラックをすすめるたびに 「胃がもたれるから」 と言い訳する結歌は、スプーンに角砂糖をひとつ乗せカップにゆっくり沈ませた。

音をさせることなくゆるやかに回したのち少し持ち上げ、表面で雫が収まるのを待ち、ゆっくりスプーンを持ち上げ 静かにソーサーに置く。

一連の動作は何度目にしても美しいと思う。

「いただきます」 と行儀良く挨拶をしてカンノーリを頬張り、 「美味しい」 と感嘆の声を上げ、エスプレッソカップを軽くつまみ口に運ぶ。

カップをソーサーに戻すとまたカンノーリを口にして、今度は目を閉じてうっとりとした表情を浮かべている。

イタリアで馴染んできた菓子に出会えた嬉しさを大きな身振りで示しながらも、カップを扱う手は優雅な流れを崩さない。

結歌と一緒に食事をした回数はそれこそ数え切れないが、二人の間で気のおけない会話が当たり前になり 遠慮のない言葉がかわされるようになっても、食事をする姿が乱れることはなかった。

「母に厳しく注意された覚えはないのよ」 と結歌は言うが、身についた優雅な仕草はお母さま仕込みである。

美しい仕草と感情が弾けた動作のアンバランスが、いかにも結歌らしいと思うのだった。



「この味、懐かしいわ」


「帰国して一ヶ月よ。懐かしがるほどじゃないでしょう。おおげさね」


「だって、日本でこれほど本格的な味に会えるとは思わなかったのよ。 

ねぇ、珠貴のビスコッティ、ちょっともらってもいい?」


「どうぞ、こちらも美味しいわよ」


「うふっ、ありがと……珠貴、ホントにごめんね」


「まだ言ってる。それ以上言うと怒るわよ」  


「でも……」
 


結歌が神社の庭で宗に仕掛けたいたずらは、彼女の思惑を大きく外れ、とんでもない方向へと向かっていた。
 
それもこれも、昭和織機の丸田会長の出現によるものだった。 

父の誤解は、結歌のお父さまのとりなしにより解決したというのに、丸田会長の勘違いなおせっかいから宗と結歌の縁談まで持ち上がり、私の苛立ちは募っていた。

彼女のせいではないとわかっていながら、大事な友人を疎ましく感じてしまう自分も嫌だった。

こんな気持ちのまま会いたくないと思ったものの、誘いを断る勇気もなく出かけてきたのだが、結歌の無邪気な顔を見ているうちに胸の靄はいつしか消えていた。

そればかりか、結歌はかけがえのない友人であるとの思いがいっそう強くなったのだった。



「今夜ね、結歌のお父さまと宗一郎さんがお会いしているはずよ。 

丸田会長の動きを封じる作戦を練るんですって」


「それだけど……父の都合でキャンセルになったの……あぁ、どうして上手くいかないのよ。 

本当にごめんね」


「また謝った。絶交するわよ!」


「わぁっ、ごめん。あっ、今のは違うのよ。もぉ、なんていったら言いのよ」


「約束の時間、そろそろでしょう?」



手を振りながら必死に弁解していた結歌が、思い出したように時計を見た。

今夜遅く人に会う予定が入っているらしく、それまで付き合ってほしいと言われ、イタリアンスイーツ専門店の  『夜のカフェ』 に誘ったのだった。



「ありがとう、時間に遅れるところだったわ。さっ、いきましょう」


「いきましょうって、私も行くの?」


「そうよ」


「どこに連れて行くつもり?」


「キョウコ・コダマ先生にお会いするのよ。すごいでしょう!」



名前を聞いても、誰なのか私にはわからない 。

とにかく一緒に行けばいいからと言われ、結歌に引っ張られるように店を出てタクシーに押し込まれた。

車中でこれから会う人物について聞かされたが 「ふぅん……」 と関心のなさそうな顔をすると 「ウソッ! 本当に知らないの?」 と結歌にかなり驚かれた。 

その方は非常に忙しく、簡単には会えない人だということだけはわかった。