「ありがとうございました」


「大事にならず良かったですね。気分はいかがですか」


「おかげさまで苦しさもなくなりました。なんとお礼を申し上げてよいのか……」


「いえ、当然のことをしたまでです」



顔色が戻った老女と、どこかで聞いたセリフをかわしていた。

ドラマの中でもくり返しくり返し礼が伝えられ、武士は恐縮するばかりだった。

そして気がついたのだった、須藤社長との約束の時刻が過ぎていることに……

胸を押さえて倒れこむ人を見かけてから、どう考えても二時間以上はたっている。

確かめてはいないが、携帯には珠貴からの着信が何件も入っているはずだ。

返信のない私へ怒りを覚えているのか、それとも心配してくれているのか。 

約束の時刻になっても何の連絡もなく姿を現さない私に、須藤社長は呆れ憮然としていることだろう。 

私は与えられたチャンスを、二度も逸してしまった。


思い出したドラマの場面は、私の未来を暗示していた。

縁起の良いネクタイもカフリンクスもなんの効き目もなく、珠貴が願った八百万の神のご利益もなかった。

この老女に出会った瞬間、私の運命は決まったのだ。
  
いや、その前からこうなる運命だったのかもしれない。

どれほど力を尽くしても、珠貴の父親にたどり着けないのだから、これはもうどうにもならないようだ。

駆け落ちでもしない限り、私と珠貴が同じ道を歩く可能性はないのかもしれない。

老婆を医者にみせたあと、道端に転がった酒樽をひろい、うなだれて歩いていた武士の背中が自分の姿と重なった。


そういえば、ドラマの中の武士はその後どうしたのだろう。

弁解もせず破談を受け入れたのか、はたまた、想う相手と駆け落ちでもしたのだろうか。

私の将来を暗示しているような物語の最後が気になった。

目の前の人は 「このご恩は一生忘れません」 とドラマでも言っていたセリフを口にした。

けれど、次の言葉はドラマと異なるものだった。




「焦ってはいけませんよ」


「はっ?」


「申し遅れました。小玉と申します。あなたに言の葉をお伝えしたいのですが、よろしいでしょうか」


「言の葉ですか。はぁ……」



ためらいながらも、小玉さんはこんなことを伝えてくれた。

先ほどまで苦しみに喘いでいた人とは思えぬ力強い声で、途切れることなく一気に語られた。



「あなたの前に、大きな壁が立ちはだかっていますね。 

乗り越えることも壊すこともできず、大変苦労していることでしょう。

けれどはむかってはいけません、受け入れて融合させなさい。

いずれあなたの大きな力となります。  

今まで起こった出来事は、これから先のすべての事柄につながっています。

今はまだ時期ではありません、辛抱強く待ちなさい。

我慢できずに諦めれば幸運を逃し、あなたの運もそこまでです。

こちらから仕掛けてはいけません。あなたが望む機会は向こうからやってきます。 

そのときは突然やってきますが、あわてることはありません、冷静に向き合いなさい。 
 
そうすれば、必ず願う未来を手につかむことができます。

真珠を持つ人が身近にいますね。強運の持ち主です、あなたと絆も深い。 

真珠を持つその人はあなたを生涯護るでしょう。決して手放してはなりませんよ。

もう一度申し上げます、諦めてはいけません」



話し終えると女性の体は急に傾き、それまでの力を使い果たしたように崩れた。

とっさに支えた私の手がなければ、ベッドから落ちていただろう。 

まるで未来を見てきたかのように断言する語り口調は、聞きながらも気持ちの良いもので、いつしか私は言葉の力に励まされていた。