誰かが近付く気配に、意識だけが覚醒する。
柔らかな髪が頬を撫でたと思うとすぐに、唇に柔らかいものが触れた。
暖かい、と感じると同時に、唇を割って入ってきたものが歯列をなぞる。
頬に添えられた小さな手も、柔らかな唇も、震えていた。

「…ん」

小さく漏れた声が自分のものではないようで、でも今自分に触れている彼女の声ならもっと甘く響くだろう。
目を開ければ、焦点も合わないくらい近くにある、長いまつげに縁取られた瞼。
何かを探すように歯列をなぞっていた舌が、鋭い牙に触れると小さく震えた。

「…っ、やめ、」

「っ…!」

何をするのか理解して、制止しようとした言葉ごと飲み込まれてしまった。
つぷり、と餓えた牙が柔らかな舌を貫く。
薄い舌では貫通してしまうのではないかと思う間もなく、甘美な血の味が舌に纏わり付いた。

「んぅ…っ」

理性に反した本能が、もっと、と強請るように血を溢れさせる舌に吸い付く。
唾液と混ざり合って少し薄くなった、それでも甘い甘い血液を、喉を鳴らして飲み下す。
小さな傷口から血が止まるまでの僅かな時間、背徳感すら甘く感じながら、俺たちは唇を離さずにいた。


***


「…馬鹿」

顔を離して、俺の肩に頭を預けるように俯いている綾の頭を撫でてやる。
視界の端に見える耳は真っ赤に染まっている。

「…ごめん、なさい」

「もっとさ…方法、思い付かなかったの?」

「だって…傷作ってバレたら怒られちゃう、から…」

美波さん怒ると恐いんだよ、と言い訳をする。
ぽん、と頭を叩けば、言い訳は小さく謝罪の言葉に変わる。

「…まぁ、でも体、楽になったし助かった…ありがとな」

「うん…っ」

「でも、」

礼を言うと嬉しそうに頷いた綾の頭を掴んで、無理矢理顔を上げさせる。
目を合わせようとすると、気まずそうに視線を泳がせる。

「やっぱり方法が駄目だろ。しかも俺なんか…」

「だめじゃない…っ、高瀬さんだから…!」

「…俺、だから?」

ますます赤く染まっていく頬を撫でる。

「そういうこと言うと、調子乗るから、駄目なんだって」

「調子、乗って…いい…」

涙すら溜まり始めた目尻を拭う。
これ以上赤くならないというほど顔を赤くしている綾の唇を指先でなぞった。

「じゃあ…キスしていい?」

「え…まだ足りない?」

こっちがいい?と戸惑うことなく白い首筋を曝す甘い誘惑を断る。

「違う。普通に、キスしたい」

「…えっ、いや、あの…っ」

意味を理解して、しどろもどろになる綾にこっそり笑って、柔らかな唇に触れるだけのキスを送った。

「綾、好きだ」

「…順番、逆だよ…」

「先にしたのはお前だろ?」

「~っ」

「好きだよ、綾」

「……わた、しも…」

「なに?聞こえない」

「もぉ、意地悪っ!」