ほんのりと赤身を帯びた、桜の木が見える。 鮮やかな緑色の芝生が広がる丘の上に、金色の髪の毛を靡かせて、凛として立つ人影。 そして親しく寄り添う少女。 爽やかな風で、二人の頭上を花びらが舞う。
 「おねえちゃん。 何を見てるの?」
 「夕日の向こうに、希望の光を見ているの。 希望の未来を」
 「どういう事。 ひとみ、判らない?」
女性はゆっくりとしゃがみ、少女の目線で瞳を見つめながら、申し訳なさそうに謝る。 「又だめだったみたい。 ごめんね。 本当にごめんね。 でも私は、何度でも挑戦する。 ひとみちゃんを助けるために。 決して諦めない」 
少女には、女性の言葉の意味が全くわからない。
「あ……。 空が変。 誰か来る?」 
空を茜色に染めた夕日を背中に、隆一を抱えた守が、かげろうのようにダイブアウトしてくる。 そして隆一の亡骸を桜の木の下に担い、ゆっくりと電子銃をかまえた。
「マリア。 もう十分だろう。 少女を解放してやれ。 お前のわがままで、何度も放射能の高熱にさらすのは、可哀想だ。 ここで終わりにしよう。 歴史が人類に裁きを与えたように、俺とお前の裁きは、歴史が下すだろう」
マリアは険しい表情から、一転安心したかのように、優しく頬をゆるませた。
「守の言う通りね。 でも私は明るい未来を諦めない。 かすかな光でも、届くまでは……。 ここで諦めたら、今までの行動が全てむなしい事になる。 あなたと戦ってでも、私は希望の光をつかみ取る。 でも、 あなたに阻止されるなら、私は本望よ。 守。 私を止めてみて」
マリアは寄り添う少女の瞳を見つめ、優しく抱き寄せ囁いた。
「ひとみちゃん、少し時間をちょうだい。 絶対に戻ってくるから。
未来を掴んで来るから」
 少女は状況を理解できない。 しかしマリアの言葉を信じ、うつむき小さくうなずいた。
守はマリアと向き合う少女を見て、疑問に思った。
広島の原爆体験の時に、抱えながら消えていった少女に、どことなく似ていると。
マリアは目を見開く。 ダイブスーツのリミッターを解除して、エネルギー最大で、守がダイブアウトした出口に飛び込んだ。
 守も全開で後を追う。
「マリア。 今からでは、俺が後にした時代に戻れない。 別の過去にダイブアウトするようになる。 手遅れだ」
マリアは解っていた。 守のたどった世界に戻る事が容易でない事を。 なぜなら、守が広島に原爆を落として去った入口が、すでに閉ざされてしまえば、二度と同じ時代には戻れないからである。 歴史は大きな変動がない限り、元通りの歴史に修復してしまうからである。
マリアは暗黒の時空空間を限界ギリギリまで飛ばし、心の光、希望の光を目指した。 心臓の鼓動が全身に響く。 すると見つめる視線の向こうに、一筋の光が現れた。
その光は弱々しく、今まさに閉じようとしている。
 「とどけ…… とどけ……」
マリアはその光めがけて、入口をこじ開けようと電子銃の弾丸に希望の思いを乗せ、何度も放った。
入口の光は、よどみ激しく変形した。
守は閉じようとしていた扉の衝撃に備えて、マリアに覆い被さる。
マリアと守は重なり合うように体を強引にねじ込み、激しい衝撃音とともに時空の壁を突破した。
二人は呼吸をするのも忘れ、落下中の原爆を探す。
矢のような勢いで、原爆炸裂高度580メートル目がけて落ちて行く。
「原爆は、どこ……?」
「あった!」 ダイブスーツのパワー全開で飛ばす。
「もう少しで届く。 あと少しで時代を掴む。」
だが二人に残されて時間はない。 900メートル、300メートルと、凄まじい勢いで原爆に迫る。 二人の緊張は限界を超えていた。
けたたましく、ダイブスーツのデッドサインの警報が鳴る。
あと少し、マリアの右手が原爆に触れようとした瞬間。
「間に合わない。 爆発する!」
爆発回避のために守は、マリアと自分の強制ダイブボタンに手を伸ばした。
「ピカー……!」 「ドーン……!」
強烈な閃光が走り、瞬間的に大気が膨張し、強烈な爆風と衝撃波が音速を超える。 この光景を後に、《ピカドン》と呼ぶ。
爆発の衝撃波が、光の後に来るからである。

二人は間一髪、揉み合うように時空空間に飛び込んだ。
マリアはあと一歩のところで、掴みかけていた時代を、そして希望の光を逃した。 孤独なプライドは幻に変わり、自分の力のなさを嘆き、絶望の中で落胆した。
 もう二人のダイブスーツのエネルギーは、僅かしかない。
かろうじて、少女のいる時代に戻れる程度であった。
二人は力なく少女の待つ時代に向け、時空空間を進んだ。
「何故そんなに、あの少女にこだわる……」
マリアは諦めきれない気持ちを懐きながら、守の疑問に答えた。
「私は、守と隆一と同じように孤児院出身なの。 私は母の記憶が全くない。 でも母に会いたい。 人混みを見ると、見たことの無い、
母の面影を探してしまう。 会いたい一心で、色々な時代や、場所にダイブして手がかりを探した。 やっとの思いで、孤児である母の足跡を見つけた。 それが、ひとみちゃんがいるワシントン州の孤児院。 しかし、母はいなかった。 何故かは解らない。
核戦争で、微かな糸口も無くなった。 当時、母と同じ苦しみを味わった少女を見ると、他人事には思えない。 生きていれば、同じ年代の女性に優しくせずにはいられない。 私は歴史を変えて、母に会いたい。 ひとみちゃんを助けたい。 ひとみちゃんは、私にとって希望の光なの。 でもその我が儘が、ひとみちゃんを何度も何度も、苦しめる事になった。 正直、苦しかった。 耐えられなかった……」

桜の木の下で待つ少女は、真っ赤な太陽を見つめ、マリアの無事を案じ、胸に手をあてて祈った。
マリアと守が崩れるようにダイブアウトして来る。
マリアは涙を流しながら、膝をつき這うように少女に近づいた。
震える声を出して、力強く少女を抱きしめる。
「ひとみちゃん、今まで本当にごめんなさい。 私の我が儘で、何度も痛い思いをさせて……。 もう1人にはさせない。 私も最後まで一緒にいるから」
辺りは一変した。 暖かい太陽の光を消すように、激しい光が
三人を包んだ。
マリアと守には、事態を好転させるエネルギーは残されていなかった。
 二人は覚悟していた。 しかし気丈なマリアが人生で初めて弱音を吐く。
 「守。 私……。 怖い……」
 「大丈夫だ。 俺も最後まで一緒だ……」 
守は自分のダイブスーツのジャケットを、やさしくマリアの肩にかけ、少女を優しく抱き寄せ、隆一の肩に手をおいた。 
 「止めてくれてありがとう。 もう、怯えなくていい。 あなたといる時だけ、孤独を忘れられた。 ありがとう。 私は、あなたを……」
 その瞬間5000度を超える熱風は、4人の心を解放するように
癒すように、天空に誘った。
マリアの望んだ希望の光は輝きを失い、歩んだ道はむなしい風となった。 魂はさまよい、時空を漂い、時の河は幾度となく流れた。
人類が犯した罪を、浄化するように。

春の暖かい風が吹く。 夕日の光が眩しく降り注ぐ。
小鳥がさえずり、満開の桜の花びらが、風で空を舞う。 美しい桜の木の下に、痛々しく傷ついた少女がダイブスーツに身を包み、倒れている。 心と体を癒すように、花びらが少女の頬をつたう。
そこに、葉巻をくわえた黒ずくめの謎の人物が、静かに近づき少女を優しく抱きかかえた。
 「あなたの大事な大事な希望の光を、未来の思いを、今受け取りました。 あなたが歩んだ道を、この少女は必ず照らしてくれるでしょう。 あなたの眼差しはそこにあります。 そして私は、もう一度思い出を無くした息子と出会う為に……。
魂よ、安らかに……。 最高の指導者、マリア様へ」

END

作 山中隆広