その日は、月がとても綺麗な夜だった…。





古くからその場所に佇む山神神社では、






それが始まった年数と



祈りの数だけ




緑色の苔が見事に育ち、





それらは、今宵の月色にとてもよく映え





緑と、白と、碧の微妙なコントラストが



都合よく良く混ざり合い、




幻想的で神秘的な世界を映し出していた。







彼の鎮座する奥の間の境内からは、それらがとても良く見える特等席であったが、





彼は、ただ、ただ、



ボンヤリと、




なんとんなく




月夜の創るそれらの世界を



瞳に映しているだけだった。









今、彼の頭の中を埋めているのは、


昼間に見た、娘の無邪気な笑顔だった。


壊れたテープレコーダーのように、


その姿を何度も何度も反すうさせ、




今宵の見事な月夜ですら、



彼の心を捕らえる事は出来ないようだった。





一口、酒を口元に運んでは


深くもない、そして浅くもない溜息を吐く彼に、


彼の世話係の巫女は首を傾げていた。



彼のその仕草を不思議に思いながらも


彼の機嫌を損ねる事に恐怖を感じ、


彼の傍らで、ただ、ただ、酌をするしかなかったのだ。







そんな沈黙を、久しぶりに耳にする

聞き慣れた声が破った。




「山神。久しぶりだな。

こんな美しい月夜に浮かない顔をしてどうした??
 
巫女殿も困った顔をしているぞ」



その声に我を取り戻した山神は

声の主の名を口にした。



「犬神か…」




振り返るとそこには、酒樽を肩に掛け、


部屋の入り口の麩に、だらしなくもたれる銀狼の姿があった。





「酒を持って来た。同席させて頂いても??」




銀狼の問いかけに、

山神は巫女に目配せをし、


彼の隣に酒の席をもう一つ作らせた。





幾日ぶりに姿を表した銀狼に山神が訪ねた。



「お前…最近、姿を表さなかったな…。どうしていた??」




「…別に…ちょっとした野暮用だ…」




表情も声色も変える事なく、さらりと返答する銀狼に

彼はそれ以上聞くことはなかった。



「チンっ」


盃と盃のぶつかり合う、乾杯の音が響いて、



月が、向かい合って酒を楽しむ二人の影を作った。