「……うん……」
気を失っていた娘が
牡鹿に扮した彼の懐の中でモゾモゾと動いた。
ボンヤリとした表情で宙を見つめるその瞳は、
まだ状況が飲み込めていないようだ。
柔らかい毛皮が娘を包み込む。
「……フワフワだぁ……」
娘は、彼に顔を埋める。
そんな娘の様子を黙って見ていた彼が
ため息混じりに呟く…。
「………呑気な奴だ……」
「…………」
こぼれ落ちそうな、娘の大きな瞳と視線が絡んだ。
彼は、牡鹿に扮したその姿を見た娘が、
叫び声の一つでもあげるかと思ったが
その期待はあっけなく裏切られる。
「やっと出てきてくれたのね。」
娘は、ふんわりとした屈託ない笑顔を彼に向けている。
ーーー驚いた…。
その無邪気な表情に捉えられそうになる…。
「……… 変な娘だ…」
彼はそう呟いて、ぷいっとそっぽを向いた。
娘のその笑顔に捉えられそうになった事が妙に恥ずかしく思えたのだ。
「キャっ!!」
娘が唐突に短い悲鳴をあげる。
驚いてそっぽを向いた視線を娘に合わせなおすと……
娘は崖を指差し、彼の瞳におずおずと訪ねてきたのだ。
「わたし…、もしかして、落ちちゃったの…?」
思わず彼は顔をしかめる。
「…………あぁ、そうだ…。痛む所はないか?」
「う…ん?…あれ…??
あはは!…足……、挫いちゃったみたい……」
ーー呆れた娘だ。
彼は、心底そう思った。
「…お前、何とも思わないのか?」
「………ん〜…。この崖、登れるかなぁ…?」
「………そうじゃなくて……!
俺が喋ってる事についてとか、
何故ここに居るのかとかっ!
何も思わないのかと聞いている!!」
見当違いの答えばかり返す娘に、むずがゆいような苛立ちを感じる。
苛立つ彼に娘が一瞬キョトンとほうけた顔をこちらに向けたが
すぐにクスクスと笑い出した。
「そうね、そうだったわね。
私、子供の頃から、そういうのが見えちゃうし、聞こえちゃうの」
ーーなるほど。
人柱になる程の能力を持った娘だ。
巫女でなくてもそういう能力があって不思議はない。
「それに…」
娘が続ける。
「あなたから、悪い感じはしないわ。
助けてくれたのでしょう?ありがとう」
そう言って娘は微笑む…。
何も言わずとも、全てを悟っているかのような娘のこの発言に
何故か彼は胸を締め付けられるような感覚を覚えた。
顔面は徐々に熱を帯びて…
言葉が不自然に連なりだす…。