「♪すがたがみえぬ そこのおかた∽
はやくでてきて いっしょにうたいましょ∽♪」
ーーまだ歌っている……。
彼は、大きく息を吐き、頭を掻いた。
娘はというと、もうここ30分程、このようなデタラメな歌を歌い続けていた。
同じような陽気なメロディに載せて、彼に話しかけているのはあきらかだったが、
余りに驚かされて、出て行くタイミングをすっかり失ってしまっていたのだ。
初めは、『人柱』をからかってやるつもりだったのに、
これでは、逆に自分がからかわれいるようではないか。
悔しいやら、情けないやらで、ますます顔が赤くなるのだが、
不思議と嫌な気分ではなかった。
悶々と考えていると、ふいに陽気な娘の歌が途切れた。
「……???」
何やら様子がおかしい。
木陰から娘の姿を確認しようと覗き込むが、
そこにあるはずの娘の姿はない。
「…………!?」
木陰から飛び出て、娘が歩いていた方へ駆け寄った。
「………………」
そこは、膝丈程の雑草が生い茂っており、非常に見え辛いが、
切りだった崖になっていたのだ。
「………まさか……落ちたのか…??」
その、まさかだ。
3m程ある崖下を見てみると、娘が無惨に転がっているのが見えた。
「………あの娘……。ただの馬鹿だな……」
彼は、大きな溜息を一度吐くと、長い指で印を結んだ。
すると、空気中の粒子がそれに反応しているかのように、白く輝きだし
その光は彼を包み込む…。
やがて、そこに現れたのは、
白く神々しい光を放つ、立派な二本の角を携えた一匹の大きな牡鹿だった。