12/24
わたしひとりで膠原病の先生と会う。
ひとりで膠原病の外来の診察室に入るのもなんだか変な気分。
「歯を抜かなくちゃいけないんですよ。年明けすぐにでも」
「今日すぐには書けませんけどね」
「今日じゃなくてもいいんですが」
「明日の朝までに書いておきます」
「お願いします」
普通は10日くらい待たされる。
名医とは言い難い先生だが、何かと融通はきく。
気難しい医者だとこうはいかないのだ。
「普通は歯科の方から書類が来るんだけど」
そうだった。
でも、私が先にお手紙を早めにもらっておきたいと歯科医に言ったのに、そうですね〜と言うだけで何もしてくれなかったのだ。
んー?
でも抜歯って、ちょっと待てよと思い、いろいろ悩んだ末、セカンドオピニオンを受けることにした。
場所は、車で5分の駅前の歯科。
3年くらい前に開業したところで、わたしは内覧会には行っていたけど、なかなか行く機会がなかった。
12/29に駅前歯科E歯科に電話をし、カウンセリングを予約した。
2015•1•6
E歯科へ。
1時間カウンセリングを受けて、歯の全体のレントゲンを撮られる。
やはり抜歯は避けられないみたいだ。
それより、レントゲンで口を大きく開けたので、顎が外れてしまった。
「痛い痛いって言ってるのに、これ撮らないと治療できません、とか言って無理矢理撮ったのよ、あの看護婦!」
歯科に看護婦はいないのだけど、母はそう言う。
説明してもわからないのでほっとく。
1/9
陶器がイオンの特設会場で開催さらていたので、母もわたしも、お茶碗とマグカップを購入した。
1/16
E歯科。
この日は歯石取り。
歯石取りって、治療の一番最後の日にする歯科にしか行った事がないので、先にすることに少し驚く。
痛いところはほったらかしかい。
みたいな。
1/20
眼科へ。
ドライアイはひどくなる一方だ。
白内障の手術のせいでは?
寄り道して、スーパーへ寄る。
冬物がこの時期は安いので、ついつい買ってしまう。
ダウンやコートやセーターなどを買った。
1/23
E歯科。
また歯茎の検査。
最初の日にしたのに。
歯石取りしたあとはすることになってるとかなんとか。
しかも、歯ぐきが今はすごく痛いのに。
案の定、次の日から歯ぐきがすごく痛むって言う。
1/30
やっと歯ぐきの治療をしてもらい。
ご褒美に(笑)
ケーキを買って帰った。
2//4
噛み合わせが悪くて、左下の歯ぐきが腫れるんだと言われ、全体的に借り歯を作り、噛み合わせの調整をすることに。
この日は、上の型取りをした。
2015/9/24日
余命5年と言われてから
5年が過ぎました。
余命ってなに?
5年前の母の状態と、今の母の状態の違いを説明しなければならないと思うのだけど……
ハッキリ、こう違うとか、良くなってるとか、悪くなってるとか、説明できない。
治療後から、以前のようにとは言えないけれど、それなりに普通に生活してきたと思う。
いま
母が苦しんでいるのは、膠原病や肺高血圧症の症状ではなく、ドライアイと蓄膿症と歯科の治療後の違和感。
膠原病や肺高血圧症については、数値で言えば、5年前のものと変わらない。
ということは、進行していない、ということになるのか?
そこは、難病、なので、誰にもわからないのかもしれない。
今年のはじめの出来事から、更新が止まってる(サボってる)ので、それもこれから書くつもりですが、とにかく、今年は歯科の治療が大変だぅた。
身体は常にキツイみたいなのだ。
そのキツさを、わたしが正直どのくらいのキツさなのか、わからないので、知らずに無理をさせてしまっていることもあるかもしれない。
もしわたしが膠原病や肺高血圧症だったら、母のように頑張れるのか?と、よく思う。
歯科の治療のことは、あとで書くとして、最近あった出来事から書いていきたい。
2015年の8月15日のこと。
夜中に母が、トイレに行って、水を一口飲んだな、というのは、目が覚めてわかったんだけど。
そのあと、わたしは眠っていて、トイレの方から「みゆきーーー!」という叫び声が。
恐怖の叫び声
助けを求める声
何が起こったのか?
「どうしたのーーー!」
わたしはそう言いながら、急いで声のする方へ行った。
母はトイレで嘔吐していたようだった。
「下からも出る」
言ったときにはもう出ていた。
母はトイレに座り、洗面器を持ち吐いていた。
病院に連れていかなくては。
きっと熱中症だと思った。
熱中症じゃなくても、このままだと脱水状態になる。
しかし、わたしひとりで病院に連れて行くのは大変だと思い、妹のケータイに電話をかけた。
妹の家は、うちから車で30分かかるので、すぐに来てもらうには先にかけないといけないと考えたのだ。
でも、母は吐きながら「息ができない」と言い出した。
義弟が電話に出たので、病院にと言っていたのだけど、やっぱり救急車を呼んだ方がいいと考え、救急車を呼んだ。
ほんとに苦しそうに、目を見開いて吐く母。
肺高血圧症が酷ければ、吐くことだけで、息が止まってもおかしくないと思った。
救急隊が家に入ってきたときも、まだ吐いていたし、下痢も続いていた。
「本人が落ち着かないと動かせない。本人も苦しいと思う」と言われた。
そうかもしれないが、今にも死にそうに感じた。
少し収まり、救急隊からオムツはあるかと聞かれた。