“…ごめん、仕事中だったよね?”

「『コッチ』が本職なの。謝るのはナシ…イテテ」





苦しそうな雫の手には、さっきまでユリにまとわりついていたあの黒い靄(モヤ)が捕まれている。





「よぉし、よし。大丈夫、落ち着け」




雫の小さな声は、あたしに向けられたものではない。




「今まで寂しかったよな。うん、うん。大丈夫だから。じっとしてて」





小さな子供を諭すような優しい口調とともに、黒い靄(モヤ)を掴んだ雫の手がぼうっと白く光る。





『承認要請…コード【い-サンロクヒトマル】。はい、神谷ッス。変異情報の受付申請を…はい…ハイ。至急です』





空いている方の手を自分の耳に当てて、ぶつぶつと事務的な情報交換を進める雫。





黒い靄(モヤ)の方は始めこそ雫の手を逃れようと、うねうねともがいているように見えたけど、今は雫の発する光に包まれて、雫の手の中に収まっている。




不気味な濃い紫だったその靄(モヤ)は、雫の力のせいなのか、今は澄んだ水色の光を発するビー玉のような球体に形を変えていた。





「どこかケガは?とにかく保健室に行くぞ!」





先生たちがあたしとユリを抱き起こし、慌てた声で叫んでいる。





「あ、あたしは大丈夫です。ユリは?」

「……」



ユリの身体を支えながら、なんとか立ち上がったあたし。





一方ユリはまだ震えながら、あたしの腕を掴んで離さない。





「ユリ、保健室行こ。自分で歩ける?」





頭を撫でて、ユリの顔を覗き込む。





ユリはコクリと頷いて、あたしの顔を見上げた。





「唯ちゃん、ケガ…してない?」

「してないよ」




「ごめ、ごめんね…わたし」





大きな瞳に涙をためながら謝ろうとするユリの髪をくしゃくしゃと撫でて、あたしは笑顔を作った。






「大丈夫だから。ホラ、行こ」





ユリの背中をポンと叩いて、階下へと促す。





ユリが歩き始めたのを確認して、あたしは後ろを振り返った。





雫はまだ休憩所との連絡を続けているようで。





『おそらくイレギュラーな浮遊霊で、ハイ。年は多分俺らくらいッス。情報劣化の状態から見て、亡くなってからそんなに時間は経ってないと思うんすけど…ハイ。そーっすね、過去10年前後で記録洗ってみて下さい』






仕事をしてる雫は、いつもよりちょっと大人びていて、滑らかに専門用語を駆使して話すその姿は、正直別人のようにも思えた。





と、雫が、こっちに気付いた。





ユリの背中をピッと指差したあと、“行ってこい”と言うようなジェスチャーで、ひょいひょいと手を動かす雫。






“ありがとう、雫”





心の中でお礼を言うと、雫は、真面目な顔を一瞬くしゃっと崩して笑った。





『え!?あ、それは、えーとですね!そっちはサクヤさんに任せてありま…え?ウソ!見失った!?』





すぐにいつもの顔に戻ったけど。どうやら、あたしを助けるためにすっぽかした仕事の方が失敗してしまったみたいで。





“ご、ごめんね”





今度は心の中で謝った。





雫は、苦笑しながらふるふると首を振ったあと、もう一度“早く行ってこい”と手でジェスチャーした。





『えっ、俺のせいスか!?そりゃないッスよ!サクヤさんのヘマでしょ!?は?連帯責任!?』





必死に言い訳する雫に罪悪感を感じながら、あたしは小走りでユリのあとを追った。