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右半身麻痺によるリハビリ生活を優先させる為、先生は完全に漫画界から引退した形になった。
それに乗っ取るようにして生まれたのが、洲崎銀次郎であった。
一時、週刊誌やワイドショーでそのネタが流れた。テレビのインタビューは断ったが、雑誌の取材はいくつか受け、流行の芸能人気分だった。
が、すぐに尽きた。
何故なら、洲崎銀次郎が描く「ブラックソウル」なんて、誰も面白いと思わなかったからだ。
今でも忘れてはいけないと心の中に留めている言葉がある。
「クソ漫画が」。
当時の編集に見切られた時のセリフだ。
最初、引き継ぎの話を先生から聞いて、納得いかないながらも味方についてくれていたのも束の間、週刊誌でのアンケートによる人気が下がると、まるで別物のように手を翻した。
「先生の顔に泥を塗るくらいなら掲載しなくていい。それに、一週落とすくらいならもう打ち切りにした方がマシだし……。ファンは、先生がいなくなった時点で未完成のままでいいと思ってるよ。
まあ、そう思わせたのは君だけれどもね」
先生の精神に乗っ取って。
次のページを捲る心躍るような続きをと、自分に言い聞かせながら追い詰めてきたのにも関わらず、辺りは一向に変わる気配はなかった。
それどころか、自宅療養に切り替わったのにも関わらず、合わせる顔がなくて見舞いにも行けなくなってしまい、自分の力のなさ、不甲斐なさを痛感し、打ち切り宣告を日に日に待つ自分がいた。
丸1年。週刊誌には毎週載せてもらいながらも、納得のいかない日が続いていた。
そんな時、携帯にかかってきた、見慣れた番号、見慣れた名前の着信。
俺は、罵倒されるのを覚悟で、電話をとった。
「先生、ネーム進みましたか?」
一気に胸が熱くなり、喉の奥が痛くなった。
歯を食いしばっても、電話越しに聞こえる柔らかな笑い声が、涙を流させる。
「洲崎先生、私がこっちやりますから、先生は仕事しててください!!」
あの、アシスタントをしていた時の編集の声が急に懐かしくなる。
相模先生は、口がうまく動かない中、なんとか声を出して和ませてくれようとしていた。
「愛子がね、もう中学になるんだ。もうトランプしようって言ってもしないって毛嫌いされて。そういえば洲崎君、昔よくしてたよね。愛子が小学校入りたての時くらいだったかなあ。友達が何人か来て、モテモテだったじゃない。覚えてない?」
「…………覚えて、ます…………」
うる覚えだったが適当に答えた。ただ今は、先生のとりとめのない話を静かに聞いていたかった。
「そのうち友達がズルしだしてね。ババ抜きだったかなあ。横目で見て、引くカード選んでるって。なんか気の強い子だったみたいでみんな言えないんだけど、明らかにバレてて。
そのうちその子が外で遊びたいって言いだしてね、まあみんな従うように外に出て行くわけだよ。
洲崎君も後から外に出ようとしたら、廊下で愛子がふてくされてただろう? 覚えてない?」
「…………ちょっと……」
俺は涙を拭いながら笑って正直に答えた。
「『お客さんなんだから、お客さんの言うとおりにしてあげよう。それに、外で遊ぶの愛子ちゃんも好きだろ』って。
当時の愛子から聞いた話でね、今でもよく覚えてる。洲崎君は他と違って輝いてて、一番信頼がおける人間身のある人だなって確信した一言だったよ」
「…………、そなこと、ありません…………」
嗚咽が電話口にまで届いているだろうが、そんなことはもう、どうでも良かった。ただその、声があまりに温かすぎて。
著名な漫画を台無しにして、編集も出版社も、ファンも先生もみんな、傷つけてしまった自分への先生の澄んだ声が、ただ嬉しくて……。
「ごめんな、洲崎君。身体がしんどくてね、君に丸投げしてしまった……」
「違うんです、先生!! 僕が、思い上がって……!! 僕はまるで先生になったかのように傲慢になって。ろくに考えもせず思いつきでストーリーを流したりして……その……結果です。
本当にすみませんでした!! 本当に、本当に……」
すっきりとした感覚はあった。先生は静かに懺悔を聞いてくれて。また泣くことで、心が洗われるようであった。
「……、まあ、電話じゃなんだから、たまには会おうか。最近調子がいいし」
「今すぐでもいいですか?」
勢いで聞いたが、
「今すぐはちょっと。愛子がいるから」
「何で私のせいにするの?」
懐かしい、愛子のとがった声が遠くに聞こえる。
「洲崎君が来ると、愛子が洲崎君にばかり構うからね」
「ばっかりじゃないし」
たかが1年の間に随分大人になったな、と洲崎は嬉しく思いながら、
「僕は構いません。いつでも」
「あそう……。じゃあどうしようかな。ま、……愛子もいるし、今すぐ来てもらおうか」
右半身麻痺によるリハビリ生活を優先させる為、先生は完全に漫画界から引退した形になった。
それに乗っ取るようにして生まれたのが、洲崎銀次郎であった。
一時、週刊誌やワイドショーでそのネタが流れた。テレビのインタビューは断ったが、雑誌の取材はいくつか受け、流行の芸能人気分だった。
が、すぐに尽きた。
何故なら、洲崎銀次郎が描く「ブラックソウル」なんて、誰も面白いと思わなかったからだ。
今でも忘れてはいけないと心の中に留めている言葉がある。
「クソ漫画が」。
当時の編集に見切られた時のセリフだ。
最初、引き継ぎの話を先生から聞いて、納得いかないながらも味方についてくれていたのも束の間、週刊誌でのアンケートによる人気が下がると、まるで別物のように手を翻した。
「先生の顔に泥を塗るくらいなら掲載しなくていい。それに、一週落とすくらいならもう打ち切りにした方がマシだし……。ファンは、先生がいなくなった時点で未完成のままでいいと思ってるよ。
まあ、そう思わせたのは君だけれどもね」
先生の精神に乗っ取って。
次のページを捲る心躍るような続きをと、自分に言い聞かせながら追い詰めてきたのにも関わらず、辺りは一向に変わる気配はなかった。
それどころか、自宅療養に切り替わったのにも関わらず、合わせる顔がなくて見舞いにも行けなくなってしまい、自分の力のなさ、不甲斐なさを痛感し、打ち切り宣告を日に日に待つ自分がいた。
丸1年。週刊誌には毎週載せてもらいながらも、納得のいかない日が続いていた。
そんな時、携帯にかかってきた、見慣れた番号、見慣れた名前の着信。
俺は、罵倒されるのを覚悟で、電話をとった。
「先生、ネーム進みましたか?」
一気に胸が熱くなり、喉の奥が痛くなった。
歯を食いしばっても、電話越しに聞こえる柔らかな笑い声が、涙を流させる。
「洲崎先生、私がこっちやりますから、先生は仕事しててください!!」
あの、アシスタントをしていた時の編集の声が急に懐かしくなる。
相模先生は、口がうまく動かない中、なんとか声を出して和ませてくれようとしていた。
「愛子がね、もう中学になるんだ。もうトランプしようって言ってもしないって毛嫌いされて。そういえば洲崎君、昔よくしてたよね。愛子が小学校入りたての時くらいだったかなあ。友達が何人か来て、モテモテだったじゃない。覚えてない?」
「…………覚えて、ます…………」
うる覚えだったが適当に答えた。ただ今は、先生のとりとめのない話を静かに聞いていたかった。
「そのうち友達がズルしだしてね。ババ抜きだったかなあ。横目で見て、引くカード選んでるって。なんか気の強い子だったみたいでみんな言えないんだけど、明らかにバレてて。
そのうちその子が外で遊びたいって言いだしてね、まあみんな従うように外に出て行くわけだよ。
洲崎君も後から外に出ようとしたら、廊下で愛子がふてくされてただろう? 覚えてない?」
「…………ちょっと……」
俺は涙を拭いながら笑って正直に答えた。
「『お客さんなんだから、お客さんの言うとおりにしてあげよう。それに、外で遊ぶの愛子ちゃんも好きだろ』って。
当時の愛子から聞いた話でね、今でもよく覚えてる。洲崎君は他と違って輝いてて、一番信頼がおける人間身のある人だなって確信した一言だったよ」
「…………、そなこと、ありません…………」
嗚咽が電話口にまで届いているだろうが、そんなことはもう、どうでも良かった。ただその、声があまりに温かすぎて。
著名な漫画を台無しにして、編集も出版社も、ファンも先生もみんな、傷つけてしまった自分への先生の澄んだ声が、ただ嬉しくて……。
「ごめんな、洲崎君。身体がしんどくてね、君に丸投げしてしまった……」
「違うんです、先生!! 僕が、思い上がって……!! 僕はまるで先生になったかのように傲慢になって。ろくに考えもせず思いつきでストーリーを流したりして……その……結果です。
本当にすみませんでした!! 本当に、本当に……」
すっきりとした感覚はあった。先生は静かに懺悔を聞いてくれて。また泣くことで、心が洗われるようであった。
「……、まあ、電話じゃなんだから、たまには会おうか。最近調子がいいし」
「今すぐでもいいですか?」
勢いで聞いたが、
「今すぐはちょっと。愛子がいるから」
「何で私のせいにするの?」
懐かしい、愛子のとがった声が遠くに聞こえる。
「洲崎君が来ると、愛子が洲崎君にばかり構うからね」
「ばっかりじゃないし」
たかが1年の間に随分大人になったな、と洲崎は嬉しく思いながら、
「僕は構いません。いつでも」
「あそう……。じゃあどうしようかな。ま、……愛子もいるし、今すぐ来てもらおうか」