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「セミナーこれで何回目だっけ?」
「8回」
「後何回だっけ?」
「3回」
「終わっても会社辞めないんだっけ」
ダイニングテーブルで対面して夜食のお茶漬けをとっていた愛子に真正面からだらだらと話しかけていた俺は、視線を上げてくれたことに喜んだのも束の間、その目はすぐに逸らされる。
今しがた、「洲崎君が作るお茶漬けが一番おいしい!!」とおだてられたところなのに、俺はまた逆方向に進んでしまう。
「……アシスタント探してるの?」
俺は愛子の機嫌に気付き、自ら進んでお茶をコップに注いでテーブルの上に乗せた。
「それもあるけど。最近は随分仕事熱心だなあと思って。てっぺん越えるの、前より多くなったろ」
「…………」
女がそんなに働いても仕方ない。どうせ子供を産んで働けなくなるんだから。
喉を越え、口元まで来ているが、出したら最後。しばらく口をきいてくれないだろう。
ブラウスから出た、お茶漬けをよそう箸を持つ手は少し骨ばったか……。
一緒に住み始めた時は、何がなんでも食事の時間だけは気を付けて栄養があるものをとらせるように心がけてたっけ……それが今は、忙しさにかまけてしまうことも多くなった。
だけど、これだけは忘れない。
いつも思い出す。この6年、忘れたことはない。
「お母さんが、よそに行くって……」
薄っぺらいティシャツ一枚着て、悲し気に呟いたその一言を。
先生が亡くなり、葬式と遺産相続を済ませた後、すぐに他の男と同棲を始めた愛子の母はまだ高校生だった愛子に構わず自ら家を出た。
「俺んち来るか? ……行くとこないなら」
その一言で愛子を勝手に自分の物にしてしまった俺は、勝手に責任を感じて愛子を育てている……とは、言い過ぎか。
「洲崎君と私は時代が違うの。どうせまた、女が働いても仕方ないとか思ってるのかもしれないけど、私だって結婚するか、できるのかどうかも分かんないし」
食べながらぶっきらぼうに話す顔は少し怒っている。俺は、内心をなぞるように読まれていることに驚き、またそれを隠すように、
「分かんねーよ。俺と結婚するかもしんねーし」
冗談だ。
冗談に決まっている。
次のセリフが何だったとしても、笑いに変えなければいけない冗談に決まっている。
「……、そんなこと、あるわけないじゃん……」
心臓が、痛い。
「わっ…………、わっかんねーよ? 俺金あるしー…………」
「ない」
タイミングを計ったように愛子は立ち上がると、「ごちそうさまぁ」とお茶碗もそのままにキッチンからリビングへ向かった。
「愛子」
立ち上がった俺は、愛子をきつく睨んだ。
「何?」
こちらを見ようともせずリビングのテーブルの上にある上等なクッキーをつまみ、口に入れる。それは昨日インタビューを受けた際、出版社が持って来た俺への機嫌取りの菓子折りだ。
「愛子」
俺は何も考えず、その華奢な肩をぐいと我が方向に向けた。はずみで細い脚はもつれ、倒れそうになる。
「わっ!!」
「…………」
もういいや…………。
「え?」
ソファ、愛子、俺の順になだれ込む。
愛子の反応は鈍く、されるがままで。
それなら、とその2本の白い太腿の間に己の脚を割り入れた。
両腕を、小さな顔の両脇につく。
その表情は、
「な…………」
怯えていた。
ここで尻込んでなるものか、なるようになれ!! と、更に膝を立てて股に入り込む。
「え!? ちょっと!!……」
俺の腕を掴む愛子の手は、それでも、強い。
「すさ……」
「どこ見てんだか分かんねぇ男なんて、忘れろ」
「……え……」
瞳が大きく瞬く。
「忘れさせてやっから」
俺の両腕を掴んでいた細い指の力が抜けたのは、顔と顔が接近したせいだろうか。
「ちょっと!!」
愛子はすぐに大きく上身体を背け、くるりと半回転し、横向きになった。
「何!? やめて。 何の冗談なの!?」
割り込んだ俺の脚が邪魔をしたせいで、下半身はスカートが大きく乱れ、太ももが露わになっている。
「っ…………」
白い脚に一瞬我を忘れそうになりながらも、冗談で終わらせるべきかどうか迷いに迷う。
「よっ、よっきゅうふまんなら、他当たってよね。何で私なの!? わけ分かんない。 そういうのは、他でやって」
「じ……」
冗談、と以外にどう言える。
「バ、バーカ……酔ってるに決まってんだろ」
酒なんて一滴も飲んでない。
俺はさっと身体を引いて、愛子を解放してやった。
「誰がお前みたいなガキ相手にすっか。あれだよ。……大人の男ってのはこういうとだってことを……」
言い訳なんて、聞きたくない、か……。
気付いた時には、階段を駆け上る音が家中に響いていた。
「冗談に決まってっだろ」
自分に、言い聞かせる。
「でなきゃ…………」
すぐに階段を駆け下る音が聞え、出て行くのかもしれないと予感した。
「…………」
だけども実際は。何か物を取っただけですぐに上がったようだ。
引き取って、育てていると豪語していても、それは単なる俺のエゴだ。
それが今更、自らの欲望をさらけ出し、出て行かれたところで、どうこう言えるわけがない。