チェーン店のラーメン屋といえども午前12時前ともなると、客は少ない。

 相模はボックス席で夏目と対面し、ラーメン一杯食べられるような気分ではないと胃袋と相談しながらも、結局あっさり味を夏目に注文してもらうことになる。

 オーダーが終わり、手持無沙汰になった夏目はスマートフォンでもいじるかと思いきや、さっそく胸ポケットからタバコを取り出すと赤いシンプルなライターで火をつけた。

「…………」

 何も言わず、ただ煙を味わっているように見える。

 暇にまかせていつもは見えないライターを注視していると、細い持ち手に金色のラインが入っているのが見え、女性物ではないか、という疑問が芽生えた。

 しかし、「ライター綺麗ですね」というのもおかしい。

 相模はその言葉を飲み込み、ただ夏目が話しかけてくれるのを、水を飲みながらただ待った。

「大変お待たせ致しました~」

 結局、一言も会話を交わすことがないまま、24時の胃には厳し目のどんぶり2つと夏目用の餃子、ライスが目の前に運ばれてくる。

「きたきた」

 と喜び、タバコを灰皿でもみ消す夏目を見つめながら、

「…………ラーメン好きなんですか?」

 と、ようやくそれらしいセリフを見つけた。

「……嫌いじゃねぇけど。何、嫌いだった?」

 箸を割りながら聞かれて、ぎょっとする。

「いえっ、そんなことありません。ちょうど私もお腹が空いてて……」

 相模も同じように箸を割り、「頂きます」と少しずつ食べ始める。

「……来月のセミナー、講師誰だった?」

「(株)ビッグの寺井会長です」

「おぉ。俺も話聞きてぇな。大物の話を社内で選抜した奴だけに聞かせるっていいシステムだよなあ。相模、お前もいいとこ行けるよ」

「え……」

 相模はラーメンを息で冷やしていた顔を上げ、夏目の顔を見た。

「セミナーに選ばれるってのは、それだけの理由があるからだ。社外に顔を売るチャンスでもあるし、コネも作れる。待ち時間とかもしっかりアンテナ立ててろ。名刺は多めに持っていけ」

「……」

 第一回目を思い返す。そういえば、デキそうな人は他社同士でも談笑してたっけ……。

「……そんなところまで全然気が回りませんでした。……ありがとうございます」

「会社の顔として行ってるってことを忘れるな。上がそう認めてくれたんだから」

 相模はここぞとばかりに突っ込んだ。

「夏目代理も、認めてくれてますか?」

 心の中では意味が大きく変わっていたが、表面上はあくまでも、『部下として』という一言を決して外してはいない。

「だから山さんに志願書の話通してやったんだろうが。でなきゃ誰が責任持つか」

「……責任?」

「…………」

 そこで夏目は黙り込み、一気に丼ぶり鉢をすすってしまう。その間も、なるべく急いで相模は食べることに集中した。

 ライスも餃子もすぐに食べ終えた夏目は、ようやく水を飲んで一息つくと、

「……、無理して食わなくていーよ。腹減ってねーんだろ」。

「そんなことないです……、待って下さい。全部食べます」

 ズルズル麺をすする相模を横目に、夏目は窓の外の遠くを見つめた。

「…………」

 その、視線の先に何があるのか、相模には全く見えない。だけどもし、それが別の女性、例えば菅野なら見えるのだろうかと考えてしまう。

「……すみません、お待たせしました」

 なんとか完食し終えた相模は、ナプキンで口を拭きながら、水を飲んで口を潤す。にしても、油臭い。

「よし、じゃ、行くか」

 あれ、責任の話をしてくれるんじゃ??

 バックを持ってまごまごしている間に、夏目は素早く会計を済ませてしまう。

「すみません!! ごちそうさまでした!!」

「ラーメンくらいで大げさだよ。ほら、車乗れ。送ってやっから」

 店を出ると、すぐに夏目はタバコに火をつける。ライターをカチッと鳴らしている間、その横顔を盗み見るように相模は横目で見上げた。

「……、私、ちゃんと仕事できてますか? みんなと同じ方向に進めてますか?」

 まっすぐ前を向いて聞いた。夏目の視線を感じたが、黙って耐える。

「何でそんなに不安に思う? 言ったろ。会社の顔になれるって上が認めたって。俺も志願書の件を山さんに通してる」

「私、いつも菅野さんみたいに仕事ができたらって思います。菅野さんに比べたら……」

「あいつは仕事ができるってのとはまた違うんだよ。そういう雰囲気でいるだけ。相模の方がよっぽど役に立つし、信用してる。とっつきやすいってのと、仕事を真面目にしてる、理解してるってのは全く違う」

 夏目はそこで息を大きく吐き出す。

「相模は後者。菅野は前者。相模みたいに自分から志願してセミナー受けるなんて、菅野はしねぇ。薦めたらするだろうけど、今は薦める気もねぇし。

 久々だよ。相模みたいな奴。俺も10年今の会社にいるけど、女でそこまで熱意込めてる奴は」

「…………」

 それって逆に仕事バカだと思われてないだろうか?

「さ、帰るぞー」

 夏目は先に歩き出す。相模も無心でその後を追った。

 お互い乗り込む先のドアを開け、シートベルトをかける。
 夏目がエンジンをかけたのと同時に、相模はそれを合図のように切り出した。

「セミナーの最終、論文出しますよね」

 車はゆっくりと前進し、すぐに大通りに出る。

「あぁ。まあ、出して終わる程度だけど。あの中から20人くらいだったっけか。よくできた奴が冊子に載るの。で、最優秀者が1人? 俺の時はそうだったけど、今はどうかな。似たような感じだと思うけど」

「そうです。山根部長が去年はそうだったって言ってました」

「最優秀者に選ばれるってのがそんなにすごいことだというわけじゃないけどな、論文評価だし。けどまあ、目立つわな」

 相模は、呼吸を整える。

「あの、もし、最優秀者に、選ばれたら……」

「逆立ち一週か?」

 夏目は面白そうに、先を読んだ。このチャンスを逃すわけにはいかない。

「選ばれたら、また食事、ご一緒してもいいですか」

 不審に思われないだろうか、震える声でなんとか発したが、

「そんなんでいーの? 最優秀者ってすごいよ?」

 夏目は軽く笑って答える。

「そん時のご褒美、考えとかなきゃな。最優秀者か。うちから出たら、すごいよ相模。山さんが祝賀会開いてくれるよ」

 明るい声は、更に続く。

「最優秀か……、相模、お前は優秀だからひょっとするぞ? けどあんまり期待してもなんだな。…………そうか、……」
 
 夏目は心底嬉しそうに言うので、プレッシャーは多大にかかる。

 しかし、相模にはある程度の勝算があるのであった。

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