仁菜たちはあっという間に縄で縛られ、牢屋に引っ立てられた。
「わああ……」
牢は木の枝を弦で縛ったものでできており、地上にぽんとうち捨てられていた。
その目の前には、仁菜が見たこともない巨木。
無数の枝が伸び、頭上に張り巡らされている。
(緑のドームみたい。
っていうか、『こえだ○ゃんハウス』みたい!)
大人50人が手をつないでも囲みきれないほどの太い幹の中から、ちかちかとオレンジ色の灯りが見える。
そしてその幹と枝の間の股にも、小さな家が無数に引っかかっていた。
「これが、精霊族の王の城であり、彼らの主な住居でもあるという、巨木ですか……すごいですねえ……」
カミーユは関心したように言い、タブレットで写真を撮りまくっていて、精霊族に叱られた。
(そんな場合じゃないでしょうよ……)
牢屋の中でぺたりと座り、悲しげにデータを消去するカミーユ。
未だに怒りがおさまらず、木の城をぎらぎらにらみつけるシリウス。
そんな彼のひざに座り、ちーんと落ち込むラス。
何も言わず、腕組みをし、あぐらをかいて瞑想しているアレク。
(このひとたち、やる気あんの?)
仁菜は今までの自分のへっぴり腰加減を棚に上げ、彼らをにらみつけた。
窮地に立たされたときに強いのは、やっぱり男ではなく、女子。
そして、何も考えないバカである。
「おーい、お兄さんたちよぉ。
なんとかしようぜー」
颯は、異世界人たちの背中を叩きながら牢屋の中を歩く。
「うるさいなあ、颯。
今、何ができるっていうのさ。
そこに見張りがいるのに」
ラスがシリウスから離れ、立ち上がる。
「どうやってここから出るか、話しあうんだよ」
「だから、聞かれてたら意味ないだろ?
この世界の人間、魔族、精霊族は、それぞれ違う言葉を使っているけど、意味はすぐ理解できるんだ。
耳にそういうフィルターが、生まれつきついてるんだよ」
ラスの説明に、大人たちがうなずく。
「……ちょっと待ってください。
少し前から、あたしたち何語でしゃべってるんだろうと思ってたんです。
まさか……」
日本語と少し響きは違うけど、ラスたち人間の言葉も、精霊の言葉も理解できた。
ここで疑問が仁菜の頭に生まれる。
異世界トリップ物語で誰もが思うであろう、「何語で話してんの?」
その答えを、カミーユがあっさり暴露。
「あ、あなたたちが寝ているすきに、耳に機械を埋め込ませていただきました。
知らない言葉でも、意味が理解できる……あなたたちの国の言葉に聞こえるようにする装置です。
これは精神派と音波と、あなたたちの言語に関する記憶とをあわせてですねえ……」
カミーユの難しい説明は、途中から頭に入って来なかった。
(なにそれ!勝手にわけわかんない装置をつけないでよ!
しかも、埋め込むって?埋め込むって?)
仁菜は想像しようとして、やめた。
耳の中を想像も付かない器具で切開され、異世界の装置を入れられたなんて、考えただけで痛い。
耳を押さえていると、颯が突然その手をとった。
「……なに?」
「ちょっと、見せろ」
颯の頭と反比例の整った顔が、間近に迫る。
真っ直ぐな視線に見つめられて、仁菜は少し胸が高鳴るのを感じた。
(どうして、見つめるの……?)
頬が熱くなってきた仁菜に、颯はひとこと。
「……大丈夫、傷は見えるとこにはない!よかったな!」
「…………」
颯の笑顔に、嫌な予感がしていく。
「よく考えろ、仁菜。
このまま地球に帰ったら、俺たち英語ペラペラだぜ?
煉獄、海外進出決定だな!俺に日本は狭すぎると思ってたんだ!」
おいおい、暴走族が海外進出して何するの?
日本のアニメの主題歌鳴らしながら道を走るわけ?
やめてよ、日本人がバカにされるよ……。
(こんなやつに一瞬でもときめくなんて、どうかしてる)
仁菜は完全に呆れた顔で、颯をどんよりと見返す。
「……あのね颯、英語ペラペラにはならないよ」
「えっ?」
「これ、聞こえるだけだって。
うちらが話す言葉がその種族に対応するわけじゃなくて、聞く方が自分の知ってる言葉に変換するだけで……」
「……お前、バカじゃねーの?
言ってる意味、全然わかんねーんだけど。
もっとコニミュケーション能力をみがけ」
バカはお前だっ!!
そこにいる全員が、そう思った。
(しかも、コニミュケーションって何。
コミュニケーションでしょ?)
いやたしかに、コミュニケーション能力、低いかもしれないけど。
バカよりはましだと思う。
仁菜は颯を無視し、目の前のこえだ○ゃんハウスもとい、精霊族の木の城を見つめた。
(どうにかしなきゃ……)
こんな冒険の序盤で力尽きるのは、格好悪いから、いや。
仁菜がうんうんうなっていると、後ろから声が聞こえた。
「……あのさあ、とにかくニーナに説明してやってくんねえかな、アレク。
俺様は昨日だいたい聞いたけど、こいつは何も知らないんだからさ。
こんなことにならなきゃ、話さない方がいいと思ってたんだけど、状況が状況だし……」
颯の声だった。
仁菜が振り返ると、アレクがゆっくりとまぶたを開ける。
そんな彼を、他の仲間が見守っていた。
「ああ、そうだな。
ニーナは、知る権利がある。
精霊族と人間との仲が悪化したのは、まぎれもなく俺のせいだからな」
「アレクさん……」
戸惑う仁菜に、アレクは語りだした。
悲しい、過去の記憶を。
それは、アレクが仁菜と同じくらいの歳の頃。
いまより、8年ほど前のことだった。
不老不死の体を持つ精霊族にとっては、まだ昨日のことのようだろう。
「俺は、武術の腕を王に見込まれ、この谷に派遣された。
今の俺たちと同じく、泉に眠る伝説の剣を取りに行くためだ」
アレクの言葉を、ラスが継ぐ。
「俺の300年くらい前のご先祖様と当時の精霊族の王様が、戦争してたときがあったんだ。
勝負がなかなかつかなくて、結局不可侵条約を結ぶことで、事はおさまった。
そのとき、ご先祖様が精霊族に剣を贈ったんだ。
『これを泉に沈めてください。
今後決して、人間があなた方を攻撃することのないように』
って意味でね。だよね?」
ラスの言うことに間違いはないようで、シリウスは満足気にうなずいた。
「ただ、ランドミルが衰退しつつある今、国は各方面から狙われる可能性が出てきた。
境界の川がある限り、魔族は来られない。
だが、大陸の端にはたくさんの民族がいる。
現在の王は、いずれ起こる戦争をおそれ、その古き偉大な剣を、取り戻そうとなさった」
人間は、他の贈り物を用意した。
科学を駆使して作った、本物の宝石より美しい結晶や、丈夫な金属や衣類。
しかし精霊族は、そんなものはいらないと言った。
人の手で作ったものより、自然のものを愛する精霊族は、この大陸を汚し続けた人間を、憎んでいたから。
「そういうわけで交渉は決裂。
使者として精霊族を訪ねていた俺はあきらめ、王に罰を受ける覚悟で帰り支度をしていた。
最後に泉を見るだけ見てこようと思って、ひとり隠れて泉の近くにいった。そこで……」
アレクは、目の前の城を見上げた。
視線はもっと、はるか遠くを見ているようだった。
「出会ってしまったんだ。
俺は、彼女と」
低い声が、仁菜の胸に重くのしかかった。
「泉の方から、水音がすると思った」
アレクは続ける。
神聖な泉で、なぜ音がするのかと思い、こっそり近づいた。
そこで見たのは……
泉で水浴びをする、精霊族の女性だった。
足首まである見事な金髪に、それ自体が発光しているような、白く輝く肌。
長いまつげに、大きな瞳。
彼女の美しさに、若かりしアレクは、しばし目を奪われる。
『……っ』
しかし、のぞきはいけない。
アレクはふと我に帰り、その場から立ち去ろうとした。
そのとき。
『……どなた……?』
泉の中にいた彼女から、声がかけられた。
アレクがそれまで聴いたこともない、美しい楽器の音のようだった。
『す、すみません!
のぞく気はなかったんです!』
精霊相手に、言い逃れはできないだろう。
アレクは素直に謝った。
腰を深く折って、頭を下げる。
すると、優しい笑い声が、彼の耳に届いた。
『あら、人間さん。
もうお帰り?』
アレクは思わず顔を上げる。
そこには優しく微笑む彼女が……まだ裸体のまま、こちらを向いていた。
アレクはうなずき、慌ててうつむく。
精霊はそもそも、自然のままの状態でいるのを好むもの。
そして、人間の男など、虫けらほどにも思っていない。
だから恥らう必要もないのだと、アレクは理解していた。
『おおせの通りです。
あっさり断られてしまいましたので、帰ります』
『まあ。かわいそう。
お父様ったら、意地悪ね。
人間の剣なのだから、人間に返してあげたらいいのに』
彼女は泉の中心を見て、ため息をつく。
(お父様、ということは……)
彼女は、精霊族の王の娘。
精霊族の姫だ。
アレクは畏れ、一礼してその場を立ち去ろうとした。
だけど、またもや彼女に止められてしまう。
『ねえ、待って、人間さん』
アレクは足を止めてしまった。
そして息を飲む。
あろうことか、彼女が水から上がり、ぺたぺたと草を踏んでこちらに近づいてくる音が、背後から聞こえたから。
『顔を見せて』
「えあ、その、いえ、姫様に見せられるような顔はしておりませんので」
『面白いひとね。
妖精たちが言ってるわ。あなたは素敵なひとだって』
妖精?
ふと見上げたアレクの頭上を、球体の光がふわふわ飛んでいた。
その小さな光を目で追うと、いつの間にか自分の前に回りこんでいた姫と、目があってしまった。
『あら、ほんとうに素敵だわ』
『……っ!』
『名前は……アレク。あなた、アレクというのね』
『どうしてそれを……』
『さあ。なんでだか、わかってしまうの』
姫は微笑み、自分の名を名乗った。
『エルミナよ』
エルミナ。
それは、精霊族の言葉で『運命の星』を表すのだと知ったのは、もう少しあとのことだった。
それはともかく……。
この瞬間、アレクは、エルミナに心を奪われてしまった。
そしてまた、エルミナもアレクに同じ運命を感じたのである。
不老不死の精霊族。
エルミナもまた、何百年生きたかもう忘れてしまったと言っていた。
そんな彼女の元に、まだ20年も生きていなかったアレクは、非番になるたびにバイクを飛ばし、通った。
若かったが故に、己を突き動かす衝動に勝てず、逢瀬を重ねた。
精霊族と、人間。
──許されない恋だとわかっていながら。
『私、お父様に頼んでみたけど、ダメだったわ』
誰にも見つからぬよう、谷の端の木の下で、エルミナは言った。
アレクの肩に、寄りかかりながら。
『なにを?』
『あの剣のことよ。
あなた、あれを持っていけば、功績が認められるのでしょう?』
『ああ……あれはもう、いいよ。
王もあきらめられたみたいだし。
伝説の剣はほしいけど、くれないなら自分たちで強い武器を作った方が早い』
『そうして、また大気を汚すのね』
エルミナは途端に不機嫌な顔をした。
金属を溶かし、武器を作れば、大気は汚れる。
昔より高性能なフィルターも作られているが、汚染物質の多様化についていけていないのが現状だ。
『……ごめん』
『いいのよ。ではやはり、あの剣を持ち帰った方がいいんじゃなくて?』
『いいよ、そんな……君がお父上のお怒りに触れるようなことをしなくても。
俺は、君さえいてくれれば、功績なんか上げられなくてもかまわない』
アレクは、エルミナにキスをする。
エルミナもそれにこたえ、彼の首に両手をまわした。
……森の木々たちが、精霊族の王の監視役を請け負っていたのを、彼らは知らなかった。
ある夜。
いつものように、非番の日にエルミナに会いに行ったアレクは、捕らえられた。
精霊族の王の親衛隊によって。