────自殺。
そんなことするやつ、絶対バカだと思ってた。
いじめられたなら、学校へ行かなきゃいい。転校すればいい。
学校なんか、世界中に山ほどある。
失恋したなら、違う人を探せばいい。
異性なら、世界中に星の数ほどいる。
希望を失ったなら、新たな希望を探せばいいじゃないか。
生きていれば、いつか見つかるはずだ。
……仁菜(ニイナ)はそんな正論を平気で吐いていた、今までの自分を恥じる。
どーでもいいことで死にたくなることって、けっこうあるものなんだ、と。
この春に新しくなったばかりの制服。
白いシャツに、チェックのスカート。
その上に大きめのカーディガン。
紺色のソックス。
ごく普通の女子高生の格好の仁菜は、ぼんやりと目の前の水面に自分の顔を映す。
……さえない。
今朝、肩までの髪を、くるりとゆるく巻いてみたけど、気分が浮上することはなかった。
去年までは、春になったら花のJK。
楽しいことが、きっとたくさんある。
そう思っていたのに。
水面に映る、ゆがんだ自分の顔。
それは、泣き顔に見えた。
ごくりと唾を飲み込む。
まだぴかぴかの茶色のローファーを脱ぎ、何時間この川辺でこうしていただろう。
気づけば水面はだんだんと黒くなっていき、ゆがんだ顔は見えなくなった。
代わりに、底の見えない闇が現れる。
日が暮れてしまった。
遠くの方で、大人たちの声がしてる。
あれはクレーン?
仁菜が目をこらすと、黄色く細長い、キリンの首みたいなものが上下しているのが、遠くの橋の向こうで見えた。
すると、ついでにその橋の上から……
──パラリラパーリラ、パーリラー。パーリラーパーリーラー。
バイクのエンジンとクラッチを使ったコールが、仁菜の耳に聞こえてきた。
もちろん、迷惑なエンジンの爆音と一緒に。
──パラリラパーリラ、パーリラー。パーリラーパーリーラー。
コールしたまま、一台の黒いバイクが土手を降りてきた。
そして、仁菜の目の前に止まる。
「……なんでコールが『となりのト○ロ』なの!?」
思わずバイクにまたがっている人物にツッコむ。
──パラリラパーリラ、パーリラー。パーリラーパーリーラー。
──となりのトー○ロ、トート○ー♪トー○ロ-トートー○ー♪
そんなファンシーなコールをするやつは、一人しかいない。
仁菜はバイクの主をにらみつけた。
バイクの主は、しっかりかぶっていたヘルメットを外し、地上に着陸した。
現れた人物の髪は黒髪にピンクのメッシュが入っており、額には日の丸がついた鉢巻。
今時真っ赤な特攻服のセットアップに、胸にはさらしを巻き、腕には腕章。
完全な、田舎の暴走族。
完全な、田舎のヤンキーだった。
「テメエが迷惑なコールはやめろって言ったからじゃねえか。
ト○ロなら子供も怖がらねえだろ?むしろ喜ぶだろ?」
「……本気で言ってるの?」
「あぁ?ああ、○トロは古すぎるか!
ポ○ョの方がいいのか!」
「どっちもいらない」
ばっさり切り落とすと、ヤンキーは「そんな、まさか!」という顔で固まってしまった。
こいつ、アホだ。
仁菜はため息をつく。
なんだか、全てがバカバカしく思えてきた。
目の前にいるヤンキーは、実は仁菜の幼なじみ。
ひとつ年上の、櫻井颯(サクライ・ハヤテ)。
一生懸命怖い顔をしているけど、実は黙っていればイケメンの部類。
仁菜は、颯の完全な二重まぶたと高い鼻が、うらやましかった。
それとは対照に、自分は奥二重だし、鼻は低め。
地味な顔が、コンプレックス。
だから余計、颯がイケメンだと認めたくなかった。
なんでこんなアホが、あたしより幸せそうなんだろう?
仁菜はぼんやりと颯を見つめる。
彼とは小1からの付き合いだ。
同じ通学班だった。
他に1年生がいなくて、浮いていた仁菜の面倒をよく見てくれたのが、当時2年生だった颯だった。
当時から颯は、勉強はできなかった。
その代わり足は同じ学年の誰よりも速かった。
そして、一人遊びスキルの高い少年でもあった。
仁菜がぽつんと庭にいると、よく外に誘い出してくれて、ホウセンカの花をつぶした液で爪を赤く染めてくれたり、草笛の作り方を教えてくれたりした。
仁菜は颯を『颯兄ちゃん』と呼んでなついていた。
それは、仁菜が小6になるまで続いたが……颯が中学にあがってしばらくして、異変が起こる。
それは……。
なぜか颯が、突然ヤンキーになってしまったからだった。
それで、仁菜の心はいっきに颯から離れていった。
そして、今に至る。
この前偶然近所で会ったとき、バイクの音がうるさいって言ったのは覚えてる。
だけど、そこからどうして、コールをト○ロにするという考えに飛躍したんだろう?
ヤンキーの考えることはわからない。
「っていうか、テメエこんなとこで何してんだよ。
靴、どーしたんだ」
「…………!」
そういえば、靴を脱ぎっぱなしだったことに仁菜は気づく。
颯ってば、アホのくせに意外に鋭い!
まさか、目の前の川に飛び込もうとしていましたなんて、言えない。
ヤンキーのくせに変にマジメな颯は、説教を始めるに違いない。
そう、颯はマジメだ。
ノーヘルは絶対しないし、制限速度も守る。
赤信号では止まる。
免許も持っているし、それは常に携帯している。
深夜は走らない。
ただ、先輩から譲り受けたという大きなバイクは無残な改造が施されている。
二人乗り用の座席の後ろからは、ビヨーンと意味のわからない板が飛び出ていた。
それは『ハネ』と呼ばれるものらしいが、仁菜には理解できない。
だってそんなの、風の抵抗受けるだけじゃん。
逆に遅くなるんじゃないの?
仁菜は近所で颯を見つけるたび、何度ツッコんでやろうと思ったかしれない。
しかし、結局颯は制限速度を守るのだし、関係ないか。
そう思い直して、無視を続けていた。
言葉を交わすのも、久しぶり。
そんな2人は、川辺でにらみあう。
「テメエ、まさか……!」
颯が、一歩仁菜に近づく。
仁菜は思わず、あとずさり。
「まさか、ヤベエこと考えてたんじゃねえだろうなっ!?」
すごみのある声で怒鳴られ、仁菜はびくりと肩を震わせる。
「ヤバイこと?颯、何想像してるの?」
「ニーナが入水自殺しようとしてたんじゃないかと、想像してる」
「…………」
アホはいつも勇気りんりん、直球勝負。
図星をつかれて、仁菜は黙る。
すると、颯は眉間のシワを和らげ、静かに話しかけてきた。
「……第一志望、受からなかったんだってな」
「えっ……」
いったいそれをどこから?
聞こうとしたが、仁菜は唇を噛んだ。
こんな田舎だ。すぐ噂になるのはわかっていた。
『水沢さんとこの仁菜ちゃん、私立の有名校受けるんだって』
それが去年までの噂だ。
ほとんどの学生が公立高校に進む、この田舎では、都会の有名校をわざわざ受験しにいったという中学生のことはすぐに知れ渡っただろう。