波の音が穴瀬を眠らせない。小さい波や大きい波が穴瀬の脳裏に打ち寄せて、何かを訴えては、何かを打ち消して、彼をいつしか浜辺へと導いた。そして夜と朝の敷居を見た。

その朝見た太陽が、今また沈んでいく。海に半分隠れた太陽は、朝も夕も同じように海と空を分け合っているのにその景色はけして同じではない。朝になれば日は昇り夕になれば日が沈む。繰り返しているその景色がけして一度たりとも同じではないという不思議さを思う。

石岡がTシャツとハーフパンツをその細い体の上ではためかせて立っている。夕日と差し向かいになって立つその姿は少年のように無邪気に強かった。怖いもの知らずな者だけが持つ勇敢な無邪気さ。そう、そういうものを石岡は持っている。

穴瀬はぼんやりとする頭でそんな石岡の後姿と夕日を見つめていた。ベンチの両端に腰掛けた森川はで背もたれに片肘をかけて、じっと夕日を、あるいは穴瀬と同じように石岡の後姿を見守っていた。

体育座りをした膝にのった石岡の小さな頭と、朝陽に熱せられたように穴瀬を見つめる目。その日の朝、石岡が見せた表情は確かに穴瀬に「面倒」を持ち込む顔だった。もう少しで手を握りそうな距離を保って歩いた朝陽を溢(こぼ)す木々の下で、確かに二人の距離が近づいていたのを穴瀬はその背で感じていた。ペンションの玄関のドアを開けて石岡を振り向いた時、石岡は多分何かを言いかけていたと思う。それは、何だったのだろう。ただ穴瀬はその時の石岡の目を受け取れ切れなくて、ともかくそれが何だったにせよ、覚悟ができずに「ほら」と石岡を促したのだった。

その石岡は今、夕日を差し向かいになっていったい何を思っているのだろうか?穴瀬と同じように、今朝朝日を浴びながら交わした目線や会話をひとつひとつなぞりながら朝日と夕日の違いを思ったりするのだろうか。

夕日を逆光に浴びて石岡が振り返る。足元に転がった石ころを図らずも蹴飛ばして、振り返りながらベンチに戻ってくる石岡が夕日の中で蜃気楼のように揺れていた。


森川が背もたれに乗せた腕を下ろして、両膝の上で手を組んだ。潮風に乱れる髪を気にもしない。

この三日間で知らなかった森川をずいぶん見たような気がする。二人きりの時にしか見せなかった顔を惜しみなく見せる森川。そして、二人きりの時にはけして見せない顔の森川。たった一人、石岡というボートが漕ぎ出しただけで、静かな湖面に漣が立っていつしか海のように広がった世界。

森川が立ち上がる。石岡はまた夕日を振り向いて、二人がそうやって夕日に向かって立っていると、自分だけが取り残されてスクリーンを見ているだけのような気がしてくる。

それはこの旅の間中穴瀬が感じた疎外感だった。