加奈子は、“嶋田”と書かれたプレートが掛かったドアの前に立ち、深呼吸をひとつしてから指でブザーを押した。

しかし応答がない。もう一度押しても同じなら帰ろう。そう思って加奈子がブザーに指を伸ばしかけた時、カチャッと音がしてドアが手前に開いた。


そして中から現れたのは、加奈子が会いたかった大輔……ではなかった。白いTシャツを着た桐谷美由紀が、加奈子を見て目を大きく見開いていた。


「か、加奈子さん……?」


その時、ピカッと稲妻が光り、その閃光が反射して美由紀の顔が青白く浮き出たが、加奈子はまるで妖怪にでも出くわしたような一瞬の恐怖を覚え、思わず後ずさりをした。


「先輩に何かご用ですか?」

「あ、えっと……明日、会社で言うからいいわ」

「そう言わずに、せっかくですから上がってください。それとも先輩を呼んで来ましょうか?」

「い、いいの。帰る。あ、私が来た事は黙っててね? じゃあね?」


加奈子は何を言ってるのか自分でもよく分からなかったが、とにかくその場から早く逃げ出したかった。そして、実際に逃げるようにして大輔のアパートを後にした。


階段を下りて通りを歩き出すとすぐに大粒の雨が降り始めた。加奈子に傘はなく、かと言ってどこかで雨宿りしようという気持ちにもならず、濡れるに任せてとぼとぼと歩いた。


(バカみたい……。今更嶋田君に会って私はどうするつもりだったんだろう。もう手遅れなのに……)


雨は容赦なく加奈子に降り注ぎ、まるで頭からシャワーを浴びたように加奈子の顔を流れ落ちていった。涙と一緒に。