12.
助手席で眠る彼に今、くちづけたら目を覚ましてしまうだろうか。もちろんそんなこと、するつもりはない。もし目を覚まさないと分かっていたって、そんなことしない。したいけど。
両手を緩く組んで(というか、組んでいた両手がゆるんで)、腿の上に乗せ、シートベルトをした体が少し窓際に傾いでいる。一生懸命起きようとしていたさっきまでの湖山さんの努力を思い出してつい笑みがこぼれる。この人の事なら何でも甘い。
高速道路にのってもいいけど、“経済的”という理由でのらない。でも本当は”時間的”な理由。
街道沿いに真夜中まで開店している店がバカみたいに明るい。路上駐車してラーメン屋に入っていくカップル。入り口だけがうっすらと明るいマンション。時代に置いてきぼりにされた小さな老舗の閉まりきった雨戸。
高級車のディーラーの薄暗いショールームの前の生垣で若い男性が休んでいるのが見える。具合が悪いのか、酔っ払っているのだろうか。駐車場の奥から男性が歩いてくる。ディーラーの社員だろう。きっと注意されるぞ、と思う。それとも二人とも社員なのかもしれない。営業マンと技術屋とか?そんなことを一瞬で色々考える。
ゆっくりと発進して、ゆっくりとブレーキを踏む。それでも車が発進したり、止まったりするたびに湖山さんの小さな頭が窓にこつりと当たりそうだ。柔らかそうな髪が揺れる。そして、半開きの唇を見ては目をそらして、俺は本当に・・・。
あ、月が、見える。走っていく先のビルの隙間で見え隠れしている。運転しながら見れることなんて滅多にない月を、もっと見たいと思えば思うほど、月は俺を翻弄して、右に隠れたり、左に隠れたりしている。いつか、見えなくなることがあるとしても、まだ見えるかもしれない一瞬を逃したくない。
赤信号で止まるたびに、このまま青になんてならなければいい、と思う。
だけど、信号は必ず青くなって、俺は進まなければならない。何度でも信号にひっかかりたい。この人の家まで、もう、あと幾つの信号があっただろう。
「んん・・・いま、どこ?」
「いま・・・笹塚すぎたトコ・・・。」
「ちょっと・・・ウトウトしちゃった」
「いいですよ、寝てて・・・」
眠そうな湖山さんについ見とれていたら、青信号に気付かなくて後続車にクラクションを鳴らされた。できるだけゆっくりとギアを入れ替えて発進する。後続車をもっとイラつかせちゃうみたいで申し訳ないけれど、どうか、許して。バカな恋をしている俺の後ろについてしまった運の悪いアクシデントだよ。
シートベルトを外して、湖山さんが上着を脱ぐ。
多分気のせいに近いくらいの微妙さで、湖山さんが上着を脱いだ瞬間この車内に湖山さんの匂いが充満する。そして、上着を脱ぐ時に捩じった体がこちらに近づいたほんの一瞬、彼の体温を感じた気がする。このまま閉じ込めておきたい気持ち半分、胸がつぶれそうで、窓を開けて深呼吸したい気持ち半分。
「暑い?窓、開ける?」
と、俺が聞くと、
「いや、大丈夫。脱いだらちょうどいい」
と咳払いをしながら少し掠れた声で言う。パーカーを足に載せて、またシートベルトを締める。シートベルトのカシャリという音が、似ても似つかない俺の心臓の音のようだった。
信号は、変わる。いつまでも赤くはない。そしていつも青信号な訳でもない。
この道をどこまでも行ったら、湖山さんの家。そして、道はどんなに回り道になったとしても、必ずどこかでつながっている。それだけが、今の俺にとってのこの人生の宝。