子どもの絵本シリーズの、マザーグースの詩集。
数少ない諒の“私物”である(この他に諒の私物と言えば制服しかない)。
諒も入ったら、気持ち良いわよ、の紫の声でふと我に返る。
「好きねぇ、それ」
立ち膝のまま冷蔵庫へ行き、紫はビール――本人曰く、風呂上りの――を飲みながらそっと諒の傍へ来る。
「…別に好きって程でもないけどね」
ふうん。
さして気にもしない様子でビールを飲み干し、紫は諒の傍でそのまま寝っころがる。
「残酷よね、マザーグースの詩って」
既に三本目の缶ビールを口に付け、紫が呟く。
残酷なのがいいんじゃないか――諒は内心ではっきりと否定するも――諒は口を噤んだ。
真実とは誰にも解らないものだ。総ての人々が与えられた事実を受け取るだけでしかない。
他には何も無い。
紫は黙って頁をめくる。諒は紫の髪からこぼれる水滴と洗濯したてのTシャツに染みた水のしみを眺めた。
華奢な躰、繊細さ。時々見せる子供のような表情。26のわりに妙な若さと大人っぽさが交じっていて、紫は不思議に美しかった。
異母姉を褒めるのもどうかと思うが、諒は紫を女性のなかでも一番の女性だと考えている。
だからこそ、紫の言う事には従順なのだし、一緒に暮らしているのだけど、それ以上に諒が紫を慈悲に近い感情を抱いているという事を、果たして当の紫は一体何処まで知っているというのか――。

諒の手元にあった本を引っ張り、紫は真剣に詩を眼で追っている。


ひとりのおとこがしんだのさ
とてもだらしのないおとこ
おはかにいれようとしたんだが
どこにもゆびがみつからぬ
あたまはごろんとベッドのした
てあしはばらばらへやじゅうに
ちらかしっぱなし だしっぱなし


「…残酷ねぇ」
ふうっと息を吐いて紫は隣の諒を見た。
諒は何も言わなかった。残酷なのがいいんじゃないか、と思ったが何も言わずに黙って紫の隣で眼を閉じた。
風呂入ってくる、ぶっきら棒な口調でのそのそ起き上がり諒はバスルームへと向かった。
何も考えたくなくて、でも独りになる事は嫌で。
乱暴に服を脱いで、鏡に映る自分の姿をふと見つめる。…刺された傷口の痕はくっきり残ってはいものの、既にそれは“過去”だった。
変えることの、決して出来ない過去。そしてそこから繋がる現在と未来。