それでも、紫が望む事なら諒は何でもしなければならない。学校へも行く。高校受験もする。
この気持ちは一体何だろう――?
あの、断たれた生活から見出した唯一の“平穏”を諒は必死に護ろうとしていた。
1年前は、何も無かった。
誰も、何も、諒の傍には無かった。周りに居る人間は全て敵だと思っていた。
だから諒は何も考えずに、周りに居た人間を誰彼かまわず殴り続けた。結果、それが諒を孤独に追いやるかたちをとったとしても、諒にはどうでも良かった。
目の前の相手が気絶するまで暴行を繰り返し、その度に補導され、その度にあいつの顔に泥を塗ってやった。
諒にとって、それが総てだったからだ――あいつに泥を塗ってやる。
…今、ようやく訪れたこの穏やかな生活が、紫のお陰であり、それが紫の為だったら、俺は何でもする。
例えそれが紫の未来の重荷になり、暗い処へ導いたとしても。


 紫には力がある。
勿論、行動力や率先力も兼ねた上で、の話だ。
保護者面談の後すぐにいろはに電話をした事やあのいろはをすんなりと掴まえてしまうところなどを考えると――しかも家庭教師として、といろはを迎えたのにも関わらず、無償で、と答えるいろはを知ってか知らずか――納得がいく話だ。
全く紫さんには頭が上がらない――諒はふとそんな事を思って頬を緩ませた。
「問4、出来たか?」
数学の教科書を顎で指して、いろはが訊く。
うん、と頷いてノートを渡すと、さぁっと眼を通したいろはは、ああ、出来てるな、と短く答えた。お前、やれば出来るんじゃねぇの、と言われ、諒はノートを受け取りながら教科書見たから、と答える。教科書に書いてある、公式と例題を見て、真似て計算しただけだ。褒められる程でも無い。
「それにしても優しいよな、紫さんは」
そう言うといろはは脈絡なく喋りだした。
黙って聞いていると要はいろはが単に紫の“いいところ”を喋っているだけなのだが、今の諒にとって大事な紫を褒めてもらえるのは、数学の問が解けた事を遥かに越えて嬉しい事であった。
「…優しいよ。しなくてもいい事ばかりしてくれる」