「玲美…」
何故か一瞬、視界がぼやけた。何故かはわかっている。わかっているのだ。そう、彼女が現れるはずがないということも…。
「L19…P1…2.7…」
もう少しだ。もう少しですべてが終わる。この断続的な苦痛が終わり、きっと想像もつかないほどの辛く、そして永久に続く苦痛の世界が待っている。そして今はそれを望んでいる。そう、苦痛を…。
「L20…P1…3.0…DOWN」
雅之のボードにメッセージが追加された。”DOWN”。ペースを落とせのサインだ。後続との差は3秒ある。無理するな。というサインだった。直人は別に無理をしているつもりはなかった。もちろんそれは走りについての話だが…。無理をしてるといえば、気持ちのうえでだけだ。サインボードを横目に、直人はスタートラインを踏みつけ、最後の周回へと突入した。1・2コーナーを抜け、S字へ。バイクを小刻みに右・左と振りながら、そのまま逆バンクに入る。いつものようなスムーズさはない。どちらかといえば強引にマシンをねじ伏せるようなライディング。本来の直人のライディング・スタイルとはいえないフォーム。そのままダンロップを抜け、デグナーへ。フレームがわずかに軋み、エンジンが唸なっている。ヘアピンで急減速。そしてコーナーを立ち上がる。さっきまでと寸分違わぬコーナリングとアクセルワーク。だが、それもこの周回で終わる。いや、終わってしまう…。
「もう、終わりなんだ…」
スプーンを抜けた時、急にそんな思いがよぎった。結局、彼女は来なかった。もう終わりなんだと…。それでも直人は、130Rを度胸一杯、アクセル全開で突っ込んでいく。