俺は、自分の血を見てもなんとも思わなかったのに、そのひと雫には、
涙以上に胸が締め付けられた。
「いや、こんなのたいしたことはない」
「本当に…本当にごめんなさい」
ほのかが手を引いて俺の手を離そうとする。
おそらくもう暴れないと思ったが、万が一を思い俺はその手を強く握り直した。
「いいんだ。花火の後で『もう2人では会わない方が…』と言っていたのに
俺の所にきてくれた。俺をもっと頼ってくれ」
「そんな…
私、いつも迷惑と心配ばかりかけて…」
「そんなことはない。俺はお前といると人を信じてみようと思えるんだ。
それはお前に対してしか抱かない感情なんだ」
「今日だって…
この前あんなこと言ったのに、何も言わずに突然来て…
暴れて…
けがまで。本当にごめんなさい」
「学生時代からの友達だろう?足もたいしたことはない」
友達…
それは俺の感情とは程遠い言葉だった。
でも、これ以上ほのかをおびえさせたくない俺にとって最も都合のいい単語だった。
それから俺は静かに涙を零すほのかの目を見た。はらはらと流れる涙は綺麗だった。
そして、落ち着いてきたように見えたほのかの手を、惜しむ気持ちを押し込めて…
離した。
ほのかがまだ暴れる可能性は0ではなかったので、いつでも押さえられるように
彼女が視界に納まる少し離れた床に座った。
自分で靴下をゆっくりと下げ、ガラスの刺さっている場所を見つける。
それは指の先ほどの大きさでそんなに大きくなかった。
俺は一瞬ためらったが、心を決めてそれを思い切って引き抜いた。
少し血がにじんだので、ポケットにあったはずのハンカチを探し患部を押さえる。
押さえた瞬間に少しだけ痛みが走り、顔が歪む。
「佐々木さん」
「なんだ?」
「手当できるものはどこですか?」
「TVに下の棚の中に白い箱があって、薬や、カットバンが入っている」
「じゃ…」
ほのかが立ち上がろうと体に力を入れたようだったが…
動かなかった。しばらくの間があり、蚊の鳴くような小さな声で
「…ごめんなさい」
と彼女は申し訳なさそうに謝る。
「いや、いい。落ち着いたら、自分で取りに行くから…
お前こそ、危ないし、ケガをして欲しくないからそのままそこに座っていて動くな」
しばらく押さえていたら、血は止まった。
幸い、それ以外に刺さったようなところはなく、俺は片足とびで白い箱を取りに行って、
自分で手当てをした。
手当をすますと、今度はソファーの周りをかたづけた。
割れたガラスを拾い、新聞紙に包んで、ごみ袋に入れる。
テーブルの枠が邪魔になったので、狭い納戸の方に移動させた。
クッションもガラスの破片が残っていたら怖いので
一緒に捨てることにした。
その間中、ほのかは俺のやっている事に顔を向けて視線で追っているようには見えたが、
心はここに非ずといった感じだった。
片付けが済むと俺はキッチンに行ってコーヒーとカフェオレを用意して
トレーに乗せほのかの元に戻った。
ほのかの視線を追いながら、目の前にカフェオレのマグを差し出してみたが…
目で追ってきても手は出なかった。
俺は、さっきまでテーブルがあった場所に座り、ほのかと向い合せになった。
「飲まないか?」
ほのかは横に首を振る。
「何か胃に入れないか?夕飯は食べたのか?」
また、首を横にしか降らない。
何があって、どうしてこんなことになったのか、暴れたり物を壊したりなんて
ほのからしくない。
あのどす黒く渦巻く感情に支配されたほのかの苦しみは…
何から来ているのか。
いつまでたっても何もわからないことがより俺をイラつかせた。
そしていらつきに任せて、つい
「何があったんだ…」
俺は何も悪くないほのかに向かって…
悪夢を呼び覚ます言葉を投げてしまった。
ほのかは何かを見ているのか、又首を横に振って、震えながら自分を強く抱きしめる。
しばらくそんな状態で、手が付けられなくなった。
そして、
「こわい…」
消え入るような声でそれだけ言った。
俺は、ほのかをどうしていいのかわからなかった。
心が読めると言っても、それだけのこと。
ほのかを癒すことも、ほのかの痛みを取り除くことも…
俺にはできない。ただ見えるだけだから。
俺は、ほのかを癒す力が、痛みを取り除く力が欲しかった。
でもそんな力簡単に与えられるものじゃない。
心を読める…本当はそれだけでもすごい事なのに、
今の俺にとっては何の役にも立たず、迷惑なだけだ。
自分に腹が立つ。でもそのイライラをほのかに向けるのはお門違いと言うものだ。
とにかく何があったのか聞くのはやめた。今はもうこれ以上刺激しない方がいいだろう。
いつの間にか、涙を零したままほのかはソファーで静かに眠っていた。
とりあえず、ほのかを起こさないようにそっと抱き上げ寝室に連れて行き、
俺のベッドに寝かせた。
おそらく、このまま家に帰るのはもう無理だろう…
そして俺は、ベッドに寄りかかりブランケットをかぶって座ったまま寝た。
ほのかは、その後何度か1、2時間寝ては、叫び声をあげて起き上がり、
ベッドの端で体を抱えて震えた。
俺はその叫び声で目が覚め、その度にほのかに声をかけ、落ち着かせ、寝るように促した。
俺はそれを何度か繰り返すうちに、このまま何も聞かずにほのかに寄り添おうと思った。
それから数日、ほのかはトイレにふらふらと行く以外ベッドから出なかった。
意識が比較的はっきりしているときには、ぽつぽつとだが話せる時もあれば、
死んだ魚のような目をして、叫ぶこともあった。
悪夢を見ているのか唸ったり、突然がばっと目覚めたりする。
落ち着いているときに、水分や軽い食事を無理矢理摂らせた。
それでも満足のいく量には程遠かったが…
こんなことでほのかを失うなんて考えられなかったから。
俺は、長期戦を覚悟してメールをした。
[しばらくの間、毎日飲み物と3食2人分の軽い食事を作って届けて欲しい。
携帯は返事を見たら切る。また、こちらから連絡する。]
こんな状態のほのかから、目を離す時間をできるだけ短くしたかった。
もちろん丸一日、一人にできるわけもなく…
[了解。]
その返事を見て、俺はもう1通メールをする。
[もう、お前の思うようにはならない。俺に関わるのをやめろ。]
それを送信できたのを見届けてから携帯の電源を切った。
そして、俺はしがらみを捨てた。
俺のベッドに…ほのかが眠っている。
俺は微笑みながらほのかの眠る俺のベッドの脇に腰を下ろして静かに目を閉じた。
END
このたびは、「その恋の行方は…」を最後まで読んでいただいて
ありがとうございました。
このお話は他サイトで完結している「不条理な恋 理不尽な愛」
という作品の重要な部分の男性サイドのお話です。
そして、現在更新中の「恋の賞味期限 愛の消費期限ベリカ版」に
今後「その恋~」の大希さんと穂香さんが登場する予定です。
2作品の主人公の関係は?
それぞれの名前から何となく推測できるかもしれませんが…
どうぞ楽しみにしていてください。
もし、こちらの作品を読んでヒロインに興味がありましたら
「不条理~」をお楽しみいただけるとうれしいです。
現在「不条理~」の方は書いた作品一覧にはありません。
連載をはじめましたらこちらの作品に追記して
お知らせしようと思いますので、ぜひ興味のある方は
この作品を本棚にインしていただけるとありがたいです。
その他、りょうの作品の本棚にある「その~…」という
タイトルのお話は全て長編の作品につながるお話にする予定です。
現在はこの作品
「その恋の行方は…」(短編)→「不条理な恋 理不尽な愛」
「そのキスの代償は…」(短編)→「恋の賞味期限 愛の消費期限」
にそれぞれ関連のある作品になります。
まず短編をお読みになって、興味のある長編へお進み頂けると
ありがたいです。よろしくお願いします。
2013.8.28 りょう
ほのかと…
彼女と会うときには、いつも眞人の陰が彼女を包んでいた。
最初の頃は月に1度月末の週末は、奴の手掛かりを探して彷徨う彼女に…
俺はただ付き合った。
数年は眞人の地元に行ったり、こちらの大学の周辺や交友関係を
当たったり、それなりにやることはあったが、年数が経過するに従って、
多くの人間に会うのに全く手がかりがない残酷な事実に、
次第に彼女は擦り切れて行った。
俺の中では、もう諦めろと言ってもおそらく聞かないほのかを
ただ見守るしかなかった。
彼女は頑固だ。自分で決めたことは何があっても突き通そうとする。
その意志の強さは彼女が俺を惹きつける理由の一つでしかないが…
反面、思い込んだら融通が利かないのが彼女の難点でもあった。
年々徐々に弱っていく彼女を見守りながら、もっとほかにすることが、
できることがあるのではないかと、俺の苦悩も深くなった。
それでも、ほのかは…
世に言う失踪宣告を受けた後でさえ…
眞人を諦めることはなかった。
「あの人が死んだ証拠が見つかったわけではないから…」
確かにその通りだ。でも世間でも死んだ人間と同じ扱いを受けるように
なった奴になぜ、ほのかがそこまで執着するのか
俺にはさっぱりわからなかった。
眞人を捜すことに行き詰った頃のある夏、俺はほのかを花火に誘った。
それをきっかけに俺はほのかにだたつきあい、ただ見守るだけでなく、
時々あちこちに俺の用事と称して連れ出した。
「眞人の事が気になるのはわかるが、気晴らしも必要だろう…」
そう言い訳をして彼女をつきあわせた。彼女も何も言わず俺に付き合った。
それは大学を卒業してからも、ほのかへの思いが断ち切れず
それなりに遊んではいても特定の恋人を作ろうとすら思わなかった
俺の唯一のわがままだった。
眞人を探しながら…
俺たちはあちこちに一緒に行った。友達以上恋人未満。
それでも俺にとっては幸せを感じるときもある時間だった。
そうやって変わらない時間が流れて行った…
そうしていれば、いつか、いつかほのかの気持ちも…
そういう下心ももちろんあった。
でも、そんな時間を何年重ねても、色々なところに二人で行って
ほのかと色々なものを共有するようになっても彼女の気持ちだけは…
変わらなかった。
いつも眞人の面影を追いかけていて…
二人でいるときにも似た後姿を見ると追いかけて行って
その姿の主に声をかけていた。