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こつ、こつ……長い廊下を歩く音が木霊する、とある晩。
勿論廊下の窓から見える空には月などなく、黒々とした闇の世界が広がっている。
と、足音が止まり、ただ静かな廊下には一人の青年の溜め息だけが響いた。
青年の目の前には無駄に施された装飾品のついた扉。その扉の前で青年は立ち往生している。
しかし中から「入れ」と威厳のある声が聞こえたため、青年は渋々といった面持ちで、されどドアノブを開き部屋の主へと向ける顔には、はりつけたような笑みが浮かんでいた。
部屋の主はこの東の国の王。
そして青年は、この国の王子である。
「なんの御用でしょうか、お父様」
やや引きつった笑みだが、それも気にせず青年、もとい王子の目の前にどっかりと椅子(これまた無駄に装飾が…)に座る王は、「うむ」と言って口を開く。
「実は同盟国である大国・アンドレシアから書簡が届いてな。魔族対処について話し合うため、東西南北各国から使者を集めているそうなのだ」
「へぇ、そうなんですか」
で、まさか僕に行けと言うワケじゃありませんよね?
口には出さないものの、王子の目が王にそう語っていた。
しかし王は鈍いらしく、そんな訴えも届かなかった。
「お前に行ってほしいのだ。我が息子、リーク・メルよ」
「…………はい。わかりました」
たっぷり間を置いて返事をする王子。
内心はきっと、『ふざけんじゃねぇ』
だろう。
王子の名は【リーク・メル】。
彼が鬼畜王子だということは、勿論王は知る由もない………
*
ギャア、ギャアー
カラスは早起きだと言うのは、どうやら本当のようだ。
ええい、朝からうるさいなと牛小屋の藁の上で丸まる少女。
彼女の手首と足首には鉄枷が。そしてそれぞれ両を繋ぐ鎖は見るからに重そうだ。
しかし、そんな彼女に近づく足音。
ざり、ざり、と地面の上を歩く音は、五感の鋭い彼女にとってうるさいものでしかなかった。
しかし、
「起きろ、トルガ」
「………チッ、もう仕事かよ」
絶対的な存在である主人の声なら、起きるしかないであろう。
牛小屋の外からコチラを覗く主人。
彼女の主人は一国の王子【リーク・メル】だ。
はて、主人とな?
実を言うと、彼女は奴隷である。
奴隷らしからぬ野蛮さ故、鉄枷と鎖さえ無ければどこぞの生意気娘かと言われる始末。
要は、一風変わった奴隷なのだ。
「なんだよリーク。まだ仕事の時間じゃねぇだろ。俺は眠いんだ……また後でな」
ふぁあ……と欠伸(あくび)をしては、もう一度寝床(藁の上)に体を沈める少女。
まったくもって、奴隷とは思えない態度だ。
そしてこの少女、奴隷として変わっているだけでなく、一人称が『俺』ということからも変わっている。
女として生まれたハズ、いやはやどこで間違ったのか。
そんな奴隷少女に、主人であるリークはにっこり笑って……
「今すぐ起きろ。今ここで血祭りでも盛大に行うか?」
「おはよーございますリーク様」
青筋ぴっきぴきです。
どうやら王子は低血圧のようだ。(え?そういう問題じゃない?)
というより、『盛大に』を強調するあたりが恐い。さすが鬼畜王子。
牛小屋から離れた奴隷専用井戸。
決して奴隷の水分補給のための井戸ではなく、奴隷が仕事するに当たって使う井戸という意味での『専用』だ。
奴隷少女のように、平気で顔を洗うという真似をすれば、フツーの奴隷なら今ごろ首スパーンだ。
「……で、今日の仕事はなんでございますかァ?リーク様ァ」
小馬鹿にしたような口調で問う少女の頭をガシッと掴み、井戸水を汲んだ桶の中に顔を突っ込ませる王子。
窒息死になろうが王子は知ったこっちゃないという風に、王子は涼しい顔で少女の頭を離さない。
………や、ホント死にますって。
「ぶぐっ!ぶくぶくぶくぐっ!
(おいっ!この手を離せっ!)」
「黙って死んでろ」
「ぶごぐごふごごっ?!
(なにこの鬼畜っ?!)」
手をバタつかせて反抗する少女だが、その行為も無意味にちかい。
ついには手首の鎖で水桶をガンガン叩き始めた。しかし、その行為も長くは続かず………
「ぶご……ぶくぶく……………」
ぴたりと止まる少女の動き。
それを見かねてやっと王子は手を離した。と、同時に上がる少女の顔。
「ぶはっ……! おまっ、俺を殺す気かよっ!!」
「僕に反抗的な態度を見せるからだ。どうだ、少しは頭が冷えただろう?」
「冷えるどころか怒りで熱びっりびりだわボケェッ!!」
「ほぅ、ならもう一度苦痛を味わえ。
泣いて謝れ。生まれたことに懺悔しろ」
「そこまでやらす?!」
あまりの鬼畜っぷりに少女がツッコむ。これも日常と化したことだ。
「さて、今日は話があって来た」
「はん?仕事じゃねぇのかよ」
「そんなに仕事がしたいなら幾らでもやらすぞ。家畜の相手、ヘドロ撤去、農民の不満聴集、ゴミ漁りにゴミの相手……「ちょっと待て最後のオカシイから!」
もはやツッコまずにはいられない。
しかして本題。何の用かと奴隷少女が尋ねれば鬼畜王子、リーク・メルはただ一言。
「行くぞ」
「………。は?!それだけッ?!」
王子は簡略家なのだ。
そしてこれがこの旅、この物語の始まりである。