◇
足が重い。
自転車を押しながらゆっくりゆっくり進む。普通に歩くよりもずっと遅い歩みだ。
家に着きたくなかった。
朝からずっと考えることを避けていたのに、家に帰ったら嫌でも思い出してしまう。
さすがに今朝の出来事は、気のせいという言葉だけで片付けられなかった。
台所で、両肩を掴まれて、確かに私は瑞貴にキスをされた。
この事実をどう受け止めればいいのかわからない。
なぜ? なんのために?
ひとりで考えても答えは出ない。
むしろ瑞貴の唇の感触を思い出して顔が熱くなるばかりだ。
どうして?
なんで?
家が近づくにつれて、頭の中はそのことでいっぱいになる。
だめだ、こんなんじゃ――
『沢井』の表札の前で深呼吸をした。