それには、今よりずっと若い母親の声で私へのメッセージが記録されていた。


テレビ以外で母親の声を聞いたことがなかった私は、驚いて声も出なかった。


知らなかった……。


母が、こんなことを考えていたなんて。


相手が何を考えているのか、考えたこともなかったのは私の方だ。


母は、こんなにも私のことを考えてくれていた。


その後、夢中になってテープを聞いた。


録音時間ギリギリまで収録されたそれは。


全て、最後の方は涙ながらにただ会いたいと繰り返していて。


私は声も出さずに涙を流し続けていた。













最後のテープを見て、はっと気がついた。


私、今日が誕生日だ……。


つまり、このテープは今日、録音された…?


そっとりょうを見ると、すべてを悟ったように微笑んで頷いた。


「だからこそ今日、俺は葵に会いに来たんだ」


それを聞いて私は「ははっ」と小さく笑った。


「誕生日なんて、気にしたことなかったから」


なんて、それは強がり。


ずっと気にしていた。


私が産まれてしまった日。


私は、この日が何より嫌いだったから。


何度、この日を迎えるたびに死のうと思ったことか。


私が暗い表情になったのを見て


「……何を考えてるか、なんとなく分かるけどね。とりあえず、これ聞いて」


少し乱暴にテープを押し込めて、りょうがレコーダーを再生させる。


ちょっとムッとしたりょうに首を傾げつつ、私は最後のテープに耳を傾けた。







『25歳の葵へ


……お誕生日おめでとう!


もう、立派な大人ね!


高いヒールの靴も、履くようになっていることでしょう。


知らない間に、ずいぶん大きくなってしまったわ。


聞けば、恋人ができたそうね!


……あなたのお父さんは、仕事はできるけど、肝心なときに失敗するのよ。


私のときもそう。


子供はなんとしても守るからーなんて言って、私はどうすんのよって話!


……結局、あなたは無事に産むことができたけど、私もあの人もあなたからは離されてしまった。


それが原因で、喧嘩が増えてね、こっちから振ってやったわ!


……それでも、あなたには会わせてもらえなくて。


精神的にダメになりそうな私を支えてくれたのが、今の夫。


彼がいなかったら、私今頃死んでたわ。


……だからね、葵。


自分を支えてくれる人を、手放しちゃダメよ?


私たちのせいで、背負う荷物が多くなってしまったあなたは、余計に、ね。


……今、隣にいるだろう彼にも同じこと言っておいた。


彼は覚悟できてるわ。


安心して、胸に飛び込んじゃいなさい!!


……近いうち、2人で会いにいらっしゃいな。


あなたに会えるのを、ずっと待ってたんだから!


だから、今回の騒動には感謝してる。


……なんてね。


葵、誕生日おめでとう。


産まれてきてくれてありがとう。


めいっぱい幸せになってね!』











ぷつっという小さな音で再生は終了した。


私はしばらく放心したように動けなかった。


……最後のテープで、初めて母は泣かなかった。


無邪気に笑って、私に幸せになってと。


――――望んじゃいけないと思ってた。


私は、幸せになってもいいのかな。


それを、望んでもいいのかな。


溢れる涙を堪えることもせず、私は目の前のりょうを見つめた。


そんな私に、りょうはゆっくり話しかけてきた。


「……うちの社長もね、榊原さんに言われてすごい後悔してた。『これ以上あの子から何を奪うつもり!?』ってね」


そのときのことを思い出しているのか、りょうは可笑しそうに笑った。


しかし、すぐに真剣な顔になって私に向き直ってきた。


「………ねぇ、葵。今まで辛かったよね。だから、これからは俺が支えていきたい。……ただ愛してるんだ。葵を諦めるなんて、できるわけないっ!!」


叫ぶようにそう言って、こらえきれなくなったように私の腕を引き強く抱きしめてきた。


『安心して、飛び込んじゃいなさい!!』


母の言葉が、胸に響いた。


「りょ、う……!!」


私は逆らうことなく、その広い胸に飛び込んでいった。







涙が、止まらなかった。


そんな私を、りょうは力一杯抱きしめてくれた。


ぐすっと頭の上から鼻をすする音がして。


りょうの腕が震えているのに気づいた。


彼もまた、泣いているのだ。


「……ねぇ、葵。今度、2人でデートしよう!」


震えた、涙声の彼の台詞。


それは、とても懐かしい響きを持って私の中に入ってきた。


大学生のときの、カフェでの小さな1コマ。


彼が初めて私に告白してくれた、あの日。


あのときも私は彼から逃げていたっけ。


いつだってあなたは、ためらうことなく私を捕まえに来る。


私は笑いながら、彼の背中に腕を回して言った。


「デートって、付き合ってる男女がするものですよね?」


そう言えば、彼もとても嬉しそうに笑って私の額に自分の額を合わせて言った。


「………そう。だからね、葵」
















「俺のお嫁さんになってください」


















「…………えっ」


「ふふっ、タコみたいだ。……ねぇ、葵? 俺はもう二度と、君が逃げる隙なんて与えないからね」


そう言って、りょうは体を離して触れるだけのキスをした。


途端にもっと赤くなった私に、りょうもほんのり頬を染めて言った。


「愛してる、葵。俺と結婚して?」


「…………はい」












―――――――






「りょう、起きて! 撮影に遅刻しちゃう!!」


朝に弱い俺を必死で起こす、可愛い俺の葵。


あの騒動のあと、2年の月日を経て葵を取り戻し、問答無用で籍をいれた。


また失うことが怖かったから、一刻も早く法的にも葵を俺に縛り付けておきたかった。


何て醜い独占欲。


それでも、もう二度と彼女を手放すことなんてできないのだ。


そんな俺のどす黒い感情に気づくことなく、葵は俺の手中に収まってくれた。


「起きてっ、りょうってば!!」


俺の狸寝入りに気づくことなく、未だに必死で起こしにかかっている葵。


実はかなり前、彼女が抱きしめていた俺の腕を抜け出したときから、目は覚めている。


では、なぜ狸寝入りをしているか。


それは――――


「起きて!起きてってば!! もうっ!りょうっ!」


そう言って、ベッドに上がり込んでくる葵。


すかさず腕を掴み、無防備な仔羊を腕の中に囲った。


いつも葵は俺の罠に簡単に飛び込んでくる。


護身術に長けた彼女のことだから、きっとわざとなんだろうけど。


それを腕の中に閉じ込めるのが俺の朝の楽しみなのだ。


頭と腰に手をやり、ぐっと抱き寄せる。


(あぁ、葵の感触だ……)


これではかなりの変態だが、しかたない。


葵が可愛いすぎるのがいけないんだっ。


ぎゅーっと抱きしめ、朝の葵を楽しむ。


幸せだぁ………。







あのあと、俺と葵は榊原さんと社長に会いに行った。


社長と榊原さんは何度も何度も謝って。


再会した3人は最初、かなりぎくしゃくしていた。


それでも、今までのこと、これからのことを話しているうちに徐々に打ち解けて。


そろそろ帰ろうと言って見送ってもらっていたとき。


「………会えて……話せてよかった。また、ね……お母さん、お父さん」


そう言って、葵ははにかんだように笑った。


榊原さんと社長は涙を流しながらも、嬉しそうに笑って。


俺もそれを見て、もらい泣きしてしまった。


何であなたが泣いてるのと、そっくりの笑顔で笑うものだから。


あぁ、この親子は大丈夫だ。


と、俺は心がほかほか温かくなった。







「わっ! もうっ、びっくりした! 起きてるんなら早く言ってよ!」


そう言って膨れている愛しの新妻。


もう……可愛いなぁ。


たまらず、俺はそっとキスをした。


驚いたように胸を押し返してきたけれど、その手をきゅっと握る。


朝にしては濃厚すぎるキスを交わした。


しばらく楽しんで唇を離すと、葵は真っ赤な顔ではふはふと息を乱していて。


それにまたずきゅんときた俺は、再び唇を重ねようと顔を近づけた。


「まっ、待って! 撮影、遅れちゃうっ、んぅっ…!」


なんだかうるさいことを言っている口を塞いだ。


俺って結構Sなのかもしれない。


葵と過ごしているとよく思う。


まぁ、嫌がってないしいいのかな。


じたばた暴れる葵を押さえながら、そう思った。





「んんっ……ちょっ、りょうってば!」


ことをさきに進めようとしている俺に気づき、葵が全力で止めてきた。


「なにする気!?」


「なにって……わざわざ口に出して言ってほしいの?」


葵はMだ。


最近、思うようになったこと。


すると葵は真っ赤な顔で怒鳴った。


「ち、違うっ! 仕事はどうすんのっ!!」


……あぁ、そんなこと。


だったら、


「遅刻したらどう――――」


「ないよ」


葵の言葉を遮って、俺は言い放った。


葵は意味が理解できなかったのか、ポカーンとしている。


………可愛い。


「………へ?」


「今日、休みになったの。昨日帰ってくるの遅くなって言いそびれちゃった」


そう言ってにっこり笑えば、葵はしばらく呆けていたが、みるみるうちに笑顔になった。


俺の大好きなひまわりのような笑顔が咲く。


それを見て俺の心は暖かく、しかしドキッと跳ね上がる。


幸せってこういうこと。


俺の幸せは、ただ1人の笑顔だけだ。







「そうだったんだ!
久しぶりの休みだね」


そう嬉しそうにへへっと笑うものだから、こっちはすっかりその気になってしまった。


葵の慌てるところが、見たかっただけなんだけど………。


ま、いいのかな。


「じゃあ、いいよね」


俺はそう言って休めていた手を動かし始めた。


「っ……ぁ……!」


油断していた彼女は、自分の出した声に真っ赤になっている。


慌てて自分の手で口を塞いだ。


相変わらず、慣れないなぁ。


そういうところが、可愛いんだけど。


俺は必死になって口を塞いでいる葵の手をどかして、触れるだけのキスをした。


「――――葵」


そっと窺うように顔をのぞく。


俺は、葵がいいと言うまでそういうことはしない。


彼女の悲しい涙は、もう見たくないから。


真っ赤になって俯いている彼女をじっと見つめた。


「………うぅ…。や、優しくしてね…」


「……了解」


ちゅっと額に小さくキスを落としながら囁いた。


もちろん、優しくするさ。


めいっぱい甘やかして、俺から離れられないようにしなくちゃ。


「……葵………」


「ぁっ……りょ、う」


ようやく俺の腕の中に戻ってきてくれた。


我が麗しの恋女房ですから。












【end】