私の恋人は遠くに行ってしまった――――











と言っても、死んだわけではないんだけど。


今はテレビの中にいる。


『それでは、登場してもらいましょう! 人気絶頂の長谷川亮介(はせがわりょうすけ)くんです!!』


まばゆいばかりの笑顔で出てくる若手イケメン俳優。


バラエティー番組に少し戸惑っている様子が、何ともいえず好感が持てる。


今月の雑誌の表紙は、彼の笑顔であふれていた。


長谷川亮介。


抱かれたい男性有名人No.1。


ドラマから映画にCMにと引っ張りだこ。













もう、私だけのりょうではなくなってしまった。







ある日、りょうの事務所の人が私のことを訪ねてきた。


話を聞かなくても要件は分かった。


人気絶頂のりょうに恋人がいるというのは致命的な問題だから。


私もそう思う。


それによって彼の仕事に影響を及ぼすことは、私にとっても不本意だ。


ずっと、覚悟していた。



「これはお願いではなく、命令と思っていただいた方がよろしいかと。こちらもそれ相応の対応をさせていただきますので」



そう言われて差し出された厚みのある封筒。


私はそれを無言で見つめた。


大丈夫。諦めることには慣れている。


大丈夫。



「こちらの意味、理解していただけますね? 彼のためです」



私は黙ってそれを受け取った。





「もしかして……泣いた? 何かあったの?」


その日、夜遅く帰ってきた彼を心配させるほどに私は泣いた。



『彼のためです』



事務所の人の言葉が頭をよぎる。


大丈夫、分かってるから。
だから私は嘘をつく。


「りょうのドラマを見て感動しちゃったの!」


そう言って笑えば、彼は嬉しそうに私を抱きしめた。


「もっともっと、葵(あおい)を笑顔にしてみせるから」


それは彼の口癖。


いつだってあなたが、あなただけが、私に笑顔をくれた。


彼の腕の中、泣きそうになるのを必死でこらえた。


彼に知られてはいけない。


優しい彼は、言えばきっと何とかしてくれるだろう。


でも、それではいけない。


損な役回りは、私だけでいい。






りょうが海外ロケに行っている隙をみて、彼と住んでいた部屋を出た。


安いアパートに移り住んでもうすぐ一週間。


そろそろ彼が帰ってくる頃。


彼には事務所の方から話をしてくれるそうだ。



『申し訳ないが、あなたには悪役になっていただきます』



事務所の人が最後に言い残していった。


まぁ、お金を受け取ったのは事実なわけで。


それを使えばもっといいところに引っ越せたけど。


どうしても使う気にはなれなくて。


手付かずのまま、私の手元に残っている。


受け取れば。


やっぱり別れたくないなんて言えなくなるから。


彼の元に戻れないように、自分の抑止力として受け取った。


昔から諦めるのは得意だ。






私の母親は大女優、榊原碧(さかきばらみどり)。


父親は生きているのか、死んでいるのか、それすらも知らない。


私はいわゆる、隠し子というやつだ。


まだ榊原碧が若手だった頃、極秘で産んだのがこの私。


その頃、今では代表作となった映画で一躍有名になっていた彼女にとって、私の存在は邪魔だっただろう。


それなのに、なぜ産んだのか。
私は何も知らない。


物心ついた頃から母親と一緒にいた試しがない。


私は彼女と隔離され、徹底的に隠されてきたのだから。


関係者の間で育てられたが、なにせ私は動く爆弾。
たらい回しにされた。


女優、榊原碧の秘密を護るために護身術を叩き込まれ、引っ越しを繰り返す日々。


小さい頃はよく泣いたが、次第に何とも思わなくなった。







私はまず、普通の家族を諦めた。






高校生になって演劇部に入った私は、たちまち演技の魅力に取り憑かれ、役者の道を志した。


しかし、そんなことが許されるわけもなく。



『何ふざけたこと言ってんだ! お前をこの世界に入れるわけにいかねぇんだよ!! ちょっと考えりゃ分かるだろ!?』



『うーん、厳しい世界だし、それにあなたは……ねぇ?』



誰に話しても、そんな感じだった。


その瞬間、私は思い出したんだ。


そうだ、私は存在してはいけないんだった。


人前に出るなんてとんでもない。


私は爆弾。


いつ人々を巻き込んで傷つけるか分からない。







私は夢を諦めた。