「瑞穂、送っていくから今日は帰ろう」
「嫌っ。あたし、帰りたくない!!まだ星哉に話が……――」
「話なら俺が聞くって。とりあえず、帰ろう」
ナオくんは瑞穂ちゃんをなだめるように肩を抱くと、ゆっくりと歩き出す。
その間も、瑞穂ちゃんは何度も振り返り星哉にすがるような目を向ける。
「……――っ」
なんだろう。この感じ……。
過去に星哉と瑞穂ちゃんの間に何があったのかは分からない。
だけど、今、息が止まりそうなほど苦しい。
「……――桃華、帰るぞ」
一度小さく息を吐くと、星哉はゆっくりとあたしに目を向けてそう言った。
……きっと、これでいいんだ。
過去に星哉と瑞穂ちゃんに何があったのかは分からないけれど、今、こうやってあたしを選んでくれたんだから。
ナオくんに瑞穂ちゃんを頼んで、星哉はあたしを家まで送ってくれると言っている。
それでいい。
その事実だけを頭の中に叩き込んでしまえばいい。
そうすれば、胸の中に不安の種を抱えることなんてなくなる。
「……――うん」
小さく頷くと、星哉はあたしの左手を取った。
「そういうことだから」
少しだけ挑発的な声でヒロちゃんに言うと、星哉はそのままあたしの手を引いて歩き出す。
ヒロちゃんの横を通り過ぎるとき、一瞬、ヒロちゃんと目があった。
何かを訴えるようなそのまなざしに心が揺さぶられる。
その目は、10年前のあの日、引っ越していくヒロちゃんが見せた時と同じだった。
ヒロちゃん、ごめん。
本当にごめんね。
あたし、ヒロちゃんとの約束……守れそうにないよ……。
心の中で何度も謝りながら、あたしは黙って星哉に着いていった。
静かな住宅街にあたしと星哉の足音だけが響く。
時折、街灯に照らされる星哉の横顔。
ねぇ、星哉。
星哉は今……何を考えてる?
誰のことを……頭に思い浮かべてる?
星哉のその横顔が少しだけ物悲しそうに見えて、あたしは思わず目を反らした。
「……――今日、何してたんだよ」
重たい空気の中、先に口を開いたのは星哉だった。
「別に……何もしてないよ」
「ずっとあの幼なじみと一緒にいたのか?」
「ううん……。違うよ」
工場の中で一緒にいたのは間違いない。
だけど、それはアルバイトだから。
星哉へのクリスマスプレゼントを買うためにバイトしていること。
それを隠すためにあたしは嘘を吐いた。
「ヒロちゃんとか言ってるから、女かと思った」
「そ、そうだよね……。ごめん、言い方が悪かったね」
「別にどうだっていい」
「どうだって……いい?」
星哉の言葉にパッと顔をあげると、星哉はまっすぐ前を見たまま顔色一つ変えずにそう言い切った。
その言葉の通り、本当にどうでもいいような星哉の態度に胸の奥から複雑な感情がこみ上げてくる。
「星哉は……あたしが誰と一緒にいても全然平気?」
「誰といてもって例えば誰だよ」
「ヒロちゃんとか……愁太とか……」
「あいつらは幼なじみだって自分で言ってただろ」
「もし……、もしもの話だけど、ヒロちゃんがあたしのことを好きだったらとかそういうこと、考えない?」
「もしそうだとしても、そんなの考えるだけ無駄」
星哉はピシャリとそう言うと、取り出したタバコに火をつけた。
ふわふわと空に浮かんでは消えていく白い煙。
あたしは感情を抑えるためにギュッと唇を噛みしめる。
「ははっ……。なんか……ひどいなぁ、それ」
「何がだよ」
「星哉はあたしが誰と何をしてても全然平気みたいだもんねっ?」
笑顔を作ってごまかそうと思っても、顔中がひきつる。
愁太と二人でご飯を食べにいっても、星哉は何とも思わないんだよね?
あたしは、星哉が幼馴染の女の子と二人っきりでいるところを想像しただけでもすごく嫌な気持ちになる。
それは、星哉が大好きだから。
大好きだからこそ、嫉妬もするし、不安にもなるんだ。
「だけど、あたしは違うよ……?」
「さっきから何が言いたいんだよ」
「あたしは……星哉が女の子に抱きつかれたり、腕を組まれたりしたら嫌だよ?全然平気じゃないよ……?」
瑞穂ちゃんに抱きつかれたところを見られていたなんて夢にも思っていなかった様子の星哉。
「桃華、お前……――」
星哉が驚いたようにこちらに目を向ける。
「瑞穂ちゃんとは……どういう関係なの?」
「それは……――」
「言えないって言うことは、やましい関係ってことだよね……?」
「やましくねぇよ。瑞穂は……――」
「……――やめてっ!!」
たまらなくなってそう叫ぶと、あたしは繋がれている星哉の手を振り払った。
「他の女の子の名前……呼んだら嫌なの……」
「おい、落ち着けって」
どうしても自分自身をコントロールできない。
「落ち着けない!!あたしは星哉みたいに……いつも冷静じゃいられないもん……」
唇が震えて上下の歯がガチガチと当たる。
「あいつとのこと話せばそれで満足か?それなら……――」
「違うのっ!!あたしは……――」
自分でも何に対してこんなに熱くなっているの分からない。
ただ、不安だけが募っていく。
『星哉』と呼ぶ瑞穂ちゃんの声。
星哉の腕に当たり前のように腕を回した瑞穂ちゃん。
『瑞穂』と呼ぶ星哉。
『そんなの考えるだけ無駄』
あたしとヒロちゃんのことなんて……どうでもいいような言い方をする星哉。
星哉にとってあたしは一体なんなんだろう……。
付き合い始めてから今の今まで、ドキドキワクワクして、星哉の言葉に一喜一憂して。
あたしにとってそんなキラキラした毎日が星哉にとってはどうってことのないただの日常なのかもしれない。
『別にどうだっていい』
もしそうだったとしても、あんな言い方しなくてもいいのに……――。