遡る事、数時間………



小桜の間に、珍しい人が顔を出した。


「…あれ?武さんどうしたの?」


正座をしていつも首に掛けている手拭いを握り締めた武さんは、普段は板場以外の場所で目撃される事の少ない、ごっつい顔を曇らせている。



「今日は、十夢さんと坊っちゃんにお願いがあって、ここまで来ました」



「…坊っちゃんは止めてって言ってるじゃん」



眉を寄せる桜介は、そう言って口を尖らせた。

…そんな顔してたら、坊っちゃんって言われても仕方ない気がするけどな……




「嬢ちゃんの眼鏡を取らないでやって欲しいんです。
あれで…心を守ってるんです」



「…ねぇ、何があったの?僕が居ない間に」



「…大学に行ってからの事は分かりゃあしませんが、なんで眼鏡を掛けるようになったかは存じてます」



ますます顔を曇らせる武さんは、言いにくそうに視線を泳がせた。




「…どういう事?」


「嬢ちゃんには友達と呼べる方がほとんどい居ないんです」


「え……?だって数は多くないけど仲良い子は居るって…写真も」



武さんの言葉に桜介の瞳が揺れた。



「あれは私の姪っ子です。
遊びに来たときに撮った写真です。
…もちろん……その後連絡なんざぁとっちゃいません」


「…嘘だったの…?」


「坊っちゃんに心配かけたくないと、泣いて口止めされました…」



あの子に泣かれんのは、武さんも弱いんだな…