・*不器用な2人*・(2)

翌日の昼休み。

梶君は早々とパンを食べ終えて、片付けを始めた。

「バスケ部員のクラス一通り回って来る」

梶君の言葉に浅井君たちが頷いた。

「風野も一緒に来る?」

お弁当を忘れてジッと隅の方に座っていた私に、梶君は明るく声をかけてくる。

私は首を縦に振って、立ち上がった。

校舎の中へと入ると、生徒たちのにぎやかな声が階下から聞こえて来る。

「バスケ部からの転部希望者って多いの?」

私が訊ねると、梶君は「まぁね」と笑う。

「野球部は運動部の駆け込み寺って言われてるくらいだから。
厳しい部活からは結構転部してくる生徒が多いよ」

「バスケ部って厳しいの?
私、あそこの評判はあまり聞いたことがないけれど……」

夜遅くまでボールの弾む音が聞こえる体育館を思い出して、訊ねてみた。

バスケ部での知り合いだなんて芳野君くらいのもので、全体的な雰囲気や構成なんてまったく知らないでいた。

「普通に和気あいあいとした部活なんだけど、ただ体育会系だから上下関係は厳しいから、1年のうちは辛いみたいだよ。
部活以外の時間でも先輩に会ったら絶対に立ち止まって頭を下げて挨拶をしなきゃいけないし、無断欠席は勿論のことで理由があっても部活を休むことはできない。
あと合宿中も1年生は最後まで起きていなければいけないし、朝食を作るのも1年生。
何より有名なのが退部する時の手順だね……」

梶君の説明を聞いているうちに、私までもぐったりしてしまった。

運動部なのだから仕方のない面もあるけれど、あまりにも面倒だ。

いまどきそんな規則を律儀に守る生徒も生徒だとは思うけれど。
芳野君はすぐに廊下まで出てきてくれて、私と梶君を見下ろすと「久しぶり」と肩をすくめて笑った。

「大変言いにくいんだけど、お前のとこの部員が野球部に転部したいんだって。
それで挨拶回りをするよう監督に言われたらしいんだけど、野球部としては今日からこちらの練習に出てほしいから、俺が代わりに挨拶することになりました」

梶君が簡潔に事情を説明すると、芳野君は「またか」と肩を落とした。

「部員って、誰だっけ……1年のあの背の高い子?」

芳野君に訊ねられて梶君はあっさりと頷く。

「バスケ部の2、3年ってそんなに怖いわけ?
今月に入って転部希望者が絶えないんだけど……」

梶君の言葉に芳野君は困ったように首を捻る。

「そんなことないと思うんだけどなぁ……」と歯切れ悪く言いながらも、彼は退部の許可をくれた。

同じクラスにバスケ部が他にもいるらしく、その場で一斉に呼び集めて決までとってくれた。

「このクラスの部員は全員許可ってことにしておいて。
体験入部の時期だし退部も仕方ないよ。な?」

芳野君に同意を求められた2年生たちはしぶしぶといったようにゆっくりと頷いていた。
2年Bクラスの扉を開けると、丁度近くの席の生徒と目が合った。

「バスケ部の城島君っているかな」

梶君に言われた生徒は教室を直ぐに見渡して、「城島―」と怒鳴る。

すぐに教室のどこかから返事が聞こえ、立ち上がった茶髪の男子がパタパタと足音を立てて入口へとやって来る。

「3年の先輩たち」

生徒が私たちを手のひらでさすと、茶髪の彼は「え」と一瞬だけ低い声を上げて、私たちを振り返った。

目にかからないように適当に結わえられた茶髪と、耳に光るピアス。都会的な顔立ちにスッとした長身……。

「君、昨日の……」

私が言うと、男子はパッと表情を明るくさせた。

「てっきり部活の先輩が来たかと思ってびっくりした」

城島と呼ばれた彼は明るく笑うと、廊下まで出て来て教室の扉を素早く閉めた。

「名前、城島君って言うんだ」

私が梶君の持っている名簿を見ながら言うと、彼は笑顔で大きく頷いた。

「昨日名前言うの忘れてたもんね。
城島陽人です」

城島君はそう言いながら、少しだけ姿勢を屈めた。

私と梶君を見下ろすのを申し訳ないと思ったのだろうか、視線が丁度同じ高さになる。

「城島君、君ってスポーツ推薦で松林に入ったんだね……」

梶君が名簿を見てパッと目を見開く。

松林のスポーツ推薦は中学の時に余程の結果を残していないと入学できないという狭き門なのだ。

部活動では重宝視され、1年の春から試合に出してもらえるというのは有名な話だった。

「バスケは小学校の時からやってたから、中学でも勉強そっちのけで頑張ったら入れちゃったんだ。
だから高校の勉強は全ッ然ついてけないんだけどさー」

屈託のない笑顔で言う城島君につられ、梶君もやんわりと表情を和らげる。

「そっか、君見るかにバカっぽいもんね」

そう言いながら梶君がガッシリと城島君の肩を掴む。

「敬語、喋れてないもんね」

笑顔のまま梶君に言われた城島君が表情を軽く引き攣らせる。

「敬語苦手なんだよ俺―……。
敬語よりタメ口の方が短く喋れるじゃないか……」

視線を泳がせながら城島君は梶君の手に自分の手を重ねる。

「それより、何か用事なんだよね?」

城島君に視線を向けられて、私は慌てて頷く。

「あのね、1年の子がバスケ部から野球部に転部したいんだって。
それでその子の代わりに私たちが全クラス回って許可をとっているんだけど。
城島君も許可してくれないかな?」

私の言葉に、城島君がフッと動きを止めた。

彼の顔から徐々に笑顔が消えていくのが見ていてハッキリと分かった。

「許可できない……?」

梶君がそっと手を離しながら城島君に言う。

「いや、許可はするけど……」

城島君は歯切れ悪くそう言って、頬を掻く。

「転部希望者、本当に多いんだね」

城島君が困ったような笑みを浮かべると、梶君もゆっくりと頷いた。

「バスケ部は上下関係が厳しいのに対して野球部は礼儀なんてほとんどあってないような部活だから」

名簿に丸印を打って、梶君はそう言った。
城島君が教室へと入ろうとするのを、梶君が慌てたように呼び止めた。

ドアにかけた手を直ぐに引いて、城島君は振り返る。

「おまえ、昨日すごい遅くまで残ってたよな」

梶君の言葉に城島君が目を見開く。

「スポーツ推薦だからって、そこまで頑張ることはないんじゃないか。
消灯時間や施錠時間が過ぎてから校内に残っていると、万一の時とかに困るだろうし……。
おまえの手、すごく見栄え悪い」

梶君は素早く伸ばした手で城島君の手首を掴むと、私の方へと向ける。

城島君は目を丸くしたまま梶君から私へと視線を動かした。

「そこまで酷くはないと思うよ」

2人に向かって答えてはみたものの、城島君の手を綺麗だとはとても思えなかった。

「昨日は、俺途中で部活抜けちゃったんで……。それで夕方にまだ体育館に戻って練習してたら変な時間になったってだけで……。別にそんなに頑張ってないよ」

城島君は梶君の手を払わないまま困ったように言う。

「でも、その前の日もお前1人だけ遅くまで残ってたじゃん」

梶君がたたみかけるように言うと、城島君は今度こそ黙り込んでしまった。

体育館から聞こえてきたボールの弾む音を思い出した。

「推薦枠で入ったけど、俺よりもっとすごい人たちいるんだよ。
絶対にレギュラーに入れるからって俺だけ手抜いてたら失礼だと思ったし……それに一昨日も俺だけ練習時間がちょっとずれてたから」

城島君がそこまで言い掛けた時だった。
「梶」

隣りの教室から顔を覗かせた芳野君が明るい声で言った。

城島君がパッと顔を俯かせ、梶君も慌てて城島君から手を離す。

「2年に絡むなよー。
そいつ掘り下げたって何も出てこないから」

芳野君の言葉に梶君が少しだけ眉をひそめる。

「城島の練習時間がずれてたって本当?」

梶君の言葉に芳野君はあっさりと頷いた。

「何だったっけ。頭痛だったっけ。
なんか体調悪くてちょっと休んでたんだよな?」

芳野君に話を振られた城島君はすぐに「体調悪くて」と頷いた。

「体調悪いなら帰ればいいじゃん。
別に遅くまで残らなくても……」

そう言う梶君の肩を芳野君が親しげに叩く。

「野球部はそうでもバスケ部は駄目なの。
昨年のインターハイなんてさ、インフルエンザの奴が2人も出場してたんだ。
欠席は絶対に駄目」

梶君が「は?」と芳野君を見上げる。

「そんなのいくらなんでもやり過ぎだろ。
休ませてやれよ」

梶君の言葉に芳野君は呆れたような表情を浮かべながら言葉を続ける。

「他の部員ならまぁいいかもしれないけど。
城島はスポーツ推薦なんだ。
バスケやるためだけに入学したんだから、夜遅くまで練習するのだって当たり前じゃないか。
それに部活は好きでやってるんだし、本人の好きなようにさせてやれよ」

芳野君の言葉に梶君はあからさまに顔をしかめた。

傍らで聞いていた私でさえも、言い返したくなってしまったくらいだ。

いくらなんでもおかしいだろと思った。

反論しようとする梶君を、城島君が急いで遮った。

「梶先輩の言った通り、俺本気でバカだから。
スポーツまでサボったら本当にここに入った意味がなくなっちゃうんだよ。
勉強できる奴は部活やめていい大学目指せばいいけど、俺は本気で勉強できないから、部活に熱中するしかないんだ」

城島君は梶君に笑い掛けると、ずっと縮めていた姿勢を伸ばした。

丁度同じくらいの背丈がある芳野君と向かい合って、彼はまるで大人のように深く丁寧に頭を下げた。

「今日の3時半から練習ね。
遅れたらまた監督に怒られちゃうからね」

芳野君の言葉に「はい!」と大声で返事をすると、城島君は教室へと入って行った。
「あれが運動部ってやつなの?」

梶君の言葉に芳野君が「うん、まぁ……」と苦笑いを浮かべながら頷く。

「正直引く。
ていうかあり得ない」

私も梶君の横で言ってしまった。

昨年のクラスでの芳野君は明るいムードメーカーだったし誰にでも優しかった。

後輩を相手に威張るような真似をするような一面なんて知りもしなかった。

「あり得ないけどさぁ……。
1年は2年と3年と監督に、2年は3年と監督に、3年は監督とOBに頭を下げて成り立つ部活なんだよ。
後輩指導しないと俺らだって干されるんだからさぁ……」

芳野君は困ったような表情で頬を掻く。

「部活のカラーってあるじゃん。
野球部が駆け込み寺なのはもう認知されてるけど、男バスは未だに認知されていない部活なわけ。
体育館の壁の外からは分からないことって結構あると思うんだよね」

彼はそう言うと、パッと壁から離れた。

「大地、次移動教室だって」

芳野君の教室から出てきた長身の男子が教材を高く掲げて言った。

芳野君はすぐに返事をして、私たちに目礼をすると教室へと入って行ってしまった。