アドネが来てから、平坦だった私の生活が少し変化した。
 彼女が来た翌日には台所には二人分の小さな食器があり、私は三人分の食事を用意する様になった。寝台はなぜかすぐには用意されなかったから、彼女は私の寝台で眠った。なぜか隣りに私が潜り込むとぎょっとされたけれど、女の子同士だから気にすることもないだろう。もしかすると良い家で育ったであろう彼女は誰かと一緒に寝たことがないのだろうか。不思議に思って小首を傾げると困った様な表情をされたけれど結局何も言われなかったから、そのまま二人で寝た。久しぶりの温もりに、私は寝ている間に縋りついていたらしい。目が覚めると私はアドネにぴったりとくっついていた。昔は兄弟とよく眠っていたから、懐かしく思う。おばあちゃんと一緒に寝るのは命がけだから、一緒に寝たことはない。それに、彼女の鼾は殺人なみだから。
 伏せられた睫毛を眺める。髪と同じ色の羊色の睫毛は長い。羨ましい。それにしても私はどうしてこんな綺麗な子を男の子と間違えてしまったのだろう。服装のせいか、鬘のせいか。胸もなかった気がしたのだけれど。
 まあいいかと、私は目を伏せた。まだ外は暗い。
「ヘンリエッタ?」
 小さな、驚いた様な声で再び目を開ける。闇に染まった紫色が見えた。
 私は返事の代わりに小首を傾げてみせる。するとアドネは困った様に眉根を顰める。なんと言っていいのか分からないという風な顔で、視線を彷徨わせる。
 彼女が何を言いたいのか分からない私は、彼女の考えを読もうと目をじっと覗き込んだけれどそんなことで分かるわけがない。声が出せたなら訊くことができる疑問も、質問できないから面倒だ。一体なんだというのだろう。
「……君、魔女には何も訊いていないの?」
 魔女とは、他の誰でもないおばあちゃんのことだ。
 何をだろう。アドネが此処で暫く暮らすということくらいしか訊いていない。
 はあ、と小さな溜息が薄い唇から漏れた。悩ましげな表情は、同姓の私が見ても見惚れるほどだ。さぞ男にもてることだろう。
 変に感心していると、アドネは私の肩を押しやった。その行動や力強さに驚いて私は目を瞬かせた。眠気も驚きで遠のく。そんなに彼女は私と寝るのが嫌だったのだろうか。それだったら、悪いことをしたと思うけれど、少しばかり落ち込む。そんなに拒否するくらいなら、最初から言ってくれればよかったのに。
 沈んだ気持ちで寝台から出ようとすると、「どこに行くの」と後ろから訊かれた。
 私は彼女の手をとりその手のひらに文字を書く仕草をする。くすぐったいのか、アドネの手は少し震えた。骨ばった手は私のものより少し大きい。綺麗な顔をしているのに、こんな手をしているなんて少し違和感を感じた。
「『嫌なら別のところで寝る』? ……いや、別に嫌というわけじゃないんだよ。押したりしてごめんね。『おばあちゃんが何を言う』? おばあちゃん? ああ、魔女のことを君はそう呼んでいるのか。君は一体誰? この丘には魔女が一人で暮らしていると聞いたけれど」
 なんと答えたらいいのか分からないから、私は手のひらに『ヘンリエッタ』と書いた。そうとしか言いようがない。
 硝子窓から差し込む月の白い明かりが紫色を透かす。アドネはまた少し困った様に苦笑した。私は再びその隣りに潜り込む。一応あまりくっつかない様にして。
 アドネとは仲良くなれそう、仲良くなりたいと思った。久しぶりに会った人だから期待しているのかもしれない。彼女の笑顔は優しそうで、それは心の優しさを示している様に見えたから。