「――ヘンリエッタ!」
 ぱっと目を開けた瞬間飛び込んできた顔に、わたしは数度瞬きした。優しく頬を撫でられて息を吸うと、自分が呼吸をしていなかったことに気付き、急に息苦しさを感じた。
 優しい手の主であるアドネは、心配げに仰向けに寝転ぶわたしの顔を覗き込んでいる。しばらくは何が起こったか分からず、呆然と彼女の顔を見つめた。窓から射し込む月明かりで光る髪が綺麗だな、とぼんやりと思った。
「大丈夫? 魘されていたよ」
 その言葉で、先程見た夢を思い出し、ぞっと背筋が凍った。それと同時に微かに身体が震えだすのを止めることができなかった。なんて夢を見てしまったんだろう。急激に身体から体温が抜け落ちていくような感覚のなかで、頬に触れる体温に縋りたくなった。腕を伸ばしてそのままアドネの頭を抱え込むと、彼女は驚いた様な声を上げてそのまま倒れこんできた。それでも、わたしは腕の力を緩めることはしなかった。重なってきた体温に、先ほどの震えは収まったけれど、今度は安心感からか目頭が熱くなるのを感じた。喉の音がひくつくと、離れようとしていたアドネがぴたりと止まった。
「……怖い夢を見た?」
 小さく頷くと、数秒の間を置いて包み込まれるように抱え込まれた。優しい手つきで頭を撫でられれば、箍が外れた様に涙が溢れ出た。
「夢は夢だよ、ヘンリエッタ。君はちゃんと此処にいるんだから」
 そう囁かれても、涙は止まらなかった。目覚めて先程見た夢を思い出してみれば、強い罪悪感と淋しさで胸がいっぱいになった。やっぱりもう、あの人に会うことは叶わないのだ。とても愛してもらったのに、わたしはそれを返すこともなく終わってしまった。今更どうしようもないことなのに、後悔の念はとめどない。
 わたしは一体こんなところで何をしているんだろう。現実から逃げて、知っている人のいないこんな場所で。
 ひくっとまた喉がひくつけば、力強く抱きしめられた。涙を流せば流すほど、身体から力が抜けていく。そのうち頭に霧がかかった様にぼんやりとしてきて、何の為に泣いていたのかさえ分からなくなってしまう。
 温かな腕の中でうとうとと瞼を閉じかけていると、顔を覗きこまれているのがなんとなく分かった。濡れた頬を指先で撫でられて、目を閉じる。瞼にふと柔らかい感触がした。次いで頬にもその感触を感じながら、抗いようのないまどろみに身を委ねる。
「かわいい」
 耳元で囁く様な声が聞こえたけれど、それに反応することもできないほど意識は深く沈んでいく。強い安心感に先程の悪夢の余韻はもう消え去っていた。
 おばあちゃん、と心の中で呼ぶ。誰かが嘘吐きと言ったけれど、わたしの中で彼女の言葉はいつも本物だった。だからわたしはこの場所に来て、もういなくなってしまった彼女が見た全てのものをこの目で確認したかった。おばあちゃんが生きていた証。それをわたしはわたし自身に刻み付けていく。現実から逃げたつもりで、結局は現実に捕まってどうしようもない。だから覚悟を決めるしかなかった。本心と心の行く先は自分でもどうしようもない位にばらばらだ。
 おばあちゃんの過去を追い求めながら、彼女が死んでしまった現実に追い詰められていく。
 ヘンリエッタ。遠い海の向こうからやってきた、わたしのおばあちゃん。此処へやってきたばかりの頃、魔女はわたしをその名前で呼んだ。
 わたしはおばあちゃんの代役。一人ぼっちの魔女の、束の間の家族なのだ。