分かりやすいように、簡潔に今のアヤノの状態を説明してくれる先生。




しかし、途中で言葉を挟んだアヤノの母親に説明が止まる。









「娘は生きてるんですよね?」




「えぇ……意識は、まだありませんが」




「あたし、仕事を抜け出してきたので……」







まさか……と、胸がドクンと跳ねた。




こんな時でさえ……アヤノは……彼女は……。










「生きてるんなら大丈夫ですよね。あたし仕事戻るんで、詳しい話はそっちの彼にお願いします。では」














ぽかんと、だらしなく開いた口が塞がらない。




ペコリと医師にお辞儀をすると、荷物を抱えて帰っていく彼女。




カツカツ、と響くヒールの音が物凄く耳障りで。









「えっ……と、お兄様ですか? とりあえず詳しい話は検査を終えてから後ほど」






少し困惑しつつも、忙しいのであろう医師は俺の返事を待たずに白衣をなびかせて廊下の向こうへ消えていった。











俺はただぼんやりと、その場に立ち尽くす。















分かっていたことじゃないか。






彼女がアヤノを愛していないことなんて。



もとより、あの母親が目の色を変えてアヤノの心配をするなんて期待すらなかったはずだ。




それでも、あんな母親でも愛しく思うアヤノがいたことに。






勝手に同情して、それを隠して。







誰一人報われないと分かっていたんだ、俺は。









なのに……なのに。














何故、彼女は 愛 さ れ な い?












その疑問の答えは……大人になった僕でも分からない。
















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一人でいたい




けど




独りは嫌い




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「いわゆる"植物状態"になる可能性が高いでしょう」





「……え」








自分の娘を俺に任せて去っていくあの人の背中を、俺は引き留めることができなかった。




そんな後悔をだらだらとする暇もなく、病室で伝えられた医師の言葉。







「恐らく頭を強くぶつけたせいで脳に激しい衝撃を受けたのでしょう。今は重度の昏睡状態に陥っています」




「ア、アヤノは……もう目を覚まさないんですか?」




「いえ"ひとつの可能性として"の話です。もしかすると、昏睡状態ののち速やかな回復に繋がるケースもありますが……今の状態だと……」







カルテを見ながら、医師は言いにくそうに口ごもる。




俺は何も言えず、ただ忙しなく動きまわる彼の持つボールペンを眺めた。













「……近日中にの回復は難しいでしょう。


可能性としては、


昏睡状態からの


正式名称、遷延性意識障害
(せんえんせいいしきしょうがい)

まぁ、植物状態のことですね。


そうなりうる可能性も少なくはない


ということです」





聞いたこともないような難しい言葉が、脳内を駆け巡る。




だけど、ひとつだけ分かるのは……。







「……もし、アヤノがその植物状態になったら。






そこには"もう目を覚まさない"という可能性も……あるっていうことですか?」






恐る恐る口にした言葉に。





目の前の医師はゆっくりと頷いた。














「もちろん、昏睡状態のち植物状態になられた患者さんの中でも


後に意識を取り戻す方はいらっしゃいますが……




脳外傷後、1年を経過しても


意識の兆候が見られない患者さんは


回復の見込みはゼロに近い……とも


言われています」









……もし、もし後1年経っても彼女のそのまぶたが開くことがないのなら。






それは、きっと……。














「……そう、ですか……彼女の家族に連絡してきます」










現実を受けとめることのできないまま、そう言うことが今の俺の精一杯だった。














病室を出て、病院の中を何も考えずにふらふらと歩いた。




どこに行こう、とか。



何をしよう、とか。




目的も持たず、ひたすら足を進ませる。







無意識のうちに、一人になりたいとたどり着いたのは人気のない非常階段だった。







「……っ」







言い様のない脱力感、疲労感。




力なく、へたりと階段に座り込む。













"もし澪が居なくなったら、あたしはどうなるんだろうね"






いつだろう。




彼女はへらりと笑いながらそう言っていた。







自分はいつも一人じゃないのだと。





いつもそばには俺がいるのだと。







そう、言っていたのに……。














アヤノ……。









一人になったのは俺の方だよ。