駄目だ。
やめてくれ。
行かないで。
声を出す間もなく
スローモーションのその光景は
次のシーンへと切り替わる。
「キキっ───!!」
──────ドンッッッ──────
掴んでいたはずのか細い腕が
するりと俺の手から逃げ出した。
いつからだろう。
ついさっきまでオレンジ色だった空が、薄暗い灰色へと変わったのは。
身体が動かない。
指先から得たいの知れない寒気が身体中を蝕む。
息が止まる。
瞬きができない。
思えば、この時
君の雪のような白い肌を染めた"紅"を
綺麗だと感じたときから
僕の全ては狂っていた。
────────────
何度も
何度も
あの日を
思い出す
だけど彼女は
愛されない
────────────
赤いランプが点灯する手術中の文字。
慌ただしく手術室を出入りする看護師たち。
彼女をはねたトラックの運転手は、警察に連れていかれ。
彼女が身をていして守った黒い仔猫は……。
「……澪くん?」
「…………」
手術室の前に居ると、不意に後ろからかけられた女の人の声。
振り返って小さく会釈する。
強気に引かれたアイライン。
長いカールのまつげ。
紅い唇。
ストレートの長い黒髪。
露出の多い大人びた服装。
どこか似てると思わせる、あの子の面影。
女豹という言葉がぴったりなその容姿。
「お久しぶりです」
「えぇ、しばらくぶりね」
さっき俺がアヤノの携帯で呼んだ、彼女の母親だ。
カツカツ、と病院には不釣り合いなヒール音を響かせて俺のそばのベンチへ腰かけた彼女。
すらりと長い脚を優美に組んで、その目力のある瞳をこちらへ向けた。
「なかなかイイ男になったわね、あんた。まぁ、小さい頃から綺麗な顔立ちしてたものね」
「…………」
言葉を失う。
仮にも事故にあったのは自分の娘だというのに、最初に俺に言うことはそれか?
じわりじわりと、胸の奥から込み上げるそれを。
俺は平気なふりして押し込めた。
「仕事中だったんだけど、店の方に電話かけてくるから。携帯にかけてくればいいのに」
少し怪訝そうにそう言う彼女。
怪我したアヤノを連れた救急車の中。
救命隊員の人に家族に連絡をと言われて、俺はアヤノの服のポケットから彼女の携帯を取り出した。
普通だったら、ひとまず母親の携帯にかけるのが一般的であろうが。
アヤノの場合は違う。
"アヤノ"とディスプレイに表示される携帯の着信を、この人は出ないのを知っていたから。
だからあえて"お母さんの仕事先"と登録してあった電話番号を選んだのだ。
「病院って喫煙室ないの?」
「……は」
突然の問いかけに、思わず声が漏れる。
「煙草吸いたいんだけど」
呆れた……なんてもんじゃ言い表せない。
絶望に近い思い。
気にならないのか?
何より、一番最初に聞かなきゃいけないことがあるんじゃないのか?
見開いた目が、カラカラに乾いていく。