それまで止まったままの車から人が降りる気配がして、私たちは一斉に車へと

顔を向けた。



「怪我をされた方はいらっしゃいませんか」



助手席から降りてきた背広の男は老人たちをぐるりと見回し、おのおのから発せ

られる大丈夫ですの声に鷹揚に頷くと、近くにいた老人に封筒を差し出した。



「これは私どもの気持ちです。どうぞこれで、この場はおさめていただきたい」


「はぁ……」



背広の男は、迷いを見せる老人の手に封筒を押し付けると、一刻も早く立ち

去ろうとするように車へと体を向けた。

渡された中を覗き込んだ手から封筒が滑り落ち、少なくない額の一万円札が

足元に広がっていった。



「待ってください。運転した人はどうして姿を見せないのかしら。 

迷惑をかけたと思ったのなら、顔を見せて謝るべきでしょう」


「誰だ、アンタ」


「私が誰かなんて関係ありません。

謝りもせず顔も見せず、お金で解決しようなんて、 

常識ある人のすることじゃないわ」



詰め寄る珠貴に駆け寄り、腕を引き背中へと押しやった。

どうして止めるの! と抗議の目が向けられたが、言っても無駄な相手だと

いうように黙って二度ほど振った私の顔を理解したのだろう。

けれど納めきれない怒りは、つかんだ腕から伝わっていた。

年配の女性が走り出て、男性の足元に散らばった一万円札をかき集め封筒に

入れると、背広の男へと突き返した。



「この人の言うとおりよ。謝ってももらってないのに、

こんなの受け取れるわけないじゃない」



車の奥から 「急げ」 とくぐもった声が漏れてきた。

背広の男は、はい、と低い声で応えると、私たちを睨みつけたのち車に乗り

込み、後部座席にカーテンのかかった黒塗りの車は、何事もなかったように

我々の横を通り過ぎ、走り去っていった。



「君って人は……」


「向こう見ずだって言いたいんでしょう。だって、おかしいわ」


「いや、珠貴らしいと思って」



しばらくぶりに目にする珠貴の姿だった。

考えるより行動が先で、間違っていないと思えば、相手が誰であろうと

ひるんだりせず、堂々と意見を述べる。

珠貴に出会った日もそうだった。

忘れることのできない記憶が鮮明によみがえり、懐かしい思いに駆られた。



「さっきのアナタ、カッコよかったわぁ。 

大男に啖呵をきるなんて、度胸のあるお嬢さんね」


「黙っていられなくて……」


「ありがとう。おかげでスッキリしたわ」



現金をつき返した女性が珠貴に声をかけると、周囲の口も一斉に開き始めた。

改めて助けられた礼が述べられ、何度も繰り返される礼に、そのたびに返礼を

する。

さっきの年配の女性が 「近衛副社長って、テレビで見るよりイイ男ね」 と

私にささやいたのには心底驚いたが、手を振りながら何度も振り返り、彼らは

賑やかに去っていった。