櫻井さんとお付き合いをしていると母が思い込んでいたこれまでは、多少帰宅

が遅くとも、このように小言を言われたことなどなかったのに、交際がなく

なったとわかった途端、娘が深夜に会っているのは誰なのかとアンテナを張り

めぐらすのだから、母親というのはなんと細かいことか。

どうにでも昨夜の相手を問いただしたいらしい。


この場をしのぐためには、誰かの名をあげなければ収まらないようだ。

何人かの友人を思い浮かべて、夜遅くまで付き合ってくれそうな顔を探した。 



「珠貴ちゃんが一緒にいたの、近衛さんだと思ったけど」


「近衛さんって……クリスマスのパーティーでお会いしたわね。どちらの方?」



テーブルで黙って食事をしていた紗妃が、母に向かって心臓が止まりそうなこ

とを言い出した。

否定しようとするが、上手く言葉がでてこない。



「あっ、あのね。違うのよ、それは」


「珠貴ちゃん、隠さなくてもいいのに。近衛さん、近衛紫子さんよ。 

私も勉強で起きてたから、車の音に気がついて外を見たの。

ゆかりこさんってステキなお名前ね」


「あら、紫子さんだったの。それならそうとおっしゃい」



母は相手は男性だと決め込んでいたのだろう、バツの悪そうな顔をしてい

たが、おもむろに立ち上がるとキッチンへと消えていった。

はぁ……深いため息が出る。

紗妃を見ると、済ました顔でVサインをしている。



「助かったわ」


「お財布がいいなぁ」



そう言いながら、ある人気ブランドのロゴマークを指で示した。



「仕方ないわね。いいわ」


「わっ、ホント? やったー! 困ったときはいつでも呼んでね」


「調子にのらないの」



えへへ、と肩をすくめて見せたが、仕草ほど気にしていないようだ。

とりあえず紗妃の機転でこの場はしのいだが、この先も同じようなことが繰り

返されるのか。

私も宗との交際を言ってしまおうか……

弱気な心が頭をかすめる。

けれど、言って楽になる、そんな簡単なものではない。

策もなしに母に告げるのは、問題の溝を深めるだけ。



「ご両親を説得できる材料がそろうまで、もう少し待って欲しい」



宗の言葉を思い出し、揺れた心を立て直した。

紗妃に、両親へ余計な事を言わないようにと念を押し、二泊三日の出張のため

家を出た。