菅生さんにフライヤーを渡す時、なんて言おうか考えていた。告白するつもりだから、是非来て欲しい、って言ったら、もう告白しちゃったことになるし。くしゅくしゅと自分の髪を手櫛でまぜっかえす。どうしたいんだろう?彼女と、どうなりたいんだろう?なんどもなんども、同じ事を自分に問う。頭の中で廻り続ける問いはきっと答えなんかなくて、宙ぶらりんのままだ。本当は、もういいのだ。こうやって想い続けてきたこと、それを伝えたいと思ったこと、それをどうやらカタチにして表現できたこと、それだけで案外十分に、少なくとも九分目位は満足していた。でもやっぱりこの写真たちを見てもらって、この写真を撮った経緯を彼女に言葉で伝えるまではこの「作品」が完成しないような、そんな気がした。

実際は意外と簡単だった。フライヤーが出来上がったのをチェックしていると、大沢くんがやってきて横から覗き込み、
「いいですねー」
と満足げに言って、フライヤーの半分を持っていった。事務所で仲間に配った後、クリアケースに大事そうにしまって持ち歩いてくれた。それを仕事先でもさり気なく置いてきてくれる。例の撮影の時もスタッフの皆に爽やかに宣伝してくれた。菅生さんには、自分で渡したいような気がしたけれど、彼女だけに渡す訳には行かないよな、と思ったし、どんな顔していいのか、どんな風に言っていいのか分からないから、それでよかったな、と思った。

自分に少しでも興味があればきっと来てくれるだろうし、義理で来てくれるとしても、それ以上の何を望もうか。来てくれないとしても(それが一番可能性は高いかもしれないが)仕方ない。来てくれなかったんですね、って、あれは、あなたの事を想って撮った写真の個展だったのに、って、いつか言えたらいい。

ところが、撮影の終わりになって、菅生さんがやってきて声を掛けてくれた。多分個人的に話をするのはそれが初めてだった。

「個展、やるんですね。すごい!」

しゃがんで作業していた湖山の後ろから少し屈んで声を掛けた菅生さんは、耳元の後れ毛をかき上げるようにしてフライヤーと湖山を見比べ、少し微笑んでいた。そして、ちょっと照れくさそうに続けた声はあちこちで機材をしまっている物音に消されてしまうのではないかと思うくらい小さな声だったが、確かにその声は「行きますね」と言ったようだった。

「来てください・・・!この個展は僕が君に見て欲しくて…」

湖山が立ち上がってそこまで言った時、彼女はフライヤーを抱きしめるように持って、反対の手で彼を制した。その手は、彼がそれ以上の言葉を言おうとしていることを制しているのに彼を迎え入れている手だった。「分かっています。もう言わなくていい」と、彼女の手がそういっている声が湖山には確かに聞こえたのだった。

「土曜日に行きます。」

彼女は静かに彼に背を向けて仕事に戻って行った。

ひとつに束ねた髪の後頭部に一筋、たわんで浮いている毛が午後の冬の光に光って、まるでそれは天使の羽根がそこに落ちてきて乗っかっているみたいに湖山には見えた。
「ド ヨ ウ ビ ニ イ キ マ ス」

少し離れた窓際に置かれたテーブルを片付けていた大沢くんが手を止めて湖山を見ていた。でも多分湖山は気付かない。湖山が振り向いて作業に戻った時、大沢くんはもう普通に片付け作業に戻っていた。でも、大沢くんの脳天についた「湖山アンテナ」はまだぴぴぴと湖山に向かっていたかもしれない。
「教えてくれた人がいて・・・」
「僕があなたを見ている、と?」
「そうです。そう言われてみると、そうなのかもしれないって思っていたんです」
「そう、でしたか・・・」
「あの日、湖山さんの個展のフライヤーを見たとき、思ったとおりの写真を撮る方だなって思いました。まっすぐで、なんていうか、そう、本当に、<まっすぐ>な写真。」

菅生さんはロイヤルコペンハーゲンのカップを持ち上げて、珈琲をを一口、口に運ぶとカップをゆっくりとソーサーに置いた。かちり、と音が鳴った。菅生さんはカップを手で包んだまま、ゆっくりと目を上げて湖山をまっすぐに見つめた。

「もっと見てみたいなと思いました。」
「え?」
「湖山さんの写真です。仕事の写真じゃなくて、湖山さん個人の撮る写真。」
「それは・・・・つまり・・・」
「それは、でも、湖山さんが私に抱いているような気持ちとは違うと思います。その事も、もし、本当に湖山さんが私を見ていてくださって、なんていうか、特別な気持ちを抱いて下さってるなら、ちゃんと言わないと、と思って・・・」
「知っています」

湖山は、それ以上の事を彼女の口から聞きたくなかった。知っている。何もかも知っていて想い続けてきたのだ。湖山はしっかりと彼女の目を見据えた。こうやって彼女を見ると、菅生さんはとても気の強そうな目をしていた。

「2年前、あなたをデパートの屋上で見ました。最初、あなただとは気付かなかった。綺麗な人だな、と思いました。小さな女の子が、あなたとそっくりな笑い方をする少女が屋上の遊具とあなたのところを行ったり来たりしていた。娘さんだなって直ぐに分かりました。その子を見つめるあなたの目や微笑や、その子を抱きしめるあなたの腕や、僕は、なぜなのかすごくあなたに惹かれて、その日からずっとこの二年間想い続けて来たんです。どうしてなのか分からないんだけど、自分でも、本当に分からないんだけど、ずっと。可笑しいでしょう?あなたのこと何も知らないのにね。」

湖山はそこで一息入れた。それは、その先を続けていいかどうか躊躇ったのではなく、自分の気持ちをしっかりと伝える為の一瞬の充電だった。

「あなたが誰のものでも構わないんです。先の事なんて、どうでもいいんです。どうしようもなくあなたに惹かれて、あなたが今ここにいたらと想いながらシャッターを切った写真が今回の個展の写真になりました。その事を伝えたかった。」

伝えられた。これでいい。任務完了。湖山は大きく息を吸って大きく息を吐いた。やっと、微笑むことができた。その微笑につられたように、菅生さんも微笑んだ。

「ありがとう。本当に、ありがとう。そんなこと言ってもらえるなんて私、本当に女冥利に尽きますね。」

そういって菅生さんは笑った。そして急に真面目な顔になって言った。

「きっと、何かがシンクロしたんですね。うまく言えないけど、私にも、湖山さんにも、共鳴しあう何かがあったのでしょう。だから私は、湖山さんの写真に魅力を感じたのかもしれない。それなら、納得できます。」

菅生さんは冷めたコーヒーを一息に飲んだ。カップをソーサーに置いて菅生さんの小さな細い手が、ソーサーの上のスプーンをゆっくりとカップのこちら側に運んだ。

「大事な友人になれるかもしれない人を一人、みすみす逃したくないんです。だから、もし出来るなら…」
呼び出しベルが7回か8回鳴ってダメかなと思うと、10回目に大沢くんは出た。

「もしもし?どうしたんですか?」
「うん。」
「湖山さん?」
「うん、あのさ、つきあえよ、ちょっとだけでいいからさ。」
「はいはい。いいっすよ。いま、どこです?」

よく考えてみたら、土曜日だし、久々の休みだったから、彼女と一緒だったんじゃないかという気もした。悪かったかな・・・。でももう呼び出しちゃったし。土曜日の新宿は混みすぎていて好きじゃない。でも、学生時代から慣れているせいなのか、どこかその喧騒が落ち着くような気もする。駅からは少し歩くが程ほどに混んでいて程ほどに空いている飲み屋は小洒落た郷土料理を出す店で以前大沢くんに教えてもらったところだった。気に入っているからよく二人で飲みに行く。

カウンターの端っこで先に一杯飲んでいた。玉砕記念にしこたま飲んでやる気だった。「本番」は終わったのだ。個展は明日、明後日まであるけれどもうやり切ったも同然だった。

「だっ・・・大丈夫っすか?」
大沢くんは走って来てくれたのだ、肩で息をしていた。
「うん。大丈夫」
大沢くんがどすんと小さな座面の高椅子に腰を下ろす。コートをぐるぐる巻いてカウンターの下のものいれに突っ込んで、ビール!と大声で叫んだ。あいよっ!カウンターの中から大きな声が答える。湖山は急に力が抜けて、カウンターの上に突っ伏してみた。カウンターの板が頬に冷たかった。

「湖山さん?大丈夫?何杯目ですか?」
「まだ2杯、3杯目か、な?」
「それじゃ、酔っ払うにはまだ早いんじゃないっすか?」
「うん、まあね。」

大沢くんは何も訊かない。湖山が今は何も言いたくないことを分かっているからだ。個展のこともそうだ。パネルを手伝ったり、フライヤーを配ったりしてくれたけれど、それ以上のことは彼は少しも口にしなかった。不思議な奴。いつも、湖山が欲しいときに手を貸してくれる、けれどけして出すぎたりしない。すごく微妙な距離感で傍にいる。

醤油豆。ジャコ天。ビール。何も言わない湖山。「うまい」とか「湖山さんもどうですか?」とか時折思い出すとテレビで見た薀蓄を小刻みに挟み込んで、今日はふざけた事も言わない。自分の話もしない。黙って、あるいは、心地よいくらいの明るさで、ただ、湖山の隣にいる。

いつになくピッチが早い湖山を時折心配そうに横目で見る。大沢くんはジョッキをぐいっと煽って、「おっし、湖山さん。飲みましょう!今夜は飲みましょう!」と表情と裏腹なことを言うと、店員に両手の人差し指でバッテンを作って見せた。

タクシーを湖山のマンションに乗り付けて、エレベーターを待つ。
「湖山さん、鍵、鍵」
だらしなく大沢くんの肩に腕をかけて、肩が目一杯上がっていた。引きずられるようにエレベーターに乗り込む。
あああ~~~!
すっきりした。
すっきりしたな~~~。
砕けたな~~~。
がっくりしたみたいな気持ち半分すっとした気持ち半分、泣きたいような、笑いたいような気持ちで、湖山は大沢くんの肩にぐっと乗っかった。

「オモイ、オモイ、オモイって!!」
大沢君が湖山を背負いなおすようにしてエレベーターを降りる。鍵を確認しながら、大沢くんは迷わずに湖山の部屋のドアを見つけた。

鍵を開ける。綺麗に片付いた玄関には湖山のサンダルが一足あるだけで他に何も無い。
「おい、おまえ!帰るな!傷心の先輩を一人にして心配じゃないのか?」
鍵を下駄箱の上に乗っけて「ちゃんと戸締りしてくださいよ!?」という大沢くんに、湖山は酔っ払い丸出しの口調で騒ぐ。仕方ないなあ、という顔をして大沢くんが湖山に言い聞かせるように
「寝ちゃったらいいんですよ。明日には元気になりますって。」
と肩を叩いたけれど、湖山は何も言わない。明日、元気になれるかどうかなんてどうでもいいんだ。今、誰かにいて欲しいと思っているだけだ。

「フラレタ」
湖山は俯いたまま白状する。大沢くんは何も言わない。
「菅生さんに」
湖山はそれも白状する。
「うん」
大沢くんが聞こえている、という様に返事をする。湖山は思う。ほら、全部分かってるんだ、と。熱帯魚の水槽のポンプの音が響いている。その音が静かさを教えている。大沢くんは意を決したように湖山の肩をもう一度抱えた。
「さ、行きましょ?寝ましょ?明日は会場、行くんですか?ほら、気をつけて・・・。」
大沢くんが靴を脱いで湖山を寝室に運ぶ。十分に注意して運んでいるのに、湖山はベッドの前に来るとどさりと倒れこんだ。大沢くんも急に力が抜けたようにベッドの上に腰を下ろして、ベッドに寝っ転がった湖山を揺らした。
「湖山さん、湖山さん、布団に入ってくださいよ、ねえ、風邪引きますよ?ねえ、湖山さん?」
湖山のからだの下に引かれた毛布を引っ張った時、大沢くんは湖山が寝息を立てているのを聞いた。


トイレに行きたくなって、目を覚ました。湖山はベッドの下に丸まっている大沢くんを見つけた。

「おい、そんなトコで寝てたら風邪ひくよ」

あれ?そういや、なんでこいつこんな所で寝てるんだ?リーバイスに包まれた長い足が寒そうにちぢこまっている。コートを着たまま腕組みをして丸まっている。大沢くんを起こさないように、そっと毛布をかけてやる。蒲団のがあったかいかな?蒲団をかけて、今度は毛布をベッドに戻す。忍び足でトイレに向かいながら記憶を紐解く。そうだった。酔っ払った。

トイレから戻ってきてベッドに腰をかけると、なんだか自分だけがベッドの上で寝るのは悪いな、と思う。でも今こいつを起こしたらきっとタクシーでも帰ると言い出すだろうな。それはあまりに忍びないな。俺も床で寝ればいいのか。蒲団も半分こできるし。湖山は丸まっている大沢くんの背中側にコロンと横になって、毛布と蒲団をかけてもう一度眠りに落ちた。


朝方、寒くて目が覚めた。床で寝たからか体のあちこちが痛い。菅生さんを想い続けた二年間を思う。屋上で見た菅生さんの優しそうな笑い方、少しボサボサといってもいいくらいの束ねた髪で事務処理をしている眉をひそめた表情、まとめ髪の首筋がほっそりと色っぽかったワンピースの後姿、そして、湖山を説得した力強い目。不意に、ホットケーキの夢を思い出す。彼女がホットケーキを焼いてこちらに振り向いて微笑む。今、思い出す夢の中の菅生さんの目はやはり力強かった。


「ねぇ、大沢くん、起きてよ。ホットケーキ、食いたい。買いに行こうよ。」
「ううううん・・・・」
「ねえ、ホットケーキだってばよー」
「あぁー・・・はい?ほっとけーき?」
「うん、ホットケーキ。」
「うぐぐぐぐーーーーー」
大沢くんは大きな伸びをひとつして、
「つくりますよ。」
起き上がった。
「ホットケーキを?おまえが?おいおい、勘弁してくれよ。黒焦げのホットケーキならいらないよ。」
「まぁまぁ。とにかく行きましょうか。材料買いに。」



小麦粉、卵、砂糖、牛乳。ハカリが無いとか軽量カップがないとか文句を言いながら大沢くんは材料をボールに混ぜていく。ちょうど暗室で薬品使っているみたいな顔をしている。混ぜ終わったあと、匂いをかいで人差し指をクリーム上の生地に突っ込むと少し舐めたりしている。湖山は黙ってそれを見ていた。本当に作れるらしいよ、こいつは。

フライパンを熱して、濡らした布巾に乗せ、じゅじゅじゅっと音がする。その姿はまるでコックさんのように手馴れていていったい大沢くんに何が起きたのか不思議に思う。

ホットケーキの生地を上手に丸くフライパンの上に落としていく。落とし終わると、まあるくぷっくりしたホットケーキ生地を見張るみたいな顔でじぃっと見つめている。

「なあ」
湖山が声を掛けても大沢くんはフライパンを睨んだままだ。
「なに?」
「いつの間に覚えたの?」
「何が?」
「ホットケーキだよ。ついこの前ここでホットケーキミックスで黒こげのホットケーキを作った奴が、なんでまた小麦粉からホットケーキなんか作れるんだよ?」
「ああ、それは・・・あ、ちょっと待って。ちょっと待ってくださいね。」

大沢くんはフライ返しで慎重にホットケーキをひっくり返すと、やっと湖山の方を見る。
「それはね、あの後調べたんですよ。ホットケーキの作り方。考えてみると、ホットケーキってすっごい簡単そうなイメージなのになんで作れなかったんだろうなって思って。親とかが作ってくれた時、ホットケーキ食いたいって言うと、混ぜて焼けば出てくるみたいな思い出があって、あの時もそんな調子で作れると思ってたのにできなかったから。いっこくらい得意料理があってもいいな、と思ったし」

大沢くんはフライ返しでホットケーキの端っこを少し持ち上げると、覗き込むようにして焼け具合を確認する。もう少しみたいだ。

「案外難しいんだなって分かりました。混ぜて焼いて終わり、なんてそんな簡単な事じゃないんですよね。手順が分かればね、混ぜて焼いて終わり、そうなのかもしれないけど、そうなるには色々あるんですね。だから美味いんですよね、ホットケーキって、きっと。」

大沢くんはもう一度ホットケーキの裏側を覗き込むと今度は白いお皿の上に乗っける。バターを乗っけて得意げに笑う。

「ほら、出来た。」

キツネ色をしたホットケーキの上でバターがとろりと溶けて滑っている。湖山は白い皿を受けとり、カウンターの上で半分に、また半分にちぎって、一口かじりつく。

うまいな。
家族以外の誰かが、自分の為に焼いてくれたホットケーキを、いつか食べることがあるんだろうか、と思う。菅生さんのホットケーキは食べ損ねたけれど、いつか・・・。

失恋したなあ、ちゃんと、失恋した。やっぱり恋だったなあ、と思う。食器棚に寄りかかって湖山を見守っていた大沢くんが身体を起こして湖山に手を伸ばすと、大きな手が湖山の頭を撫でた。

「ね、湖山さん。また、いい出会いがありますよ、きっと。」

そうね、また、次の出会いがある。家族以外の誰かが自分の為に焼いてくれたホットケーキを、いつか食べてやろう。もしかしたら自分が焼いてやってもいい。

大沢くんが二枚目のホットケーキを焼いている。フライパンを睨みつけている。
「美味いよ」
湖山は言う。大沢くんはホットケーキをひっくり返しながらこちらを見ないでにっこりする。
「まあね。」
ひっくり返し終わった後、湖山を見てもう一度笑う。
もったいねえな、と湖山は思う。

『混ぜて焼いて終わりなんて、そんな簡単な訳がない。そうなるには、色々あるんですよね。だから、美味いんですよ、ホットケーキって』


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