トイレに行きたくなって、目を覚ました。湖山はベッドの下に丸まっている大沢くんを見つけた。
「おい、そんなトコで寝てたら風邪ひくよ」
あれ?そういや、なんでこいつこんな所で寝てるんだ?リーバイスに包まれた長い足が寒そうにちぢこまっている。コートを着たまま腕組みをして丸まっている。大沢くんを起こさないように、そっと毛布をかけてやる。蒲団のがあったかいかな?蒲団をかけて、今度は毛布をベッドに戻す。忍び足でトイレに向かいながら記憶を紐解く。そうだった。酔っ払った。
トイレから戻ってきてベッドに腰をかけると、なんだか自分だけがベッドの上で寝るのは悪いな、と思う。でも今こいつを起こしたらきっとタクシーでも帰ると言い出すだろうな。それはあまりに忍びないな。俺も床で寝ればいいのか。蒲団も半分こできるし。湖山は丸まっている大沢くんの背中側にコロンと横になって、毛布と蒲団をかけてもう一度眠りに落ちた。
朝方、寒くて目が覚めた。床で寝たからか体のあちこちが痛い。菅生さんを想い続けた二年間を思う。屋上で見た菅生さんの優しそうな笑い方、少しボサボサといってもいいくらいの束ねた髪で事務処理をしている眉をひそめた表情、まとめ髪の首筋がほっそりと色っぽかったワンピースの後姿、そして、湖山を説得した力強い目。不意に、ホットケーキの夢を思い出す。彼女がホットケーキを焼いてこちらに振り向いて微笑む。今、思い出す夢の中の菅生さんの目はやはり力強かった。
「ねぇ、大沢くん、起きてよ。ホットケーキ、食いたい。買いに行こうよ。」
「ううううん・・・・」
「ねえ、ホットケーキだってばよー」
「あぁー・・・はい?ほっとけーき?」
「うん、ホットケーキ。」
「うぐぐぐぐーーーーー」
大沢くんは大きな伸びをひとつして、
「つくりますよ。」
起き上がった。
「ホットケーキを?おまえが?おいおい、勘弁してくれよ。黒焦げのホットケーキならいらないよ。」
「まぁまぁ。とにかく行きましょうか。材料買いに。」
小麦粉、卵、砂糖、牛乳。ハカリが無いとか軽量カップがないとか文句を言いながら大沢くんは材料をボールに混ぜていく。ちょうど暗室で薬品使っているみたいな顔をしている。混ぜ終わったあと、匂いをかいで人差し指をクリーム上の生地に突っ込むと少し舐めたりしている。湖山は黙ってそれを見ていた。本当に作れるらしいよ、こいつは。
フライパンを熱して、濡らした布巾に乗せ、じゅじゅじゅっと音がする。その姿はまるでコックさんのように手馴れていていったい大沢くんに何が起きたのか不思議に思う。
ホットケーキの生地を上手に丸くフライパンの上に落としていく。落とし終わると、まあるくぷっくりしたホットケーキ生地を見張るみたいな顔でじぃっと見つめている。
「なあ」
湖山が声を掛けても大沢くんはフライパンを睨んだままだ。
「なに?」
「いつの間に覚えたの?」
「何が?」
「ホットケーキだよ。ついこの前ここでホットケーキミックスで黒こげのホットケーキを作った奴が、なんでまた小麦粉からホットケーキなんか作れるんだよ?」
「ああ、それは・・・あ、ちょっと待って。ちょっと待ってくださいね。」
大沢くんはフライ返しで慎重にホットケーキをひっくり返すと、やっと湖山の方を見る。
「それはね、あの後調べたんですよ。ホットケーキの作り方。考えてみると、ホットケーキってすっごい簡単そうなイメージなのになんで作れなかったんだろうなって思って。親とかが作ってくれた時、ホットケーキ食いたいって言うと、混ぜて焼けば出てくるみたいな思い出があって、あの時もそんな調子で作れると思ってたのにできなかったから。いっこくらい得意料理があってもいいな、と思ったし」
大沢くんはフライ返しでホットケーキの端っこを少し持ち上げると、覗き込むようにして焼け具合を確認する。もう少しみたいだ。
「案外難しいんだなって分かりました。混ぜて焼いて終わり、なんてそんな簡単な事じゃないんですよね。手順が分かればね、混ぜて焼いて終わり、そうなのかもしれないけど、そうなるには色々あるんですね。だから美味いんですよね、ホットケーキって、きっと。」
大沢くんはもう一度ホットケーキの裏側を覗き込むと今度は白いお皿の上に乗っける。バターを乗っけて得意げに笑う。
「ほら、出来た。」
キツネ色をしたホットケーキの上でバターがとろりと溶けて滑っている。湖山は白い皿を受けとり、カウンターの上で半分に、また半分にちぎって、一口かじりつく。
うまいな。
家族以外の誰かが、自分の為に焼いてくれたホットケーキを、いつか食べることがあるんだろうか、と思う。菅生さんのホットケーキは食べ損ねたけれど、いつか・・・。
失恋したなあ、ちゃんと、失恋した。やっぱり恋だったなあ、と思う。食器棚に寄りかかって湖山を見守っていた大沢くんが身体を起こして湖山に手を伸ばすと、大きな手が湖山の頭を撫でた。
「ね、湖山さん。また、いい出会いがありますよ、きっと。」
そうね、また、次の出会いがある。家族以外の誰かが自分の為に焼いてくれたホットケーキを、いつか食べてやろう。もしかしたら自分が焼いてやってもいい。
大沢くんが二枚目のホットケーキを焼いている。フライパンを睨みつけている。
「美味いよ」
湖山は言う。大沢くんはホットケーキをひっくり返しながらこちらを見ないでにっこりする。
「まあね。」
ひっくり返し終わった後、湖山を見てもう一度笑う。
もったいねえな、と湖山は思う。
『混ぜて焼いて終わりなんて、そんな簡単な訳がない。そうなるには、色々あるんですよね。だから、美味いんですよ、ホットケーキって』
お わ り
「おい、そんなトコで寝てたら風邪ひくよ」
あれ?そういや、なんでこいつこんな所で寝てるんだ?リーバイスに包まれた長い足が寒そうにちぢこまっている。コートを着たまま腕組みをして丸まっている。大沢くんを起こさないように、そっと毛布をかけてやる。蒲団のがあったかいかな?蒲団をかけて、今度は毛布をベッドに戻す。忍び足でトイレに向かいながら記憶を紐解く。そうだった。酔っ払った。
トイレから戻ってきてベッドに腰をかけると、なんだか自分だけがベッドの上で寝るのは悪いな、と思う。でも今こいつを起こしたらきっとタクシーでも帰ると言い出すだろうな。それはあまりに忍びないな。俺も床で寝ればいいのか。蒲団も半分こできるし。湖山は丸まっている大沢くんの背中側にコロンと横になって、毛布と蒲団をかけてもう一度眠りに落ちた。
朝方、寒くて目が覚めた。床で寝たからか体のあちこちが痛い。菅生さんを想い続けた二年間を思う。屋上で見た菅生さんの優しそうな笑い方、少しボサボサといってもいいくらいの束ねた髪で事務処理をしている眉をひそめた表情、まとめ髪の首筋がほっそりと色っぽかったワンピースの後姿、そして、湖山を説得した力強い目。不意に、ホットケーキの夢を思い出す。彼女がホットケーキを焼いてこちらに振り向いて微笑む。今、思い出す夢の中の菅生さんの目はやはり力強かった。
「ねぇ、大沢くん、起きてよ。ホットケーキ、食いたい。買いに行こうよ。」
「ううううん・・・・」
「ねえ、ホットケーキだってばよー」
「あぁー・・・はい?ほっとけーき?」
「うん、ホットケーキ。」
「うぐぐぐぐーーーーー」
大沢くんは大きな伸びをひとつして、
「つくりますよ。」
起き上がった。
「ホットケーキを?おまえが?おいおい、勘弁してくれよ。黒焦げのホットケーキならいらないよ。」
「まぁまぁ。とにかく行きましょうか。材料買いに。」
小麦粉、卵、砂糖、牛乳。ハカリが無いとか軽量カップがないとか文句を言いながら大沢くんは材料をボールに混ぜていく。ちょうど暗室で薬品使っているみたいな顔をしている。混ぜ終わったあと、匂いをかいで人差し指をクリーム上の生地に突っ込むと少し舐めたりしている。湖山は黙ってそれを見ていた。本当に作れるらしいよ、こいつは。
フライパンを熱して、濡らした布巾に乗せ、じゅじゅじゅっと音がする。その姿はまるでコックさんのように手馴れていていったい大沢くんに何が起きたのか不思議に思う。
ホットケーキの生地を上手に丸くフライパンの上に落としていく。落とし終わると、まあるくぷっくりしたホットケーキ生地を見張るみたいな顔でじぃっと見つめている。
「なあ」
湖山が声を掛けても大沢くんはフライパンを睨んだままだ。
「なに?」
「いつの間に覚えたの?」
「何が?」
「ホットケーキだよ。ついこの前ここでホットケーキミックスで黒こげのホットケーキを作った奴が、なんでまた小麦粉からホットケーキなんか作れるんだよ?」
「ああ、それは・・・あ、ちょっと待って。ちょっと待ってくださいね。」
大沢くんはフライ返しで慎重にホットケーキをひっくり返すと、やっと湖山の方を見る。
「それはね、あの後調べたんですよ。ホットケーキの作り方。考えてみると、ホットケーキってすっごい簡単そうなイメージなのになんで作れなかったんだろうなって思って。親とかが作ってくれた時、ホットケーキ食いたいって言うと、混ぜて焼けば出てくるみたいな思い出があって、あの時もそんな調子で作れると思ってたのにできなかったから。いっこくらい得意料理があってもいいな、と思ったし」
大沢くんはフライ返しでホットケーキの端っこを少し持ち上げると、覗き込むようにして焼け具合を確認する。もう少しみたいだ。
「案外難しいんだなって分かりました。混ぜて焼いて終わり、なんてそんな簡単な事じゃないんですよね。手順が分かればね、混ぜて焼いて終わり、そうなのかもしれないけど、そうなるには色々あるんですね。だから美味いんですよね、ホットケーキって、きっと。」
大沢くんはもう一度ホットケーキの裏側を覗き込むと今度は白いお皿の上に乗っける。バターを乗っけて得意げに笑う。
「ほら、出来た。」
キツネ色をしたホットケーキの上でバターがとろりと溶けて滑っている。湖山は白い皿を受けとり、カウンターの上で半分に、また半分にちぎって、一口かじりつく。
うまいな。
家族以外の誰かが、自分の為に焼いてくれたホットケーキを、いつか食べることがあるんだろうか、と思う。菅生さんのホットケーキは食べ損ねたけれど、いつか・・・。
失恋したなあ、ちゃんと、失恋した。やっぱり恋だったなあ、と思う。食器棚に寄りかかって湖山を見守っていた大沢くんが身体を起こして湖山に手を伸ばすと、大きな手が湖山の頭を撫でた。
「ね、湖山さん。また、いい出会いがありますよ、きっと。」
そうね、また、次の出会いがある。家族以外の誰かが自分の為に焼いてくれたホットケーキを、いつか食べてやろう。もしかしたら自分が焼いてやってもいい。
大沢くんが二枚目のホットケーキを焼いている。フライパンを睨みつけている。
「美味いよ」
湖山は言う。大沢くんはホットケーキをひっくり返しながらこちらを見ないでにっこりする。
「まあね。」
ひっくり返し終わった後、湖山を見てもう一度笑う。
もったいねえな、と湖山は思う。
『混ぜて焼いて終わりなんて、そんな簡単な訳がない。そうなるには、色々あるんですよね。だから、美味いんですよ、ホットケーキって』
お わ り