少し無理をしすぎているかもしれない。若いつもりでいてもこんな時年かなあと思ったりする。寝る時間を惜しんで、休日を全部充てても、やはり時間が足りない。


人生とは不思議な縁の積み重ねだ。あの時あっちの道を選んでいたらどうなっていただろう、と思う事の連続だ。あの時、両親の希望通りに大学に進んでいたら?あの時、あっちの写真事務所に就職していたら?あの時、カメラマンの道を諦めていたら?あの時・・・。あの時・・・。あの時・・・。そしてあの時、あの屋上への一歩を踏み出さなかったら・・・。そしてあの時あのギャラリーの横を通り過ぎなかったら・・・。

自分の想いを伝えようと思った。でも、なす術も無く時が過ぎた。休日の暇つぶしに、カフェが隣接したお気に入りの本屋に行った時のことだった。初春を寿いでから数週間経った都会は穏やかな冬の光に包まれていた。2階のギャラリーに続く扉の前を通りかかると神経質そうな青年が画を抱えて出てきた。一度通り過ぎて本屋へ入る。新書の方へ歩きながら、画を大切そうに抱えていた青年を思い出し、彼がその画家だろうか?と思ったとき、急にそのギャラリーを自分も使えるのかもしれないと閃いた。彼はきびすを返して本屋を出ると、ギャラリーへの階段を一段抜かしに登って行った。

ギャラリーの使用申込書を受け取り、一階のカフェのドアをまたいだ。小さな木のテーブルに封筒を置いた。ギャラリーの名前が入った封筒を見つめて何もかもうまく行くと思えた。彼女のこと以外は。

それまでの足踏みのような日々が嘘のようだった。今、自分に出来ること、それは、とにかくこの個展をやってみること。その準備をすることだった。とにかくギャラリー使用審査用のポートフォリオを作ろう。審査結果が出たらどこに何を置くか丹念に検討して、写真とサイズを決めて、パネルを作って、そうだ、小さなリーフレットを作ってみよう。こんな大掛かりなラブレター、またとない。笑っちゃうぐらいすごい。

勢いに乗って、ポートフォリオをつくり、審査書類を書いた。力強い文字ですべての欄を埋め「使用目的・テーマ・企画」を打った。キーボードが楽器のように一人の部屋に響いた。すべての提出物を揃え終わった時、青い絵の具が薄まっていくような朝方の部屋で、彼は、早起きの烏が一声鳴いたのを聞いた。朝聞くと、それはとても爽やかな声だ、と思った。

それから数週間、彼は寝る間を惜しんで、休日を全部当てて、全力で「ラブレター」を作り上げている。仕事に支障がないように、それだけは気をつけながら、でも、もう体力の限界かもしれない。


人物撮りの撮影で都内のスタジオに半日詰めていた。アシスタントの大沢君と昼食に出たがどうしても食欲が湧かない。どこか具合が悪いのではないかと、心配そうな大沢君に「大丈夫だってば!」と少しぶっきらぼうにと答えたけれど、午後の分の撮影を終えた時、仕事を終えて少しほっとしたせいなのか、少しも大丈夫ではなかった。事務所に戻る予定でいたけれど、どうも戻れそうにない。

「湖山さんはそこに座っててください・・・!」

大沢くんがいつになく強い口調で言って、事務所に電話をかけて事情を説明し、機材、書類の処理などすべてを手早く片付けて車を取りに行く、と出て行った。テーブルの上に乗った紙コップの水を飲み干した湖山は少しだけ休むつもりで、そのままテーブルの上に突っ伏して眠りに落ちていった。