「はい、先に渡しちゃうね」
「おう、サンキュ」

 カウンター越しにマンションの鍵を幸祐に手渡している姿を見て、結城が「なんだかいけない現場を見てるみたいだ」と嘯いた。

「実際イケナイ関係だからな、俺達は」

 冗談めかす幸祐の言葉を、ひかりは肯定も否定もせず、ただ小さくクスクスと笑う。

 結城も年齢自体はひかりとひとつしか違わないのだし、顔立ちも整ったタイプで、所謂イケメンというよりは幾分可愛らしいタイプだ。モテないという事は無いだろうし、だからこそピュアすぎる訳も無い。だのに結城はそんな二人の様子を、何処か危ういものを見る様に目を細めた後、むくれた表情に僅かに朱を指した。恋愛等、したことが無いのではないかと思うような態度で。

「…なんか。よくないなあって思います」
「良くないって、何が?」
「わかんないですけど。二人の感じ、いやらしいです!」

 結城をからかう幸祐の後輩いじりの姿を見ている方が、ひかりを余程イケナイものを見ている様な気分に陥らせた。倒錯的な世界を見ている様だ。ボーイズ・ラブとか。ひかりは詳しく読んだ事は無いけれど、そういう世界があることは知っている。
 身長183センチの幸祐と、それより15センチ程上背が低いくらいだろうか。子犬の様な結城とのツーショットは絵にもなる気がした。
 cafe night catでアルバイトをするのに、ルックスの試験はない筈だが、実は秘密裏にそういうものが存在するのだと言われても、殆どの人間があっさりと信用するだろう。それくらい、night catの店員のルックスは良い。幸祐も、結城も、店長の寺倉自身も、それぞれに違った魅力のある美男子揃いだった。勘ぐられても仕方が無いだろう。
 そんな店員の見た目の良さもあって、古風な喫茶店ながら、night catはそれなりに繁盛している様だった。

「もっとこう、ピュアな恋愛をするべきだと思うんです。」
「ピュアねえ」
「朝倉先輩はともかく、藤崎先輩は!」
「え、わたし?」
「おいこら」

 差し置かれた幸祐が結城の頭を軽く小突いた。それでも急に話題を振られた事で、ひかりの心臓は瞬時に跳ね上がっていた。

「恋愛かあ」
「朝倉先輩とは恋愛関係では無いっていってたじゃないですかぁ」
「うんまあねぇ。」

 間延びした声で答えながら、視線は結城ではなく幸祐に送る。

「どう思います?恋愛」
 思わず変にかしこまった言い方になった。気持ちが浮ついている時に話しかけると、どうも変な言い方になってしまう。
「恋愛ねえ」
 幸祐もピンとこない、といった素振りで肩を竦めた。

「いいんじゃないですか、ひかりサン。俺は自由恋愛っていいと思うんで。彼氏が出来たら紹介してくださいネ」
「朝倉先輩が彼氏になるって考えは無いんですか」

 白々しい幸祐の返答に、結城のツッコミが妙に冷静に響いて、今まで黙って聞いていただけの寺倉が隣で静かに吹き出した。
 寺倉は普段は物憂げな表情を浮かべた物静かな男だが、その癖実は酷く笑い上戸で、ツボに入ってしまうと止まらない。今もずっと喉を鳴らして笑いながら、こらこら、と店員二人を窘めた。

「ほら、他にお客さんが居ないとはいえそろそろいい加減にしなさい」
「滅茶苦茶笑いながら言っても説得力無いですよ」
 一回りくらいは年上であろう寺倉にも物怖じせずに口答えする結城に、今度はひかりが吹き出していた。

 結城の事を若いなあ、と思う。実際年齢はひとつしか違わない筈なのに、結城を見ていると、歳の離れた弟を眺めている様な気分になるのだ。そんな老けた気分になるのは、ひかりが結城の言う、『イケナイ関係』に身を投じているからだろうか。

 カウンターの奥で繰り広げられ続ける会話に、他の客がくるまでの間馬鹿みたいに笑いながら、ひかりはこっそり、自分が一気に老け込んだ様な感覚に途方に暮れていた。