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 幸祐は人目を引くルックスと何故か人を惹きつける不思議な魅力の持ち主だけれど、反面性格には欠陥が多かった。怠け者だし、ぶっきらぼうだし、愛想だって良い訳じゃない。

 そういう幸祐を、幸祐の周りの男達は「ずるい」と云ったし、当座一番そばにいる筈のひかりだって、そう思った。幸祐はそんな自分を、恵まれているなんて自覚なく、その魅力を十二分に利用している。 彼はサークル活動にも参加しないけれど、授業にだって真面目に出る訳じゃない。色々な事をかなり適当に済ませている幸祐の、唯一と言って良い程の真面目に取り組んでいる事が、cafe Knight Catでのアルバイトだった。本格的なコーヒーと、今時蓄音機からレコードで流している'60sの音楽、タイムスリップした様に古臭いけど懐かしい、そしてお洒落な店内の雰囲気を楽しむ喫茶店。それがcafe Knignt Catだった。


 木製の重厚な扉を開くと、カランカラン、とドアベルが店内に鳴り響いた。店内を満たしている切ないメロディーラインのオールディーズとコーヒーの香りを、その警戒な音が切り刻む。

「おや」
 此方を振り向いたマスターは、此方を見ると一瞬目を丸くした後、その目を嫋やかに細めてひかりに挨拶を送った後に、店内を振り返った。

「猫さんのお出ましですよ」
 そんな誂い口調で、奥でカップを片付けていた幸祐に声をかけたのだ。

 ひかりも幸祐も、二人の関係を隠す事はしていない。恋人でもないのに、「ペット」と言う名目で幸祐の隣に居る女。下衆な好奇心とひかりに対する一種差別的な視線は話題に登らない筈もなく、ふたりの事は大学の構内では有名な事であったけれど、幸祐のアルバイト先であるcafe night catでも、二人の関係は周知の事実だった。とは云え、night catは狭い店内を店長の寺倉と、アルバイトの幸祐、そしてもう一人、同じ大学の学生で、ひかりの一回生下にあたる結城というスタッフの三人で回していて、寺倉と結城の二人に向ける視線は、大学内の人間とはまた違う優しいものだ。

 別に大学内で浮いた立場であることをひかり自身は気にした事は無いつもりだったけれど、それでもひかりと幸祐の関係を知っている人間の前に出る時、night catのスタッフの前だと寛げる気がするのは、きっと好意的な感情を向けてくれる方によりついてしまう人情だ。

「早かったじゃん」
「藤崎先輩、お久しぶりです」

 自分の言いつけ通り店に姿を現したひかりにどこか満足気に、漫然とした表情を浮かべた幸祐と、子犬の様な可愛らしい顔立ちの小柄な男――結城が顔を覗かせる。

 店長の寺倉は日本人としてはやたらと背の高い男だ。威圧的に見えないのは、その細面の顔に浮かべる穏やかな顔と、発する言葉の一つ一つがゆっくりで優しい穏やかなものだからだ。
 上背はやや低めの結城は勿論、平均よりは高いかと思われるくらいの幸祐ですら、多少その影に隠れてしまう。

「うん、今日はフリーペーパーの原稿提出するだけだったから、早めに抜けてきたんだ。……結城くんはお久しぶり」
 幸祐と結城に同時に返事を返す為に、ひかりの言葉は少し早口になる。
「藤崎先輩、最近全然お店来てくれないじゃないですか。寂しいですよ、俺」

 結城は甘え上手だ。
 ひかりは笑いながら、ママス&パパスのカリフォルニア・ドリームが流れる店内の一番奥のカウンター席に座った。

 寺倉がメニュー票を出してくるが、ひかりはそれをやんわりと首を振って遠慮し、「お任せで」とだけ、短い注文をした。

 ひかりには未だにコーヒーの種類は判らなかったし、本音を言うと美味しさだって解らない。元々胃がそんなに強い方では無いし、カフェインにも弱いらしくて、コーヒーを飲むと寝付きが悪くなる。それに猫舌で、熱々のコーヒーを飲む事はひかりには難しかった。
 幸祐が喫茶店でバイトをしていなかったら、こんな風にコーヒーを店に入って飲もうと思う事すら無かった筈だ。

 寺倉がひかりには馴染みの薄いレトロな音楽を背景に淹れてくれる「お任せ」のコーヒーの水面を見つめる度、ひかりは不思議な気持ちに見舞われるのだ。