密と蜜~命と共に滴り堕ちる大人の恋~


 記憶力が悪いのか、父の事をほとんど覚えていない。写真を見ると、こんな感じの人だったかもしれない、と思う。

 物腰が柔らかそうで優しそうな人。丸い鼻先と長めの睫は父から受け継いだようだ。

 ブランコで背中を押してもらった大きな手。あれはきっと父の手。その感触だけはこの背中に大切な記憶として残っている。

 私に父の手の感触が残っているのだから、母はまだ鮮明に父の姿や体温が残っていて、忘れられないのだと思っていた。

 それは私の美しく激しい思い込みだったようだ。

 オーストラリアで撮った母のウエディングドレス姿を見せられた。

「歳も歳だし、ウエディングドレスなんていいって言ったんだけど、松井さんがどうしても見たいって。恥ずかしかったわ」

 松井というのは母の再婚相手。

 私は父の姓、鮫島を名乗っている。


 ちっとも恥ずかしそうじゃない写真を見せるくらいなら、私をその式に呼んでほしかった。

 事後報告なんてなんだか悔しい。  

 そうしてくれていたら、私は二人の事を心から祝福していたと思う。

 今はその松井……さん、の連れ子と三人で幸せそうに暮らしている。



 そこに私は加われないし、積極的に会いには行けない。

 会うための理由を探すけどそれも見当たらない。


 時折、家の前に行って、ブロック塀越しに母の姿を隠れ見る。

 洗濯物を干したり、チューリップに水をやったり。

 その幸せそうな微笑み。

 赤、白、黄色。花のある暮らし。

 洗濯物の中にトランクスや男物のシャツがある暮らし。

 私と二人で暮らしていた時には見られなかった微笑みだ。


 私は今、幸せ?

 問いかけてみる。

 もっと母に甘えておけばよかった。辛い時は辛いと泣けばよかった。

 テストで百点を取った時、褒めてもらいたかった。

 一緒にお子さまランチが食べたかった。

 運動会に来て。

 授業参観に来て。

 今日、学校でこんな事があったんだよ。

 素直さを忘れず、言いたい事を言えばよかった。母のゆりかごに揺られたい……と。


 母にも寂しいなら寂しいと言ってほしかった。




 これだけ歩いてきたのだから、少し休みたい。それがラブホでも構わない。


 そう思った私は目の前にある華奢な背中にしがみついた。

「……私、恋愛対象になれるの?」

「勿論。僕、お子さまランチはもう卒業しましたから」


 吉沢くんの背中は立派な男の匂いがした。しかも、しがみついているとその匂いと体温が身体を刺激して気持ちいい。

「吉沢くん……」

 私は頬をその背中にあてた。


「今度、ゆっくり舐めてあげます。部長には内緒で」


 吉沢くんは部長と私が付き合っているリアルをその真っ直ぐな瞳で見抜いていたのだ。



「その時はストッキング脱いでくださいね、鮫島先輩。……生クリーム塗りたいから」






【悪戯な後輩*END】






【愛されるカラダ】






 私の目の前に壊れてしまいそうな美少女がいます。


 肺を突くような浮き出た肋骨。

 金魚が飼えそうな鎖骨の窪み。

 引っ掻いてしまう筋張った指。

 透けて見える心臓青白い皮膚。

 未来を覆い隠すグリーンの瞳。


 それが美しく見えてしまう。本当は哀れな肉体なのに……。

 鏡に映る私。

 それはグリーンの瞳をした私。鏡の中の私が悲しく笑った。




 こんな私があなたと出逢い、愛されるカラダになりたいと思いました。

 憧れのトップモデルはランウェイでスポットライトを浴び、可愛く美しく魅力的に輝くけど、私は無理をして痩せているだけ。


 あなたに愛されるカラダになるために、鏡の前でお洒落な下着をつけて、可愛い服を着てみました。


 こうやって、自分のカラダを自分で好きになる事から、自分のカラダを自分で愛する事からはじめていこう。

 


 女の子のカラダって神秘的。

 お母さんに産んでもらった体が子供を産める体へと変わる。

 カラーコンタクトで瞳の色を変えるより神秘的。

 付け睫で目元に黒い蝶を羽ばたかせるより神秘的。

 ずっとずっと神秘的。


 あなたが私を優しく、時には強く抱き締めてくれたから、私はそれに気づく事ができました。


 大人の女性として愛されるカラダでいたい。

 人生という名のランウェイ。そこには女性を美しく輝かせる神秘的なスポットライトが当たっているのです。

 カラダの内側から外側まで柔らかく包み込む羊水のように。





【愛されるカラダ*END】





【チョークの秘密】




 二年ぶりに訪れた母校、若葉南高校。
 
 三年A組の教室で佐久間先生を待つ私はチョークという懐かしい匂いを感じていた。

 それは、学生の頃には気づかなかった秘密の匂い。

 黒板の前でそれに手をのばした瞬間、ドアが開いて佐久間先生が入ってきた。

「おう、星野、元気だったか?」

「うん。先生は?」

「元気だけどな……すまん星野!!」

 佐久間先生はそう言うと切れ長の目を曇らせて申し訳なさそうに頭を下げた。

 明日は成人式。