思考の文書化は
僅か1/10の表現方法だ
己が持つ複雑に入り組む想いを
たかだか数の定められた
文字に置き換える事など
出来るもんか
それでも描く自分は
自分以外の誰かの
見えもしない感受性に
何かを委ね、頼っているのか
そもそも
頭でわかっていることが
気持ちで頷けない生き物
理解は出来ても
納得は出来ない生き物
思いのままを表現する等
器用な真似が出来ようはずもない
また、仮に出来たとして
伝わっている事もないはずだ
だから想う
文字や言葉は“telepathy”
難解な暗号と云う名の“微妙”を
ただただ発信する手段
理解されようが
ねじ曲げられようが
相手ありきの事である
出来うれば
その頼りないcommunicationが
花と蝶のような関係なら
互いに必要としていられる
俺のtelepathy
それはいつも1/10
笑夜