人生を説くのはそんなに難しい事じゃあない。
大抵は過去体験した苦労や見聞した苦難を口にしていればそれでいい。
人間だもの、何か話す事は必ずあり、それは既に解決している事が多いから。
人生を聴くのはそんなに簡単な事じゃあない。
およそ親身になりきれない立場は、常に比較を前提にしてしまう。
苦難を前にうずくまり、抱えた頭に差し出す手や投げる言葉は少ない。
“説く”と“聴く”この二つのギャップと矛盾。
更に難解な立場の反転。
誰かに語りたい訳でもなく、聞かされたい訳でもない。
だから無言の殻を被り、耳に蓋をしてしまうんだよ。
その割に、自分同士の対話が延々と続く。続く。続く。可笑しな対話。
説くのは過去の自身の自信。
聴くのは現在の自分の時分。
語るのは吐き出したい憂鬱。
聞くのは言い訳じみた鬱憤。
自問自答の先にあるモノまでは、今の俺には計り知れない。
只一つわかっているのは、どこかに転がる答えを探しても無駄と云う事だけだ。
自分に説く。文字を使って。
自分を聴く。目を見開いて。
自分に話す。想いを綴って。
自分を聞く。素直な自分で。
苦悩ばかりでなく、楽しさもユーモアも含めた自分を自分に晒すんだ。
病患ってから見つけた、“描く”と云う手段を使って。
笑夜