アメリカに占領されたといってもTOKYOの街並みは東京のままだった。

東京23区はA~Wという名前を割り振られただけで、そこに住まう人々の生活にはほとんど影響は出ていなかった。

しかし“エリアW”とされた元の永田町には国会議事堂も国会議員の姿もなく、“ACC”と呼ばれる、アメリカ軍のNIPPON州の管理センターがそびえ立っていた。

国会議員という富裕層は全員、資産をアメリカに没収され、その資産はアメリカの国有の財産とされた。

そして国会議員は皆、一気に貧乏のドン底に突き落とされた。

この改革は思っていたよりも日本人の賛同を得られた。

その結果、NIPPON州がなんの抵抗もなく誕生した。

国会議員への不満が日本人の間に充満していたことが如実に現れた結果といってもよい出来事だった。